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うた



前回、見知らぬ誰かがインターネットに掲載した
廃校の写真の数々と、
朽ちてゆく教室の黒板に記された
ある素晴らしい歌について語った。

改めて、日本の文字文学の素晴らしさに感動した。

流れゆく悠久の時の中で朽ちてゆく母校、
それを現在というポイントに立って見つめている自分。


例の歌は、
決められた文字数で心情を見事に表現していた訳だが
和歌の素晴らしいのはここなのだ。
無駄な装飾が一切なく、必要最低限の言葉で以て、
決められたルールの中で最も効果的に思いを表現する。

まぁ、和歌に限らず俳句や川柳も同じだ。
制限の中で、如何に言葉を選んで、抑揚を工夫し、
己の心情を表現するのか。
これはある種、
ゲームや遊びに通ずるとも考えられるので
気楽で楽しい文学ともなるのだ。
例のお茶商品の川柳など、皆さん楽しんでいて
実に微笑ましい。

こう云うとなんだか
決まりにこだわっているようだが、
これは決して自由律の句を否定している訳ではない。
尾崎放哉のように
心情をそのまま何の細工もなく表現するのも
芸術の極みの一つであるし、
そこに規制がないぶん
かえって自然がそのまま自然というか、
これはもう別のジャンルといって良いくらいなのだから
こちらはこちらで、また、美しい。

私は派手な装飾を好かない。
お金と言葉は無駄に使うな、トいった意味合いの言葉があるが、
シンプル且つ内容の充実したものが
最も美しいと思うし、
そこに文学の極みがあるとも思う。

ちなみに前述の言葉は中国のものであるが、
中国の歌も又、素晴らしい。
漢詩の美しさは芸術であるし、
その技法や平仄に則った整然、しかも、
雄大で且つ繊細な美しさ。
こういった文字文学は世界共通で美しいと思う。
漢詩を読むと一献かたむけたくなるのも、また愉快だ。

しかし私が最も好きな漢詩は
実は怒りの作品である。
所属する組織と決別する際、
己の怒りを漢詩に込めて
壁に殴り書きにして去ってゆく士が
中国の物語にはよく登場するが、
私のような俗人には
その姿がとても崇高に見えて眩しく、
ある種、ヒーローを見上げる少年のような心境になる。

何の話だったのか、かなり本筋から逸れてしまった。
黒板の和歌にもどろう。

作者不詳、山奥の廃墟にひっそりと綴られた
美しい人の痕跡。
血脈の通ずる言葉。

これが達人の作であることは最早疑う余地もなく、
私はただただ、心底、いたって感動してしまい、
在野の賢人とは実在するものなのだなぁ、などと、
膝を打ってうんうんと何度も頷いたのでした。



読んでくださった方、ありがとうございました。
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