洗濯


私は洗濯が好きだ。
人それぞれ、意味もなく好きなものがあろうが、
私の場合は洗濯に限る。

洗濯カゴにほんの少量でも
未洗濯の衣類があれば、
洗濯せずにはいられない。
片付くことに喜びを感ずるのだ。
放ったらかしは許されない。

洗濯物を干すのにも拘りがある。
先ず、物干しハンガーに干す洗濯物は、
左右均等でなければならぬ。
然も、風通しの良い配置でなければならぬ。
そして最も重要なのが見た目の美しさだ。
乱雑であってはならぬ、乱れていてはならぬ、
凡てが均等で、
古代ギリシャのような様式美が求められる。
これらはほんの基本の原則だ。

乾いた洗濯物の取り込みは、
ある種、秋の刈り入れに似た喜びがある。
そしてここにも決まった作法がある。
洗濯物は、すわ!と一気呵成に取り込んで
次々と山積みにしてゆき、
しかる後にどっかと座って
落ち着いてたたむものだ。
山と積まれた収穫の喜びを
じっくりと味わうことに、
このステージに於ける醍醐味がある。
洗濯物取り込みのプロセスは、
流れ落ちる滝の動と
さざ波む滝つぼの静に似ている。

こうして洗濯物は箪笥へと帰ってゆくわけであるが、
落ち着く間もなく取り出され、着られ、
そしてまた洗濯される。

この様な衣類の運用に、
私は水の循環との類似をみる。
川を流れて海に到達した水は、
蒸発し、雲となり、雨となって大地に降り注ぎ、
そしてまた川を流れて海という箪笥へ帰ってゆく。
洗濯とは、
この一連の運命を実行する
形而上学的な儀式(ceremony)と云ってもよい。

時折、洗濯するものがなくて、
仕方なく、数回しか着ていない
充分以上に綺麗なパーカーを洗ったりもする。
最近ある記事で読んだのだが、
皮脂などの汚れが及ぼす繊維へのダメージは、
洗濯によるダメージよりも大きいのだそうだ。

一般には洗濯の必要がないと思われたものまで
洗濯していた私にとって、
この情報との出会いは僥倖であった。
私の衝動の正当性が証明され、
背を後押しする精神的な追い風となった。

人にはそれぞれ妙な拘りがあるものだが、
私の場合は洗濯への愛である。
次回は掃除愛について語る。


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。








スポンサーサイト

| はなそらDAYz!ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://hanasora0526.blog72.fc2.com/tb.php/1935-9844f0b7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザーのみ)