太宰治は疲れに効く


そのパンドラの匣であるが、
太宰治の青春ものの一つな訳だが
よくよく考えてみたら
こういう清々しい作品は珍しいような気がする。
中期の彼は、人の美しさを描いた
人間賛歌の傑作が多いけども
この作品は一種独特で
なんだか爽やかに吹き抜ける
初夏の風のような印象だ。

こういった作品は、休憩時間などで
パラパラと気軽に読めるので気分転換によい。
雲雀だ越後獅子だ、オルレアンの少女だと、
軽快に、然し、じっくりと、
たまに微笑ましい場面にあたっては
頬を緩ませながら
(傍から見ると気持ち悪いかも知れない)
どんどん読み進んでゆくと、
私のようなロマンチストは
いつの間にか
その世界の住民の一人になっている。

>ロマンチスト
hana ordinary 花「自分で云うところが偉い!」


しかも、あの独特の文体に加えて
この作品は書簡体をとっているので
ますます、こう、主人公が私に
直接個人的に
語りかけているように錯覚するという訳だ。

こうした気軽な作品であるが、
基本的に主人公の成長の物語であるので
ビルドゥングスロマン的な奥深さもあって
ところどころではっとするような
場面にも出くわす。
竹さんの結婚の話を聞いた後の
主人公の不思議な胸の苦しさなどがそれだ。

SORA 28JULY08 065 そら「ぎゅっとつねられるトコなんかも、切ないでしゅねぇ・・・」


主人公はあらゆる日常を通して確実に成長する。
小説の終わりに於いては
もうすっかり肩の力が抜けて
自然体に近い境地にまで達する、曰く、

あとはもう何も言わず
はやくもなく、遅くもなく、
きわめて当たり前の歩調でまっすぐに歩いてゆこう。


この道はどこに続いているのか。
主人公は、伸びてゆく植物の蔓に聞いたほうがよい、ト云う。
蔓のこたえはこうだ。

私は何にも知りません。
しかし、伸びてゆく方向に陽が当たるようです。



陽の当たる方向に伸びるのではなく、
伸びてゆく方向に陽が当たる、ト、云っている。
ここは重要だ、読み飛ばしてはならない。
進んでゆく場所にこそ陽が当たる、ト云っているのだ。
運命は常に味方だと励ましているのだ。
なんというさりげない優しさだろう。
挫けないで進んでゆこうという、背を支えるような言葉。
がっちりと抱きとめるのではなくって
そっと手を添えるような柔らかさ。
人を愛する者にしか書けない言葉だと思う。

私は最近、極端に疲れている。
そのおかげだと思うが、
この小説の最後に
このような美しい言葉があったことに
この年になってはじめて気が付いた。
この台詞の爽やかな尊さに
漸く気が付けた。
苦労してきていない者の思考の軽さだろう。
人生を知らなければ、
金の林檎をだされても気が付けないのだ。

こんな言葉を綴ることが出来る太宰治という作家は
誰がなんと云おうと、陽性と勇気と希望の人だ。
私は改めて、彼への敬愛を深めたのだ。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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苦境に思う


カントの鳩の不幸は、
自らの飛翔が空気の抵抗を拠所とすると
気付かなかったことだ。

重い空気を押して掻いて、
それこそ筋肉は千切れ
骨は軋むほどに羽ばたいてこそ
鳩は空高く飛翔できる。
真空の中では、
鳩はただ地面でハタハタと
虚しく翼を空回りさせるだけだ。

今、私は苦境にある。
しかしこの苦境は
次なる飛翔に絶対必要なものだ。
逆に云うと、
苦難なくして進捗はありえないのだし、
バネの抵抗は大きいほど
跳ね返りも強いと云える。
シラーだったかの戯曲に曰く、
こんなにも苦難が多いところをみると
運命は余程に私を大人物に仕立て上げたいようだ


うむ。
私は、要するにこうした文を綴ることによって
自分を励ましたいわけだが、
どうにも虚飾や見栄が見え隠れしていけない。

カントやシラーを引き合いに出すのは結構だが、
もうすこし、こう、
小川に笹船を流すように
さりげなく語ることは出来ないのだろうか。
小賢しさが鼻についてどうにもいけない。
草枕に曰く、角が立つのだ。

冒頭の鳩の話は
パンドラの匣にでてくるが、
いかにも自然にサラリと嫌味なく語られている。
こういったところに
自分の技量のなさというか、
もっとこう、根本的な人間性の欠陥を感じるわけだが、
まぁ、悩みすぎずに頑張ろう。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

