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雪の大山


一日降り続いた雨は
3月だというのに肌を切り裂くような
厳しい冷たさであったので、
次の日の朝は丹沢の雪化粧を期待していたら、
案の定、大山も周囲の山々も、
真っ白な雪に覆われて、
透明に輝く朝日に照らされたその姿は
ほとんんど蓬莱の神の地であるかの如くに見えた。

私は大山に向かって丁寧にお辞儀をし、
おはようございます、大山! ト、小さく呟き、
職場へ向かって張り切って自転車を飛ばした。
今冬で雪の大山をみるのはこれできっと最後だろう。
そう思うと少し悲しい気もするが
大山はいつも大山で、
その姿が消え去ることはない。

ちらりと横眼で大山の姿をみる。
大山はいつもそこにあって、
いつも私を見守ってくれている。

春霞のむこうで、
夏の濃い緑に覆われ、
秋の夕日を背に、
そして冬の雪に覆われながら、
大山はいつも私を見守ってくれている。



読んでくださった方、有難う御座います。

永遠の記憶


確かにこの腕に抱きとめて決して放すことはない。

そう信じていた子らは、
いとも簡単に私の抱擁をすり抜けた。
あっさりと手の届かないところへ行ってしまった。
あの日、私はもう二度と、
過去が蘇る事はないと痛感した。
消して同じにはならないのだ。

併し、共に過ごしたあの日々は現実だ。
決して無くなることはないし、
消え去ることもない。
その記憶は天のサンタマリアに守られて
私の中で永遠の輝きを放ち続ける。

私の求めた永遠は完成していた。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


試験前のひととき


定期的に受けているある試験で
非常に苦手なひと時がある。

試験の説明が終わってから
開始までのほんの数分。
ピンと張りつめた空気の中で
何をするでもなく、
凝っと試験開始の合図を待つあの時間。
プレッシャーに弱い私には
ほとんど拷問のような数分だ。

着座から試験開始まで30分。
先ずは、厳格な説明がなされて、
試験用紙、答案用紙が配布され、
あとは開始の号令を待つだけとなる訳だが
この間、会場は重苦しく厳粛な沈黙に包まれる。
多分この間は、咳払いすら許されない。

試験官による開始の号令まで約10分、

① 鼓動は激しく打ち、
動悸、息切れ、めまいなど、
何かのCMで聞いたような現象に悩まされ、
一分一秒が、それこそ何時間にも思えてくる。

② 静寂に耐えられなくなり、
憤怒をもって上着をかなぐり捨てて
金盥を打ち鳴らしながら
会場を走り回りたくなる衝動にかられるが、
そこはグッと押さえて瞑想など試みる。

③ 衝動とは英語でイムパルスである、などど
そのうちよそ事を考え出すのだが
緊張を思い出すと今度は吐き気がしてくる。

④ そしてまだ金盥の衝動となる。

⑤ 試験が始まれば、あっという間の二時間であるが
終了の合図で今度は反動がくる。
ただもう何もやる気がおきず、
ただひたすら帰宅して
弛緩しての自由を満喫したくなる。

その割には歩くのがやたらと早くなり、
もうほとんど競歩のようになってしまって
そのうち走り出したくなるが、
走ると不審者みたいで職質にかかる恐れがあるので
走り出したい衝動を必死におさえるという
なんとも忙しい思いをしながら、
帰宅して、ゆっくりと黒ラベルを楽しむのだ・・・

という妄想をしながら、
①にもどってひたすらループという、
長い、長い、10分だ。




読んでくださった方、ありがとうございます。

模試と禅


さて、試験が近いので
休日は模試を繰り返している。

私の休日は回復の為ではなく
進歩の為にあり、
本番の試験も日曜日なので
休日の度に艱難辛苦の喜びに
武者震いを繰り返しているという
変人っぷりだが、
これはこれで楽しい人生だ。

模試に要する時間は二時間。
体調が良ければすんなりいくのだろうが、
休日の私はたいてい前夜の飲み疲れがあり
いつも途中でダレる。
集中力が切れる。
進歩の為の休日はどうした、と、
喝をいれながらの模試になる。

こんな時にいつも思うのが、
もっと禅をやっていればよかった、という反省だ。

びっしりと文字で覆われた頁を見るたび、
正直、うんざりする。
投げ出したくなる。
何か理由をこしらえて中断したくなる。
しかし、続けるか投げ出すかの
この分岐点で将来が決まるので
やめるわけにはいかない。
そこで続けるは続けるのだが、
だからといって精神的苦痛は依然として残る。
気づくのだが、この苦痛が、
なんと、
禅の途中で生じる苦痛と同じものなのだ。

