鸛鵲楼に登る @丹沢


丹沢のある山の頂上には展望台があり、
そこから見渡す風景は格別なものだ。

悠然と山々を見下ろし
16FEB15 MIYAGASE 021

16FEB15 MIYAGASE 016


振り返れば、町も見える。
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あれが江の島、あの光るのが相模湾。
16FEB15 MIYAGASE 045


白日は丹沢に輝き
相模の青い川は海に入りて流る


高い所に登って辺りを眺望すると、
日頃の悩み事や鬱屈、モヤモヤやイライラが
どうでもいいものに感じてくる。
人間関係、何かの争い事すら
まるで気にならなくなる。

そうだ。
私は今、精神的にもこの世界を見下ろしているのだ。
久しく忘れていた心の余裕。


物事を分けて考える認識、
即ち、善と悪、正と誤、自分と他人、など…
こういった物の見方を分別意識と呼ぶそうだ。
この分別意識を原因として、
他人との対立が生じ、争いが起こるのだという。
一方、分別意識を超えて、
自分を含めたこの世間全体を見下ろす事が出来れば、
私たちは全てに対して寛容になれるのだ、ト、
ある禅僧の著書で学んだ。

分別意識を超える。
そんな事が出来れは、己の精神の安定に繋がるだけでなく、
自らを元とする、己を取り巻く世間をも幸福にしてゆけるだろう。
賢さんは、世界の全てが幸福にならない限りは
己の幸福はあり得ない、と云ったが、
私は、世界全体の幸福とは自分を起点として発するものだと考える。
自分だって世間の一部なのだから切り離して考える事など出来ない
ト、いう事実を踏まえれば、
自らの幸福とは即ち、自分を含めた世間の幸福にもなるはずなのだ。
これは周五郎の言葉からヒントを得た考えだ。


見下ろす、で思い出したが、
「蝸牛角上の争い」という言葉がある。

蝸牛とはカタツムリの事。
その二本の角の上で、ある国とある国が戦争をしているとしよう。
誰かがその小さな世界の諍い事を見下ろしたとして、
その人はこれを何とみるだろうか?

おそらくは、「はぁ~、小さい。…」
そう云って、ため息をつくのではないだろうか?
私が成りたいのはこれである。

誰かに嫌味を云われたり意地悪をされても、
これを精神的に見下ろすことによって
「はぁ~、小さい。…」と云って、笑い飛ばす。
誰だって、蝸牛角上の争いの当事者になんてなるつもりはないのだから、
自然、そうなるだろう。
我、何ぞこれに与らん(関わらない)、の精神である。(呻吟語より)


さて、いろいろと脱線してしまった。

酒もまわってきたし、
小賢しい屁理屈はこの辺りでやめにしておこう。
兎に角、単純に、
高い所から世界を眺望するのは実に気持ちがいい。
それが大自然の中ならば
更に格別な体験となるだろう。
生活に疲れたら、私は山登りをお勧めしたい次第。








丹沢の鸛鵲楼
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足がすくみます。
16FEB15 MIYAGASE 046



足がすくむのは緊張感を持っている何よりの証拠。

千里の目を窮めんと欲し、
更に上る、一層の楼。

気を引き締めて、さぁ、上へ!




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。




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