損失の連続


作家の名前は忘れたが、
十年くらい前にこんな短編を読んだ。


あるところに男がいた。
平凡で、何処にでもいるような男ではあったが、
男は努力して新築の家を建てた。

丘の上に悠然と存在するその家には、
愛する妻と子があった。
暖かい家族、帰るべき住処、
人生の安らぎに無条件で浸れる約束の地…
要するに、その丘のうえには男の全てがあった。

男は、今、丘のふもとの酒場から
静かに一人でグラスを傾け
美しく実った幸福の果実を眺めている。
男はその時間を幸福だと感じた。

併し男は、
世にも恐ろしいある事実に気付く。
「この幸福もいつかは終わるものなのだ。…」


恐怖による動揺は男を
妄想の沼へと引きずり込む。

近い将来必ずくるであろう老い。
老いた姿の自分がこの酒場から、
同じように丘の上の家を見上げている。
其処には最早、灯りはともっておらず、
老朽化した家は夜風に吹かれて
不気味に軋みながらぼんやりと存在している。
家は荒廃し、家族を失い、
最早老いて死んでゆくだけの自分が、
一人で酒を飲みながら、
真っ暗な丘の上の家を見上げてこう呟くのだ。
「あの頃はなんて幸せだったのだろう。……」

きっと来るであろうこの未来に、
男は悲しみの涙を流し、この話は終わる。
(大体大筋こんな話だったと思う)



さて、このように、
恐怖による妄想とは恐ろしいものです。
こんな考えに取り憑かれていれば、
未来は自然と荒廃の道へ繋がってゆくでしょう。
莫妄想、妄想することなかれ。

どうせ考えるなら
もっと楽しい可能性を追求したほうが
いいに決まっているのですが、
人間とは不便なもので、
何故か恐怖に支配されがちです。
実にいけません。

こういう時は津軽のあれを
声に出して読むに限ります、即ち、
さらば読者よ、命あったらまた他日。
絶望するな、元気でゆこう、では失敬!





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

達成感


どうにも中途半端はいけないという話をしてみようと思う。

何かするなら徹底的になさねばならぬ。
適当に流して体裁だけ整えてみても、
後には何も残らない。
チーズを作ろうとしてミルクに手を加えたが、
ちょっと表面に膜が出来ただけ、といった趣だ。

先日、座禅を組もうと
どっかと座ったまではよかったが、
なんだか膝が痛いような気がして
半跏趺坐にした。

実のところ、その日はどうにも弛んでいて
膝の違和感を理由に楽な作法に逃げた訳だが
たまたま魔が差した、というか、
否、本当に膝が痛いのなら仕方ないのだが、
理由にするほどの痛みでもないというか、
否々、痛みですらなく、
先に違和感と書いたが
それでは違和感に怒られるほどの程度のもので、
・・・要するに私はサボろうとしたのだ。

とにかく、
形だけでも、ト座ったのだが、
足をしっかり組んでないと
これがもう、眠くてならなかった。

う~む、う~む、とウトウトしながら、
気が付くとひどい前屈になっていて
明らかに坐睡と呼ばれる居眠り。
噂には聞いていたが、
坐睡とは甚だ心地の良いもので
特にそれが修行中に行われたということから
「してやったり効果」のようなものも働いて
実に快感であった、ような気がする。
書いていて気付いたが、
今思うと全くの時間の無駄だった。

さて、あっという間に終わった。
いつもならやり遂げた達成感に打ち震えるところだが、
そんな感動は一切なかった。

普通であれば、後半の自分は、
火にかけたヤカンのようにグラグラと煮えたぎるところだが、
半跏だと先にも述べたように
安らかな眠気にフワフワと空を漂う思いだった。
しっかりと足を組んでいれば、
まだかまだか、もう少し頑張ろう、うむ、もう少し!
などと、苦難を乗り越えて感動の終了チャイムを聞くところだが、
この日は半分寝ぼけていたので
なんの特別な感情も湧かなかった。

なるほど。
矢張り人生にはにはある程度の負荷が必要だ。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

5年


5年前のあの日、
永遠に続くかと思われた幸せな時間は
突然に崩れた。

そらが亡くなったのち、
私達は必死になって花を守った。

然しその懸命な日々もやがて静かに終わり、
そして今に至る。

矢のように飛び去るはずの現在は
凝っとして進まず、
未来は時の経過を拒否するかの様に
頑固に私を押し留め、
静かに佇むだけであるはずの過去は
そのあまりの力強い美しさに
私を大いに苦しめた。