上手く言い表せないが
自由に跳ねようとする巨大なバネを
抑え込もうとする歪みから生ずる
居心地の悪い違和感。

ちょっと気を抜くと
あっという間にあらぬ方向へ飛んで行ってしまうであろう
危険な可能性をひめたエネルギーに対する焦燥感。
このバネを自由に解き放ってはならないという緊張。
同時に、自由への渇望。

なんだかダラダラ書いてしまったが、
要は、我慢しながら何かを継続、
しかも集中して行うことの苦痛、といったところか。

なるほど。
これは、禅も模試も同じだ。
やはり、勉強の合間の生活の中に、
もっと時間を作って座らなければならない。
それがきっと、勉強に限らず
他のことにも繋がってゆくはずだ。




読んでくださった方、ありがとうございます。

達成


なんとか、この一大イベントを乗り切ることが出来た。
皆が笑顔で手を握り合える結末となった。
判明した問題は、発展の為の糧となろう。
全ての努力は報われたのだ。
私たちは、やり遂げた。
流した汗のぶんだけ、喜びの涙を流した。

さぁ、これでもう私はいつ死んでもいいことになった、などと、
少々物騒なことを考えながらも、
実は既に来年に向けての一歩が始まっていることを
私たちは知っている。

今年は大成功だった。
その喜びをグッと噛みしめて
小さくガッツポーズをしたら、
さぁ、次へと進まねばならない・・・



と、それではせわしないので、
とりあえず、黒ラベルで乾杯!




読んでくださった方、ありがとうございます。





続・実感


私を顔面蒼白に至らせた事実とは何か。
それは、私が理想に浸りすぎた、という失態だ。

そうだ、私は未来を都合よく考え過ぎていたのだ。
私が思い描いたバラ色の未来は理想でしかない。
そうだと無理に信じることも出来るが、
心のどこかに刺さった小さなスイバリのような
不安は常につきまとう訳だから、誤魔化しはきかない。
理想は理想で、現実とは限らない。
サラ・コナーだって言っていたじゃないか、
未来は一定ではない、と。

要するに、大失敗に終わる未来もあり得るということだ。

この事実は私を狂乱させ、苦しめ、
ほとんど寸でのところでなんとか抑えたが、
思わず上着をかなぐり捨てて
奇声と共に金だらいを打ち鳴らしながら
表へ飛び出してしまうところだった。

生まれたての小鹿のように不安に震えていたが、
その時にふと気づくことがあった。

あぁ、そうだ。
結果は原因と過程を経ての結果なんだった。・・・

私の未来は過程で決まる。
これまでに行ってきた努力が虚実であれば、
行事は失敗に終わるだろう。
悪因悪果というヤツだ。
ところが、やってきたことに自信があれば、
結果は自ずとついてくる。
自ずから、自然の帰結、
禅で何度も何度も学んできたことではないか!
私の歩みに堕落はあったか? 妥協はあったか?
私は、確信に満ちた表情で太陽を見上げた。

言葉では知っていた。
しかし、実感というと話は別で、
今までは、ただ知っているつもりだけだった。
しかし今、漸く、理解に至った。




読んでくださった方、ありがとうございます。

実感


生活しているといろいろな節目で
気づく、というか、実感するポイントのようなものに
ハッとすることがある。

これから私たちの職場は、
一年で最も重要なイベントを迎える。
他に別の2組織と連携するのであるが、
私はその仲介役を仰せつかっているので
責任はけっこー重大だ。
「けっこー」と平仮名で書いて緊張感のなさを
演出しなければいけないほど緊張している。

過度の緊張は己を委縮させる。
動きを封ずる拘束具に近い。
しかし、昔の漫画の主人公が使った
大リーグボール養成ギブスとは訳が違う。
あれは鍛える為のものだが、
これはDr.レクターなどに施されていた
完全な拘束具だ。

取り除かねばならない。

そこで、未来の自分を考えることにした。
イベントが終了してホッとしている自分。
成功に胸を張っている自分。
緊張や不安が取れて、和らいだ笑顔の仲間たち。・・・

そこには、皆に囲まれて笑っている自分がいる。
何でもないさ、トでも言いたげな
すました表情が小憎らしい。
この自分、控えめに云ってもカッコいい。
凛々しい、実に端正だ。
顎に手をやった何気ない仕草に
キザな誇りを感じる。
うっとりと思い浮かべる2週間後の私、私、私。・・・

いや、然しだ、ここで重大なことに気づき、
私は顔面蒼白となるわけだが、
それは次回にお話しよう。



読んでくださった方、ありがとうございます。

続 夕暮れの大山 


薄っすらとした乙女の頬のような桜色に染まる大山。
前回、この感動を大いに述べた訳だが
その慣性が未だに働いていて
このままの勢いで続きを書こうと思う。

私がうっとりとその美しい姿に見とれている間も
時は刻々と流れてゆく。
大山を染めた桜色は段々と薄れてゆき、
太陽はついにその姿を
箱根の山々の向こうに落としてゆく。

