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廃校 後編


廃校の撮影者、鑑賞する私、
そこに現れた第三者。
この第三者こそが、実は今回の主役であり、
私がお伝えしたかった最も重要な存在である。

私はインターネットに掲載された
名も知らぬ誰かが撮影した廃校の写真を見ている。
前回、芸術という形を以てお互いの感性が共感したと書いたが、
現実には私の一方通行な思いでしかないので、
他者の干渉それ自体が起こりえないはずだ。

しかし、起きた。
その第三者はそれほどの衝撃だった。
廃校内部を進んでゆく撮影者が
ある教室へ足を踏み入れた時、
黒板に残されていた
その第三者の残したある痕跡。
静止した時の中に
見えない波紋を発し続けているかのような、
朧げでありながら判然と綴られた文字。
私はその時、はっきりとこの問題の第三者と
対面していたのだ。

朽ち果てて悲しからずや我が母校
窓辺 滅(数文字判別不可) 悠久の河


なんという和歌だろう。
見事な表現だと、先ずはハッと感嘆する。
それから胸に流れ込んでくる
この方の寂寥感というか、悲しい思いに、
今度は息がつまりそうになる。
朽ち果ててしまって悲しくはないのだろうか、ト、
疑問形であるが、明らかに悲しみを肯定している。
下の句が一部判別不能なのが惜しまれるが、
窓辺を流れる時間という悠久の河は滅ぶことはない、
トいった内容なのだろうか。

この黒板の和歌を実際に目にした瞬間の
撮影者の驚きと感動が伝わってくる。
出会いの際、撮影者と和歌の作者との間に、
どんな無言の対話があったのだろう。・・・
そんなことを考えながら、また何度も読みかえした。
私たち三人は、静かに盃をかたむけた。

この黒板に記された
人の心の欠片も又、
朽ちてゆく運命からは逃れられない。



読んでくださった方、ありがとうございます。


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