それでも私達は生きてきた。
そして、私達を支えたのは、
他でもない、その過去であった。
美しい記憶は
時として私を悩ませたのは事実だが、
又、同時に、
無条件の愛情で私に寄り添ってくれた。

片時も忘れたことがない
花とそら
今でもはっきりと思い出せる。
だから、これからも生きてゆけるのだ。

5年が経った。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

メトロノーム (後半)


さて…

この話の流れだともう大体の予想はつくでしょうけども、
はい、
結局ジム君はメトロノーム選手に負けてしまいます。

hana ordinary花「うぉぉぉぉい!www」

sora scaredそら「なんでしゅってぇ!?」


それも、何の見せ場もなく、あっさり。

hana happy花「バプス~www」

sora sorryそら「何があったというのでしゅかっ!?」


ジム君は要は、個体燃料のロケットだったのです。
固体燃料は細かい制御がききませんので
一旦点火されると一気に燃え尽きるのですが、
その分、パワーは強力ですごい推進力を発揮します。
もうこれ、例えがこれしかありません。

何しろ、途中で何の前触れもなくいきなりリタイアした
ジム君の姿は、ほんのちょっと前までの輝きは一気に消えて
なんだか干ばつの後の老木のようになっていたのです。
インスタントエイジング(瞬時の加齢)という言葉は正にこれで
もう全くの別人、誰だかわからないくらいに
燃え尽き、疲れ果て、甚だしく疲労し、
輝くばかりの若い姿は最早何処にもありませんでした。
例えは悪いですが、
半死半生の何かの干物といった趣で・・・

前半飛ばし過ぎて後半リタイア。
この選手は最早、
このパターンが様式美のようになっているそうです。
あの眩しい笑顔は
調子に乗りすぎ、浮かれすぎた結果での、
未熟なだけの子供の笑顔だったのです。
で、過去数度のレースも同じパターンでリタイアしているとか…。

200812HANA DARUMA 069

SORA uuu07JAN09 010

それをしっかりと見越して、
諦めず、
堅実さと手堅さで以て
コツコツ型の亀、そう!メトロノーム選手が
矢張り最後は勝つというこの大正義!
努力! 真面目! これこそが人生!

…ト、いう話で締めくくりたかったのですが、
ジム君の自爆ランのおかげでそれは台無しとなり、
更に付け加えると、
そのメトロノーム選手すら
全く無名の新人、しかも自らの弟子に
あっさりと抜かれて優勝を逃すという…

コピー ~ 12JAN09 218そら「はうぁっ!!」

hana ordinary花「ぷす~www」


まぁ、それはそれでドラマというか、
とにかくもう何が何だかわからないレースだったのですけども、
まぁ、しかし、堅実さは常に無謀に勝るという、
このことだけは確かなようです。

私は常にメトロノームでありたいと思いますが、
思いもよらぬ伏兵に足元を救われぬように
気を付けようと… 
あぁ、これがなんとか教訓っぽくなりますので、
どうにかシメはまとまったようです。


26MAY10S.jpg そら「現実は驚きの連続でしゅ!」

hana kyupi 花「だから人生おもろいんぞな!」




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

メトロノーム (前半)


先日テレビでトレイルランニングのレースを観た。

トレイルランニング、略してトレラン。
私も数年前まではこの運動にこったものだったが、
いつしか山から遠ざかるようになり
今は簡単なハイキングですら年に数回となってしまった。
矢張り、
連れて行ってくれていた花とそらの存在は大きい。

さてトレランであるが、
テレビのそのレースは何処ぞインドネシアあたりの
フランス領の島を縦断で駆け抜けるという壮大なもので、
当然火山島であるから地形も厳しく、また、
湿気を伴った暑さなので
レースは畢竟、地獄の様相となる。
観ている方は楽しい。

hana ordinary花「マジかwww」


テレビは途中からみたのだが、
アメリカの弾丸とあだ名されるすごい若者が
先頭を独走していた。
その走りは正に弾丸で、スタミナ配分など考えず
ただひたすらに駆けているのだが、
笑顔がとても眩しく
心の底からレースを楽しんでいる様が伺える。
これは異常な身体能力の高さを含む
天才タイプに違いないと思われた。

