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10年の秋


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ファイル名からすると、この写真はちょうど10年前、
2009年の11月に撮ったもののようだ。

当時の私は花とそらと一緒に山々を駆け、
草むらに寝そべって秋の高い空を見上げながら
なんの心配事もない幸福に
思わず伸びをしてわーッと叫びたくなる衝動にかられ、
花そらをぎゅッと抱きしめながら、
なんだかもう、有頂天のそのまた絶頂だった。

家路につく前には夕陽をながめながら
それでもなんとなく切ない気持ちになって
そっと花そらの背に手を置いたりしていた。
花とそらは、こちらを向いて静かに微笑む。
相模川のほとり、丹沢をみていたあの静謐を忘れない。
人生の倖いというものが凝縮されていた。

私はあの頃、確かに倖せで、
思い返せば夢の中を浮遊していたように感ずる。
それでも心のどこかに別れへの予感は常にあったので、
こういった俳句が重く、重く、感じられたのだ。
今では、より一層。


おりとりて はらりとおもき すすきかな

ふと手折ったすすきの思いがけない重さをうたった俳句。
命の尊さや損失の悲しさが
見事に表現されているように思う。

学識の士に云わせると本来の解釈は違っているかも知れない。
しかし、私がこの言葉に感ずるものは、
この世の無常と人の無力のやるせなさ、だ。
人それぞれの解釈が出来ることが
優れた文学である証、と誰かが云っていたが、
この俳句がまさにそれで、
本来の解釈と違っていようが何だろうが、
私にとっての人生を表す重大な一作であることに
変わりはないのだ。


読んでくださった方、ありがとうございます。




この俳句の作者、
飯田蛇笏といえば高浜虚子の弟子らしいのだが、
そうすると間接的にのぼさんの弟子でもある、とも云える訳だが、
どうもこういった場合、孫弟子、という言葉があるらしい。

らしい、らしい、ばかりでいかにも頼りないが、
まぁ、ブログなんてものは個人の趣味で書いているので
なんのあてにもならない前提だから
解釈のことも含めて
笑ってお許し願いたいところです。
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