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嘆かず悔やまず生きる ~大石順教尼~


HANA・SORAで読むあの人この人
大石順教



明治三十八年(1905)六月二十一日、
悪夢のような事件が
17歳の大石よねの人生を激変させます。

その日、
酒に溺れた狂気の父・万次郎が
日本刀を手に
一家に襲いかかり

よねの弟や妹を含む
五人を斬殺。

よねは奇跡的に一命を取り留めましたが
生き残ったその姿は

両腕を斬り落とされた
むごたらしいものでした。

世に言う「堀江六人切り事件」です。



この日本中を震撼させた事件の後、
生きる術を持たないこの少女は
旅芸人の一団にその身を寄せ

生きるため

両腕を失くしたその無残な姿を
「見世物」として

地方を巡業することとなるのです。



好奇の目に晒されるだけの
屈辱の日々

いっそ死んでしまったほうがと
そう思っても
誰もよねを責めることなど出来はしなかったでしょう。

しかしよねは
人生を諦めませんでした、
懸命に生きたのです。



そんな生活の中、
よねはある東北の宿屋で

カナリヤが雛に
口移しで餌を与えている姿を目にします。

腕のないカナリヤも
こうして一生懸命に生きている


よねはこの時、
口に筆をとって書画を描くことを思いつきました。

「くちに筆とりて書けよと教えたる鳥こそわれの師にてありけれ」

暗黒のようだったよねの人生に
一筋の光明が挿した瞬間でした。





その後

よねは
様々な艱難辛苦に耐えながら
画筆の道にうちこみ

亡くなった家族を
そして
理不尽な暴力でよねから全てを奪い去った
父親すらをも弔いながら

書画の世界での表現の力を
神がかりな域にまで
高めてゆきます。



よねの残した
その奇跡のような作品の数々・・・

よねの描いた書画からは、
よねの持つ大きな慈愛の心と

彼女の過ごした人生の
言葉に出来ないほどの重さが感じられ

それを見る度に、
いつもいつも
自然に涙があふれてしまいます。

そこには
まさに

魂が形となって現れているのです。




その後よねは

出家して仏門にはいりました。


こうして
大石順教と法名を授かったよねは

障害者の方たちを支援する施設を設けるなど
粉身砕骨して
世の中のために働き続け

慈愛の心で人々を救い



慈母観音と呼ばれて
多くの人に愛されながら

昭和四十三年四月、
81歳でこの世を去りました。



人生のあらゆる苦しみに耐えながらも

諦めず

人を許し 愛し

まっすぐに生きた大石順教尼。



嘆かず 悔やまず 生きる



彼女ののこしたその言葉は・・・ とてつもなく重い。








大石順教尼の作品の数々はこちらから
(先生の足跡→写真集)をクリック


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コメント

とても感動しました。
記憶を辿りながら読ませてもらいましたが、私の記憶は断片しか思い出せず、改めて大石順教先生の偉大さに打ちのめされました。
よいお話、ありがとう~

=shio-chan様=

大石先生の人生には
私も本当に心を打たれました。
あれほどの逆境の中であったにもあらず
心曲がることなく
まっすぐに生きてこられたその姿は
まさに仏の姿だったと思います。

このたびは
コメントくださり
ありがとうございました。

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