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熊野古道


熊野古道を歩いた。
一歩一歩を踏みしめながら歩いた。

古の人々はどんな気持ちで神の社を目指したのか。
病気や怪我は即、死に繋がる。
物取りも出る、野生動物もいる。
食料の心配もあるし、
なにより大自然のなかで人は無力なのだから
現代人では想像すら難しいが、
いつ死んでもおかしくない旅なのだ。
それでも目指したその先に救いはあったのか。

遠く京から来て、ようやく峠の眼下に社が見えた時、
人々は感動のあまり
ひれ伏して拝んだという。

現世に救いはないと断定し
浄土に救いを求めて旅立つ人々が実際に多く存在した時代だ。
神の社はその姿だけで人々を救済したのではないだろうか。

深い森を進み、
疲労困憊しながら漸くたどり着いたその先に
突如として美しい社が現れる。
私もまた、
その場に神の存在を確かに感じたのでした。



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読んでくださった方、ありがとうございます。

気配


花とそらが亡くなってからの後、
暫くの間、確かにあの子たちの気配を感じていた。
それは明らかな現実的気配で、
決して錯覚や勘違いとは異なる確かな何か。
生活のなかの当たり前の感覚を
当然の如くに感じていたのだ。

トットットット、と、こまかい小走りで
誰かがリビングに入ってくる。
おや?と振り向いても誰もいない。
今の歩調はそらか? 
どさっ、と誰かがマットに寝転ぶ。
続いて、ふ~っと吐く息。
花かな?
こういったことが頻繁だった。

しかし、魂にも滞在の期間があると見えて
こういったことは段々となくなってゆき、
今ではもうほとんど・・・ 
しかも、薄っすらとしか感じなくなってしまった。

成仏という言葉がある。
亡くなった者が遺された者を見守り続け、
もう大丈夫だろう、と判断したら天に帰ってゆく。
これを成仏と私は考える。
気配が消えてゆくのはこの為だ。

しかし時々、
私たちの様子を見にやってきてくれる。

こっそり。

こっそりと。


読んでくださった方、ありがとうございます。

報道を見て


前回書いた
遊歩道にゴミを捨てる者とそれを掃除する人。
人の世の常ともいえるこのコントラスト、
規模は違うが本質は同じ光景を
先日ニュースで目にした。

テキサス州エルパソで
アクティブシューター(乱射事件)発生。
たまたまその場に居合わせただけの方たち、
数十名が犠牲となり、多数が負傷された。

米国のニュース番組を見ること数時間、
日本のニュースにはない速報と詳細を追うことが出来た。
発生から約十時間後、市のある施設に
長い行列が出来ていることを報道は伝える。

献血センターに市民が押し寄せている。
長い行列は少しでも被害者の役に立ちたいと願う
ボランティアの血液提供者たちだ。
暑いなかで数時間の待ち時間となるので、
列の周囲にこれまたボランティアで
飲み物や食べ物を無料で配る人たちがいる。

これがエルパソなんだ!
この善意の人々こそがエルパソなんだ!

マイクに向かって
市の関係者が半ば叫ぶように訴えていた姿が
実に印象的だった。




読んでくださった方、ありがとうございます。


8月このエルパソでの事件の時点で、
「2019年度」の合衆国に於けるMass shooting(乱射事件)は249件という。
(この直後のオハイオでの乱射事件で250件目)
こんな狂気が日常となっている事実自体を狂気ととらえなければならないが、
最早皆が麻痺している印象だ。





遊歩道


私の住む住宅地の中心を貫いて
一本の遊歩道がはしっている。

近くの城跡の公園から市のスポーツ施設を繋ぐこの道は
しっかりと整備管理されて
常に清潔な様相を保っている訳だが、
そこには、多くの方の影の献身がある。

私の出勤時間は早い。
人も車もまばらな時間から
この遊歩道を通って職場に向かう。
ある朝、
いつもと変わらない道を進みながら、
ハッとする光景に出くわした。

大量のゴミが放置されている。

夜のうちに数人で飲み食いし、
そのままにしたものと見える。
なるほど、夏休みか。
美しい街並みにかかれた
スプレー缶の落書きを見た時のような
嫌な気分に朝からうんざりした。

帰宅時、辺りはすっかり夜で
進む先には街灯の明かりが
点々と散らばる小島の群れのようだ。
本来美しいこの遊歩道だが、
朝のゴミを思い出して
現地に接近するにつれ気が沈んでゆく。

