救済の火の鳥


さてその「火の鳥」。
前回も触れたが、
実は大変な問題作である。
なにしろ、作品の内容が、
彼が現実に起こした心中事件とそっくりなのだ。
唯ひとつ、事実と異なっているのは、
作中生き残ったのが女性で
亡くなったのが男性だということ。
実際の事件とはちょうど反対だ。

「火の鳥」
灰燼からの復活、死からの蘇生。
作中、主人公の女性は、
心中失敗というどん底から這い上がり
話題の女優にまで成りあがる。
よく云われるが、
この主人公の姿は太宰の叶わぬ願望だ。
現実世界で死なせてしまった女性を
なんとかして救いたいという願いなのだ。
そして同時に、懺悔であり、贖罪の試みでもあるだろう。
この時の彼はきっと、
女性の生き延びた姿を創作せずには
いられなかったに違いない。

つまり、女性への思いと共に、
この作品の根底にあるのは、
太宰が自分自身へ施した救済であるように思える。
前回の「そ知らぬふりして~」の台詞もそうだが、
彼が自分自身に投げかけているかの様な
叱咤激励の言葉が各所に見られることからも伺える。

僕はなんでも知っている。ちゃあんと知っている。
こんどのあのことだって、僕はちっとも驚かなかった。
いちどは、そこまで行くひとだ。
そこをくぐり抜けなければいけないひとだ。


この台詞などはまさにそうだ。
これは彼が自身に投げかけた理解の言葉だ。

苦しいには違いない、飛びあがるほど苦しいさ。
けれども、それでわあわあ騒ぎまわったら、人は笑うね。
はじめのうちこそ愛嬌にもなるが、そのうちに、人は、
てんで相手にしなくなる。


これなどは自身への叱咤で、
ここから

人間は何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、
それでも耐えて、そ知らぬふりして生きているのではないのか。


ト、こんな風につなげることだって出来る。
つまり、全体を通して
自身の救済というテーマが透けて見えるどころか、
ほとんど開き直りの如く記してあるように思う。

この作品は、太宰が罪悪感の海に於いて
溺死寸前である自分に投げかけた浮輪のように思える。
それだけに、各所に、はっとするような言葉が散見され
ページを捲る手が止まる事が多い。
心して読まなければならない。
(浅学の身の勝手な解釈なので、話半分で読んで下さい。)





因みにこの作品、「火の鳥」は、未完です。
太宰は、この悲しい女性に関する記憶を、
創作の世界に於いて明確に決着づける事を
避けたのかも知れません。
他に理由があったのかも知れませんが、いずれにせよ、
この作品は未完のままでそっとしておくのが
一番のようにも思います。


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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