かつて一世を風靡した
高橋何某という女性のマラソン選手は
元々、ミトコンドリアだかのエネルギーを変換する機能が
どちらかというと鳥類に似ているとかで
身体の作りがそもそも違っているという話を
どこかで読んだが、
こういった変異の天才はあっさり優勝するものなので
アメリカの弾丸、ジム君、もそのままの勢いで
ゴールするだろうと
私は高を括って欠伸交じりにレースを鑑賞していた。

sora mumuそら「選手しゃんたちに謝るがいいでしゅ!」


太陽のような笑顔で先頭を走るジム君のはるか後方に
あるベテラン選手の姿があった。
名前は失念してしまったが、その選手は世界的に有名で
様々な大会で何度も優勝している実力派とのことだった。

決して自分のペースを崩さず、
焦らず…
ただ淡々と正確な歩調で進むその姿を
いつしか世間は「メトロノーム」と呼ぶようになった、ト、
その説明だけで、その選手の堅実さと手強さがわかる。

併しそのメトロノーム選手も今回ばかりは相手が悪い。
遥か彼方の先頭は、若く、明るく、余裕の表情のジム君だ。
剛は時として柔を一刀両断に断つ力を持つ。
彼にはそんな雰囲気がある。
その姿は太陽のように輝き、疲れなど微塵もない。
飛び散る汗が黄金に見えるほどだ。
私は雰囲気に弱いので
ジム君の優勝を確信していた。
「後半に勝負の時がきっと来るよ。」
休憩でインタビューに答える
メトロノーム選手の発言は強がりにしか聞こえない。
カメは決してウサギに勝てないのが現実なのだ。

hana ordinary 花「さぁ、はたして!www」

26MAY10S.jpg そら「後半に続くでしゅよっ!








いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


記憶の鮮明


この頃またよく花とそらの夢をみるようになった。
夢のなかで私たちは
何の変哲もなく日常を過ごしている。

一緒に走り、笑い、時にははらはらし、
ふたりに挟まれて座って
そっと両脇の背に手を当てると
それはもう
生きているものから感ずる暖かい感触に違いなく
まぎれもない過去の真実の現出なのだ。

目を覚ました時に手に残る感触と
過去の現実に感じていた感触と
そこにはなんの違いもなく、
双方ともに、私の感ずる断固たるファクトである。

そうなってくると、
夢と現実とは何も変わらないと結論せざるを得ない。


8年前に私たちはあの公園を歩いた。
昨晩の夢で私たちは同じ公園を歩いた。
どちらの記憶も鮮明だ。
そこに、現実と夢との違いはない。
花とそらはいつも私と共に在る。…







私はこのように二つの現実世界を生きている訳だが、
敬愛するスーパースター太宰治も
フォスフォレッスセンスという作中に於いて
同じように語っていた。(と思う)

まぁ、あの作品の彼の筆には、
いつもの自己陶酔の悪い癖が出ているようで
そこはちょっとクスっとしてしまうところだが、
スーパースター(太宰治)だから仕方ない、の一言で解決だろう。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

自転車


長年乗った自転車がついに稼働限界を迎えた。

専門店によると、なんでもペダルの軸の部分だか何だかが
もう修理出来ない程に傷んでいるということだった。
ブレーキも、いくらワイヤーを引っ張っても限界があるとのことで
それならブレーキ一式取り換えようとも思ったのだが、
結局ちょこちょことした交換を短いスパンで行うことになるので
その費用は馬鹿にならない見通しで(確かに思い当たる)
買い換えたほうが早いし安い、とのアドバイスを受けた。
私は愛着のある自転車を手放したくなかったので、
なんとか修理しながら乗ってゆこうと考えていたのだが
その店員さんの断固として毅然とした物言いに
ううむ、と唸ってうなだれてしまった。
これが去年の夏の話である。

さて、それからだましだまし乗ってきた。
買い替えの必要性をかんじつつ、
いろいろと理由をつけて先延ばしにした。
夏は暑いからもう少し乗ろう。
秋は紅葉で滅びの季節だし
悲しいからもうちょっと。
冬は寒いし、どうせなら花の咲く季節まで待っていたい。
春は世間が変化していて
せわしくて仕方ないからタイミングが悪い。

しかし、きぃきぃと軋む音が息切れしているようにも聞こえ、
どうにも不憫でならなくなった。

この自転車は、花とそらを失った後の私を
たくさんの場所に連れて行ってくれた大事な友だ。
再生の為の旅、順礼の歩み、祈りと追悼と見送りと、
現実と向き合う為の決心を固める為の、
明日への放浪を共に進んだ仲間だ。

