「火の鳥」について


人間は何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、
それでも耐えて、そ知らぬふりして生きているのではないのか。


前回、太宰治の「火の鳥」からこの台詞を拝借した。
作中では、心中に失敗して一人生き残った女性に、
心優しき伯父がかける言葉であるが、
これはおそらく太宰自身が、
生きてゆく為に
己に投げかけた言葉ではなかったかと思う。
何故ならば、この「火の鳥」という作品は、
彼の人生に於いてのある重大な事件を
そのままなぞって出来たものだからだ。

その重大な事件、心中失敗。
相手の女性を死なせてしまい、
自分だけが
真っ暗な海から生還してしまった、この事実。
そこから生じる負い目、後悔、罪悪感、
苦悶の日々は彼を苦しめ抜いたはずで
生きる事そのものが苦痛であったに違いない。
そんな苦悶の日々からの脱却を図る中で
書かれたこの作品、台詞も畢竟、
切羽詰まった現実的なものとなる。
(「火の鳥」というタイトルにも、
死なせてしまった女性を蘇らせたいという
血を吐くような願いが込められている。)

インターネットなど世間ではどうも、
この台詞だけが一人歩きして
有名になってしまった印象であるが、
私たち読者は、
背後にこのような事情がある事を
知っておかなければならない。
そうして漸く、
その言葉の重みを感ずる事が出来るのだ。
台詞それのみを読むだけでは
真の理解には決して至らない。





「火の鳥」は、太宰が最も健康的に輝いた
彼の作家人生中期、その最初期に書かれたものです。
このような辛苦の日々を礎としているからこそ、
あの中期作品群は珠玉の輝きを放つものに
なり得たのだと、そう思います。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

スポンサーサイト

| はなそらDAYz!ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://hanasora0526.blog72.fc2.com/tb.php/1798-e49362ba
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザーのみ)