無意識での剥落


今回は私が特に気に入っている
このお話をしましょう。
私の頼りない記憶が根拠なので
細部に於いてはオリジナルと違いがあるかも知れませんが、
要点にズレはないと思うので
そこはご寛恕ねがいます。
ちなみに出典は、
玄侑宗久さんの著書だったと思います。


昔、ある老僧と若い修行僧が旅をしていました。
その途中、二人は川で溺れている妙齢の女性を発見、
すわ一大事!と一気に駆け寄り
えぃ!と川へ飛び込んで、
無事に女性を救助しました。

やれやれ良い事をしたわい、と、
老僧は軽快に旅路へと戻ったのですが、
どうも修行僧のほうは深刻で不景気な表情をしています。
何ぞ憂い事でもあるのか、と、老僧が尋ねたところ、
この純朴な若者曰く、
「人助けとはいえ、半裸の女性の肌に触れてしまいました。
その艶めかしさが私を悩ませ、その罪が私を苦しめるのです。」

真面目で可愛いヤツよ!などと、老僧が思ったかどうかは知りませんが、
老僧は呵呵と大笑いしてこう云います。

「なんじゃ、お前はまだあの女性に触れておったのか。
わしはとっくに放しとるぞい。」



うむ!と思わず膝を打って唸ってしまいます。
こちらの老僧には、
見事なまでに執着がありません。
スッパリと切り捨てています。
自分にとって不要なものは
何の躊躇もなく置き去りに出来るのでしょう。
おそらく、そうしようという意識すらないはずです。
川面に浮かべた笹船が自然に流れてゆくように、
何の抵抗も摩擦もなく滑らかに現象するのみで、
これはもう驚くべき清々しさです。

こういった生き方が出来れば
人生に苦しみなど綺麗サッパリ無くなるでしょう。
私たちもこう在りたいものですが、
然し、我々一般人にとってここまでの境地は、
いささか高すぎる断崖絶壁の更にその上の雲の上、
といったところであります。
到底届くものではありません。

でも、がっかりしてはいけません。
こういった姿は一つの指標に成り得るのですから。


つまり、
老僧の背中に手は届かなくとも、
しっかりと視線を逸らさず
ずっとその姿を追いかけていれば、
届かずとも道を間違える事はないのです。
北に向かいたければ北極星を目指せ、の理屈です。

私はそんな考えを持っていますので、
この逸話の老僧に少しでも近づけるように、
(小声:つまり、もっと楽に生きられるように)
どんなに嫌な事や苦しい事があっても
それを捨て去って
瞬時に考えを切り替える習慣を身に付けたい、と…

…身に付けたい、などと日頃から考えてはいるのですが、
なかなか、まぁ、簡単にはいきません。
然し、亢竜悔いありという言葉もある通り、
物事とは何かに向かっている途中が一番面白いものなので、
今はこの過程を楽しんでいたい、と考えているのです。
要するに、あまり真面目とは云えません。

ここでもうひとつ、
私が極めて重大と定義しているこの台詞を紹介しましょう。

もちょっとゆるゆるやっておくれんかな、もし。
「坊っちゃん」より

せっかく楽な生き方を探っているのに
あまりに肩肘はりすぎると
かえって疲れてしまいます。
鉄が壊れにくいのは
硬さと同時に柔軟さを持っているからです。
強いものは、
ある程度のゆるゆる要素を必ず持っているものですから、
あまりに強張ってもいけません。
だから、ちょっとくらい不真面目でもいいのです。

さて、話が妙に横道へ逸れてしまいましたので
今回はこのへんにしておきましょう。

過去への執着は自らを苦しめるだけですから、
今を起点として「ではどうするのか」、を考える発想に切り替えれば、
きっと今が、そして未来が
ちょっとだけ倖せになるかもしれない、トいう話でした。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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