ゴミがない。
跡形もない。

遊歩道は再びその清潔な姿を取り戻し
微かに涼やかな風が何事もなかったかのように
吹き抜けてゆくのみだ。

かつて目撃したある光景を思い出した。
あの早朝、一人で黙々とゴミを片付けていたご年配の紳士。
ゴミを捨てる者もいれば、それを片付ける人もいる。
あの当時、
散乱するゴミがいつの間にかなくなっていることを
深く考えもしなかった。
然し、ゴミが独りでに消滅することなどあり得ない。
誰かが片付けているのだ。

この事実を再認識し、
私は、心のなかで深く合掌したのでした。





読んでくださった方、ありがとうございます。

新九郎、真っ赤な薔薇にしどろもどろする


(前回までのあらすじ)
お世話になった方の退職に際し、
花束を贈ろうと画策した我らが新九郎君。
花屋さんが満面の笑顔で渡してくれた
その一束は。…


花束作成には時間を要するので
その間に昼食をすませてきた新九郎君。
驚きの花束と対面します。
なんと、男性にあげるのだと先に云っておいたのに、
出来上がったものは見事なほどに真っ赤で
燃えあがるような薔薇の花束。
いくら無粋な新九郎君でも、
赤い薔薇に
情熱的な愛だか何だかの意味があることくらいは知っています。
一大事です。

うっと後ずさりするその姿を敏感に捉え、
花屋さんが猛烈に畳みかけます。

「いいのよ、この花は~!
サムライっていう名前の品種なんだけどね、
ほら!見て、ここ!
咲き方が素敵でしょう~!
男の人が相手でも、いいのよ、
名前がサムライなんだから!
サムライよ、サムライ!
良かったわね~!」

新九郎君によるこの再現は
少々大げさという疑いを拭いきれませんが、
まぁ、こんなカンジで相手が男の人でも大丈夫、と、
複数回にわたって説明してくれたのだとか。
その根拠が、名前がサムライ、しかないのですが、
何しろ専門家が云うことですから間違いないはずです。
しかし新九郎君が
心から納得したわけではないのがわかります。

ともあれ、とにかく昼休みという時間制限もあるので
新九郎君は一路、Tさんの職場へ向かいました。
コンコン、とノックして挨拶をし、
はいと手渡す情熱的な赤い薔薇、サムライ。…

勿論、Tさんのリアクションは先ずビックリした様子で、
あれっ!?という表情に、
「こ、これ、新九郎君が買ってくれたんですか?」
と、微かに笑っているような困っているような
複雑な表情が先ず浮かび、それからすぐにハッとして
「いやありがとう! 綺麗ですね!ありがとう!」
礼を失しないように取り繕ってはくれたそうですが、
やはり若干の怪しい緊張が見られたとのこと。

新九郎君もなんだかもう、
必死に花屋さんの説明を再現して
「なにしろ名前がサムライですから大丈夫です!」
と、汗をかきかき釈明しますが、
どうにも困ってしまったとのことでした。

…と、まぁ、
こんな事は別れの一場面に於いては
些細なことでしかないので、
これ以外は思い出話で盛り上がったりと
気持ちの良い別れになったそうですが、
何しろおっちょこちょいな新九郎君らしい
愉快なエピソードでしたので紹介してみたという次第です。

今日も彼は私の生活にスパイスを添えてくれます。




読んでくださった方、ありがとうございます。

新九郎、知り合いの退職に際し花束を贈ろうと画策する


先日のこと。
新九郎君の知り合いの方が退職されたのだそうです。
どういった理由だか、転職先はどこなのか、
込み入った話は一切なしで、
お別れの際はただただ、
これまでの感謝の気持ちを伝えた、とのことで、
如何にも新九郎君らしいシンプルで熱い表現に
私はやっぱり頬を緩めてしまったのです。

さてこの方、仮にTさんとしましょう、
Tさんは新九郎君とは部署は違うのだけど、
何かあると必ず連携する関係なので
多くの専門知識を教えてくれた、とのことでした。
仕事内容の深化に只ならぬ貢献をくださった
所謂恩人といってもよいほどの方だそうで
新九郎君の語り口調から、
Tさんは、尋常でない御仁であったことがわかります。