然し、姿を消した後もしぶとくその光を放っていて、
大蛇がうねったような箱根の稜線を
くっきりと際立たせる。

この時、桜色の空は既にその明度を落としており、
すっかり濃いオレンジ色となっているが、
真っ黒な雲の隙間に見えるその輝くオレンジは
周囲を覆う黒雲との対比もあって
不思議に神々しく見える。

そこに浄土があると云われれば納得してしまうだろう。

そんな西の空を
大山がゆったりと眺めている。
宵の薄い暗闇に覆われて
大山にも休息の時が訪れる。
心なしか、
日中に見られた緊張が弛緩しているようにも見える。
大山に夜という安息が訪れる。




読んでくださった方、ありがとうございます。

夕暮れの大山


この時期、夕暮れ時の大山が美しい。

否、大山の名誉の為に云うと
当然いつの時期も美しいのであるが、
この時期は丁度、退勤の時間が黄昏時となるので
夕日に照らされる大山を目にすることも多く、
結果、美しと感ずる機会が増えるという訳だ。

とにかく、である。
大山が美しい。

入射角度や大気の状態も関係していると思うが、
この時期の大山は夕暮れ時に桜色になる。
それも、薄っすらとした仄かなピンクである。
乙女が恥じらいに頬を染めるような桃色である。
この可憐な緊張が大山には良く似合う。

丹沢の山々の中心に凛々しく屹立するその姿は
勇敢な女神のようだ。
容易に他者を近づけない、
潔癖で誇り高い、純白の百合のような姿。
毅然として背筋の伸びた姿は、
切れ味鋭く残酷でありながら
可憐でエレガントな高貴の女神、といった趣だ。

その女神がふと見せる憂いの表情。
それがこの時期の大山の桜色なのだ。




読んでくださった方、ありがとうございます。

新九郎譚 「思い出は温めるもの」


ここまで映画「ひまわり」の話をしてきました。
美しい記憶を再体験しようと
うっかり本物の映画を観てしまったものだから、
長年に渡って作り上げたイメージを
壊すことになってしまった、という、
少々情けない話ではありましたが、
時として虚実を虚実のままで信じきることは
幸せなのかも知れません。
大概、真実なんて知らないほうが
幸せなものなのですから。

ト、こんな話を
私の良き友人、新九郎君にしてみましたところ、
彼も似たような話を最近聞いた、とのことでした。
なんでも、彼の同僚である米人から聞いた話だそうですが、
ことは所謂SNS、〇ェイス〇ックなるものに関することだそうで、
うっかり過去を探求してしまったばかりに生じた
ある悲劇(?)のお話でした。

新九郎くんの友人、仮にKとしましょう。
ある時、KはこのSNSを使って
遠い昔の恋人を探すことを思いつきました。
米人というのは、たとえ名前が変わっても
このSNSには旧姓を記載している方が多いと聞きます。
検索にかかりやすいようにするのでしょうが、
これは歩いてきた遠い道のりに
花びらを落としてくるようなものなので、
探したいと思う人があれば
簡単に見つけることが出来るのだそうです。

とにかく、Kは容易に目標となる人物を発見したそうです。
Kは10年以上に渡ってその人物を思い続け、
結婚して子供が出来ても忘れることが出来ず、
その美しい姿は年月を重ねるごとに
いよいよ神格化されて
もうどうにもならないくらいに
確固たる存在となっていったとのことでしたので
発見の際の彼の狂喜は尋常でなかったでしょう。
その存在自体は確かに「過去」なのですが、
彼女を思う気持ちは「現在」なのです。

さて、元来過去とは、静かに佇むだけのシロクロの存在です。
それが今、SNSというツールを以て彩色され、
現実として動き出すのです。
諦めていた過去と夢でしかなかった現在に
不自然な接点が生じた訳ですが、
時間の摂理に逆らうこの行為が
果たしてKを幸福にしたのでしょうか?
新九郎君に聞いてみましょう。

曰く、Kは年月の残酷を知った、とのことでした。

呆れた話ですが、要は、
Kは、勝手に理想の人物像を作り上げて、
勝手に探して勝手にがっかりしたということです。
Kにとって、思い出は追及すべきものではなく
温めておくべきものだったのです。

SNSを貶めるつもりはないので一応記しますが、
今回のお話は悪い一例で、
多くの利用者は新九郎君のように古い友人を見つけて
旧交を温めるという良い使い方をしているようです。
まぁ、手段とは常に使いようだし、使う人次第ということです。





読んでくださった方、ありがとうございます。

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