不動堂の甲斐犬


掌編小説 不動堂の甲斐犬

新九郎は今、不動明王と対面している。
静かに手を合わせる新九郎は、
三年前に亡くなった幼い我が子の事を思っている。
死は現実であり、
この世の理であり、自然の掟である。
それはわかった。
しかしこの寂寥感をどうする。
現実を理解出来ても、
新九郎がこうして此処に一人なのは変わらないのだ。
新九郎は苦悩し、お不動さまを見上げた。

お不動さまの爛々と輝く目は新九郎をじっと見下ろしている。
悪を挫き弱気を助けるという
その筋骨隆々とした力強い体躯に炎をまとい、
その存在感は薄暗い堂の中に在っても
空気を揺るがすような凄まじい波動を放っており、
そして同時に鏡の水面のように静かだ。

新九郎は、何か問いたいと思っているが、
何を問うべきかがわからない。
胸の内を語りたいとも思うが、
語りたい気持ちがはっきりとしない。
漠然とした何か、やりきれない感情のみに支配されて、
新九郎は凝っと黙って突っ立っているのみだ。
ただ、悲しく、苦しい。

いつからだろう。
ひっそりとしたお堂の中に、
黒い甲斐犬が迷いこんでおり、
暗闇からじっと新九郎を見つめている。

ご住職が捨て犬を拾ってきたと聞いていたが、
この犬がそうだろうか。
新九郎はさして気にとめず、
相変わらずお不動さまを見つめていたが
そのうちこの犬が新九郎の足元に寄って来て
寄り添うようにピタリと座った。

甲斐犬は気性が荒いと聞いていたが、
この犬は蓬の葉のように静かな気配だ。
犬は、後ろ足で首を掻いたりしていたが、
そのうち伏せをして
前足をちょこんと新九郎の足の甲に乗せた。

犬を見下ろした新九郎の背に電撃が走った。
あっと驚き我が目を疑った。
見上げる犬の両目、その視線が、
失った息子の眼差しそのものだったからだ。
息子の名を呼び、
お前なのか、ト問いかけた新九郎に、
犬は、黙って小首をかしげた。

一人だった新九郎は、この時、確かに二人だった。
あの日々が蘇った。
暫く、夢を漂うように茫然としていたが、
気配を感じてお不動さまに視線を戻すと、
その厳しい表情の口元が
微かにニヤリと笑ったように見えた。
「見かねて会いにつかわせて下さったのか……!」
新九郎は、その大きな慈悲の心に
全身を震わせた。

やがて、犬は、何事もなかったように堂の奥へと消えて行った。
お不動さまは相変わらず超然とされており、
堂は静寂に包まれている。
風に吹かれる枯葉の音が、
辺りの静けさを一層引き立てていたその日、
新九郎は神仏の計らいによって
死別した息子と一時の再会を果たした。







いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。




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