そのTさんの退職です。
新九郎君は何とかこの感謝の気持ちを形で表したい、
などと、衝動にかられたいつも通りの行動様式で、
気が付いたら自転車を飛ばして
花屋さんへ急行していたとのことでした。
この辺りの鉄砲玉的な行動が実に新九郎君らしいのですが、
なんと今回は、
途中で止まって、退職に花束は適切であるか、などと
スマホで調べたとのことで、
この冷静な判断は私を大いに驚かせたのでした。

(今までなら、良かれと思ってしでかした何かが
周囲の失笑を買ってしまって、
そこではじめて調査を行って後に
漸く赤面してカッカする、というのが新九郎君ですから。…)

心の声が少しだけ漏れたかも知れませんが、
話を進めましょう。

こうして花屋さんに到着した新九郎君。
これこれこういう訳で、と、
事の背景を説明して花束を注文しました。
完成まで20分程度を要するとのことでしたので
その間に昼食を取り、
戻ってきた新九郎君が目にしたものは。…

ちょっと長くなってしまったので次回に続きます。




読んでくださった方、ありがとうございます。

修理


自転車が壊れた。
ブレーキの調子が頗る悪くなって、
ギュッとレバーを絞ると、まぁ、効くには効くのだが、
ガツンという衝撃とガガガガという不快な音を伴うので
まともに機能しているとは言い難く、
とにかく安全に関わることなので
時間を作って自転車さんへ向かった。

驚くべき診断。
なんと、ブレーキシューなる、所謂ゴムパッドが
完全に消滅していて、その為に露出した車輪を挟み込む部品の
金属部が車輪と直接接触していたというのだ。
ガツンという衝撃と不快な音の原因が判明した。
更に、ブレーキの度に車輪を削っていたので
タイヤの内圧で車輪そのものが破裂する恐れがあるという。
事故はいつ発生してもおかしくない状況だったそうだ。

この驚くべき事実に私は恐怖し
早速修理を依頼した訳であるが、
様々な合わせるとなんと総額3万円オーバー。
少し足せば新車が買える。

自転車は消耗品であるので、
今後も考えると効率的には新車の購入が正しい。
店員さんも、それとなくアドバイスを下さる。
しかしである。
この事態、というより失態の原因はなんであるか?
私の無知と不注意と、怠慢、粗忽、
迂闊さと緊張感の欠如が招いたことではないか!

それなのに、金銭の効率を考えて、
まるで使い捨ての道具のように相棒を捨てることが出来ようか?
赤兎、などと名付けて、まるで馬の首を撫でるように
フレームを撫でながら乗っていた自転車を
はい用済み、と買い替えることが出来ようか?
そもそも、この失態は全面的に自分に原因があるのだから、
多少なりとも人の心があれば、そんなことなど出来るはずがない。

直してやらねばならぬ。

修理を依頼し、赤兎を預け、その日は帰宅した。
早く元気になって帰ってきてくれ。
これからはブレーキのこともちゃんと勉強し、
ブレーキパッドの減り具合もしっかり観察して、
注意しながら乗ることにするから、
早く元気になって帰ってきてくれ。
詫びる気持ちと後悔の気持ちと自分への苛立ちの帰宅路、
生暖かい空気の壁は
まるで水中であるかのように私の前進を阻み、
時折ぱらつく雨に濡れ、
進んでも進んでも
一向に家には行きつかないように錯覚しながら
見上げた先は厚い曇天。
私の気分そのものであった。


さて、それから四日ほどして、修理完了の連絡があった。
すぐに飛び出して迎えにゆき、
快調になった赤兎と対面した。
ブレーキはもとよりなんだか全ての調子がいい。
ペダルへの踏み込みが
タイヤを通してしっかりと地面にグリップするのがわかる。
キュっと効くブレーキの反応が心地よい。
車体が軽い。
爽やかな夏の夕暮れに
私たちは風となって帰宅の途についた。








hana fumu 花「なんか、いい話っぽくまとめてるけど・・・」

sora tang2 そら「「まとめてるでしゅけど・・・」

hana face1 花「もちょっと労わってやらんといかんがなもし・・。」

26MAY10S.jpg そら「パパしゃんの無知!粗忽!ラッパ!へちま!」


反省してます~!







