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廃校 前編


最近のネット社会というのは便利なもので、
見ず知らずの他人様が掲載した
冒険の写真などを楽しむことも出来たりして
これがなかなか楽しい。
写真とは表現であるのでそこには芸術性がある訳だが、
時として胸を打つような一枚に遭遇することもあり
私の場合は廃墟の写真群にそれを見出す機会が多い。

どこそこの廃墟に行ってきたので写真を掲載・・・
これが私の最も興味をそそられる種別だ。
今回は廃校の写真を楽しむことが出来た。

森と同化する過程にある朽ちてゆく建物。
どうやらどこかの山の中の廃校らしい。
かつては几帳面な直線で構成された人工物が
今や歪んだ曲線に見悶えている。
ところどころの壊れた部分から幼い樹木が枝を伸ばしていて
年月の経過が見て取れる。
これからゆっくりとこの樹木たちは成長してゆき、
建物はただ滅びてゆくのみだ。
それは侵食でなく浄化であり、
無理に曲がった梁を緊張から解き放つ救いであるのだ。
自然にかえろう、土にかえろう。
森は今まさに、
疲れ切った建物を抱擁しようとしている。

冒険者は内部に足を踏み入れる。
埃を被った机や、うず高く積まれた本、
ボロボロに劣化した手書きの日誌や連絡帳。
かつて人がいたことを示す生活の痕跡は
その建物が放棄されたことを雄弁に語る。

今や、埃と乱雑の静まり返った空間であるが、
かつてこの教室では子供たちが学んだ。
遊び、走り、時には喧嘩をし、
笑い、泣き、ほのかな恋心をおぼえ、たくさんの思い出を作った。
そして皆が例外なく去っていったのだ。

時は確実に流れる。
それはそのまま、
決して戻れない過ぎ去った過去を意味するのだから、
過去が美しければ美しいほど
胸の痛みも鋭いものとなる。
廃墟とは即ち、損失を具現化したものなのだ。
私はどうにも、そんな風にしか見ることができない。

きっと、この冒険者/撮影者も同じ思いであろう。
だから、私の様に思いを同じにする者が鑑賞すると、
その胸の痛み、過去を偲ぶ哀寂、
帰れない日々を思ってのいたたまれない思い、
これらがはっきりと伝わってくる。
冒頭で芸術という言葉を使ったのはこの為だ。
撮影者と私の間には共感という絆が生まれた。
これが芸術の醍醐味だ。

そんな思いで写真の鑑賞を続けていたが、
ここで思わぬ第三者の登場となる。

(長くなったので一旦おき、後編に続けます。)




読んでくださった方、有難うございます。

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