石田堤と忍城


知力は腕力より強し。
文官好きからの流れに押されて
三成愛に加速がつき、

ついにその余勢をもって、
石田堤まで出向してしまいました。
いやはや、まったく勢いとは恐るべきものです。

26SEP16 ISHIDA 001

この右手の土手がそれです。
忍城攻めの際、
全長28キロにもわたって城を囲む堤を作り、
利根川・荒川の水を引き入れて
城を水没させようと試みたのです。
備中高松城を水攻めした再現ですね。

この時、城はまるで
湖面に浮いているように見えたそうです。
浮き城といえば先ず諏訪を思い出しますが、
諏訪高島城の神々しかったであろう美しさに比べると
忍城はきっと痛々しい悲痛な姿であったと思いますので、
同じ「浮き城」という呼び名でありながら
両者は全くの別物と云えましょう。


忍城水攻めの際、
三成が本陣を構えたとされる丸墓山古墳に登ってみました。

石田三成が実際に見たであろう光景を
今、400年後のこの現代で自分が目にしている。
この感動が、
史跡巡り最大の醍醐味と云えます。


見渡す限りのこの平地が全て水没するその只中に、
忍城だけが勇敢に屹立していた。


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屈服を断固拒否するその姿は
如何に凛々しく、
そして厳粛なものであったろうか。


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この戦いで、忍城が落城することはありませんでした。
守備兵数百に対して、
攻める石田側は二万の戦力。
これだけの戦力差にも関わらず、
忍城は持ちこたえたのです。

寡兵よく大軍を破る、の戦いに欠かせないのは
指揮官の知力であります。
それに兵士の士気が加わると、
こういった奇跡のような結果が生ずる事があります。
知力を最大の武器とする三成が、
(攻めきれなかったのだから)
実質の敗戦を喫したのは皮肉なものですが、
それだけ成田家の実力が豊臣の成金軍隊を
凌駕していたという事でしょう。
まこと、坂東武者恐るべしの一言です。

ミーハー根性で出発した小旅行でしたが、
古戦場での歴史的事実を眼前にし、
最後は姿勢を正さずにはいられない思いでありました。
成田方、石田方、凡ての将兵に対し、敬礼。




一通り見学した後、
正木丹波守利英(忍城の武将)が戦死者を弔う為に建立した
高源寺にお参りさせていただきました。








いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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