読んでくださった方、ありがとうございます。

続・太陽眠る


太陽眠る。

太陽のようだったあの方は、
魂となって
遺された者を見守る存在となった。

小さなご遺骨となってしまったけども、
なぜだかそこに、
大きく暖かなお人柄を
確かに感ずる。
みんなを見守る気配が
間違いなくそこにあるのだ。

前にも経験した感覚だ。

死して尚、魂は生前と同じに在り続けて
私たちと共にいてくれる。
このことに疑いはない。




読んでくださった方、ありがとうございます。


太陽眠る


太陽、と呼ぶに相応しい方であった。
突然の知らせに私は戸惑い、困惑し、
現実を認識するのに暫くの時間が必要であった。

私のやっているある競技の先生、同時に友であり、
また、信頼のおける人生の師でもあった。

写真をぼんやりと見返していると改めて気づくのであるが、
その方は常に私たちと共にあった。
いつも誰かの為に何かをしていた。
必ずそこにいてくれた。
一緒に喜び、わが身の事のように泣いてくれた。

私は結局何の恩返しも出来なかった。
もっといろいろ出来たはずだ、などと、
後悔することしきりだ。
いつもこうだ。人生とは誰もがこうなのか。
それとも、己の至らなさの結果なのか。

死んだ者はどうなるのだろう。
眠るように意識は消えて、それっきりで、
肉体は単なる物質となるのか。
あるいは、
意識だけが目覚めて魂はあり続け、
遺された者を見守る存在となるのか。

私は後者だと考えたい。




読んでくださった方、ありがとうございます。

懸命の不格好


ボクシングの練習というのは元々過酷なものであるが、
特にこの暑い季節は輪をかけて苦しいものとなり、
練習のレベルを思わず落としそうになるのも人情であるけども、
そこをぐっと堪えて、否、より一層スピードを上げて取り組むところに
努力、研鑽の尊さがあるのだと思う。
練習の後で思い起こし、あの時自分に負けないでよかった!などと、
ぐっと胸をはれば今日もビイルがより一層の旨さだ。
努力とは人生の充実、幸田露伴はあらゆる場面で正しい。

さて、その苦しい練習をこなすには
ある程度、自分を捨てなければならない。
どこかで他人の目を気にしていたのでは
なりふり構わない努力など出来ない。
必死の形相、ぶかっこうな動き、
それを笑わば笑えばよい、
私はキミ達を置いて行こう。
捨て身の研鑽なくして先へは進めない。

私の同志の話をしよう。

その男は元々が不器用で、運動神経などゼロに等しい。
身体も弱く、小さいころからすぐに風邪をひいた。
色白で、例えて言うと、ガリガリに痩せたナマコのような外見だ。
フィジカルの能力は絶望的。

しかしその男は努力の出来る天才だった。
とにかく云われたことをやる、やろうとする。
出来なくてもやる、途中でやめない。
少し足りないんじゃないかと心配になる頭なのだが、
単純なだけに、サボったり手を抜いたり
誤魔化したりといった発想が先ずない。

この男が云われた通り、最も過酷といわれる
手を止めない連打の練習をする。
ただでさえ過酷な特別な練習方法で、
これを続けられる強者は稀な訳だが、
それをこの男がやる。

打って打って、打ち続ける。
動かない体を無理に動かそうというのだから、
スタミナの練習はとにかく過酷だ。
気を抜けばすぐに体は休もうとするので
精神の緊張を一瞬も緩めず、
ある種の発狂の状態を保たねばならない。
これをこの男がやろうとするのだ。

懸命に打ち続ける。
最初のうちはそこそこに動ける。
しかし、ただでさえ苦しい練習でこの暑さだ。
スタミナが切れてからは
その挙動はとたんに不格好になり、
とにかく、動かない体を無理に動かすのだから
正直、目を覆いたくなるほどの無様な動きになる。
歪んだ顔は汗とヨダレで増々醜悪になって、
意識は半分とんだ状態なので少し失禁もしている。
本人が大真面目に真剣なだけに、
苦しみに喘ぐ声と、溺死寸前のような動きが
その姿をより一層滑稽にしてしまう。
しかしながら、
私は常々彼の懸命の姿は美しいと考えていたし、
周囲も華麗に緊張して彼を見守るのが常となっているのだが、
ある時、これを笑う者がいた。

「君らにこの努力ができるのか?」
とっさに問うた者があった。
「出来るわけないよな。 じゃあ、笑う資格はないぞ。」

質問者は続ける。
「しかし、笑ってしまったからには、同じことをする義務が生じたぞ。
おまえら、やんない限りは今日は帰れないからな!」

私の言いたかったことを的確に言い放ってくれたこの彼もまた、
努力の人であるが故に努力の尊さを笑う者を許せなかったに違いない。




読んでくださった方、ありがとうございます。

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