苦しい時を共に過ごした相棒であるので
ある種の糟糠の妻といった思い入れがある訳だが、
もういかん、もういけない。
休ませてやる時が来た。
人生とは損失の連続である。
またも私は現実と向かい合うこととなった。


雨上がりの初夏の空は
かぎりなく青い。
私は今、悲しい気持ちは大いにあるけども
最早それに押し潰されることはなく
ただただ感謝の気持ちに心は澄んでいる。

あの冒険の日々を忘れることはない。
涙で回想することもないだろう。
凡てはこの相棒、隆盛号(りゅうせいごう)のおかげだ。



15JULY17 Ayase 028

15JULY17 Ayase 035

24JUN17 AYASE 028

2014-07-08 2014-07-08 001 001

2014-07-03 2014-07-08 001 001

2014-04-24 24APR14 055

29MAR16 MEKUJIRI Rvr 006

2014-08-05 007

2014-08-22 22AUG14 FJ 006

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今、新しい自転車を迎えた。
タイプは若干違うが、色は同じ赤だ。
赤兎、と名付けた。
人生は損失の連続である。
そして、出会いの連続でもある。




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和歌


先日、Facebookをみていたら
ある方のアップされた写真と
添えられた和歌に甚だ感動したので
その時のことを書いてみたいと思う。

初夏である。
空は晴れわたって輝く青さが眩しい。
休日に集まったお仲間さん達と
屋外でお茶会を催されているようだ。
楽し気な雰囲気が伝わってくる。

私は遥か遠くの地にありながら
まるでその場にいるように錯覚していた。
うむ、これぞ科学の勝利、ありがとうFacebook!
などと頷いていると、写真群に
和歌が添えてあるのが目にとまった。

その歌は、写真の場面の中で起こった
一瞬の事件を
短い言葉で見事に表現して
清々しい感動へと昇華させていた。
その描写の素晴らしさは私を甚だ感動させたので、
この思いを誰かに伝えたいという衝動に
私は思わず階段を駆け下りて家人のもとへ
飛んで行ったほどであった。

hana ordinary 花「ぷす~www」

sora happy そら「なんか可愛いでしゅ~!」


何気ない一瞬を詠んだ言葉に
その場で感じた全ての感動が込められている。
それが日本の和歌だ。
仰々しい物言いや煌びやかな美辞麗句などいらない。
(むしろ邪魔になる)
感じたそのままを言葉に並べれば
自ずと自然そのものが表現されることとなる。

hana ordinary 花「みたいなwww」


有名な、蛙飛び込む水の音、の俳句などは、
音を表現することによってその場の静けさを強調し、
本来であれば一瞬で過ぎ去る自然の美を
言葉で結晶化して永遠としている。

芭蕉の感じた美を
現代の私達が同じように感じることが出来るという
この奇跡!


コピー ~ 12JAN09 218 そら「盛り上がってきたでしゅ~!」


なんか超昔の人の感じた一瞬を
現代の私達が感じることが出来るのって
すごくないですかっ!? 
江戸時代なんてFacebookどころかネットもなかったってのに!!


sora sorry そら「急にどうしたんでしゅかっ!?」

hana happy 花「超昔の人ってのが馬鹿っぽいwww」



さぁ、落ち着いてゆこう。

歌というのは、
その一瞬を伝えたいと思った詠み手と
それを感じる相手との間にかかった
感情の橋とでも云うべきものである。
歌というのは、
世知辛い世の片隅にひっそりと咲いた
人の心を癒す美しい花である。

私がFacebookで見かけたその歌は、
冒頭で述べたように
屋外に於けるお茶会の写真に添えられたもので、
初夏の清々しい風が吹き抜けてゆく様を
自然に感ずることが出来る優れた作品だった。

私は、
疑似体験に驚き、
表現の巧みさに唸り、
そして、
感動の共有という興奮を感じて
文化的な衝撃に身を震わせた。

sora mumu そら「なんかすごいでしゅ!」



さて…
人の作品をそのまま掲載するのはさすがに憚れるので
言葉を変えての紹介となるが、
オリジナルには遠く及ばないまでも
雰囲気だけは伝えられると思う。

感動を共用出来たならば幸である。



hana ordinary 花「いつもながらの前置きの長さwww」

26MAY10S.jpg そら「漸くたどり着いたでしゅ!」






薫陶が吹き抜けて茶筅を倒していった

どこへ行くのかと見上げた視線の先には
若々しい緑と眩しい青空が広がっていた












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