放蕩ノススメ


数か月前の事であるが、
近所のお寺で「何もしない日」というイベントが催された。

参加者は、兎に角、何もしない。
ぼーっとするもよし。
世間話をするもよし。
うたた寝をするもよし。
兎に角、何もしないで一日過ごそう、という
ちょっと珍しい企画だった。

私は参加しなかった。

学道の人、寸陰を惜しむべし。
少の隙あらば物の本を見、文字ある物を懐に入、
常に人目を忍びて見べし。

これらを信条とする私には、
一日何もしないという発想が
世界を共用しない異次元の出来事と感じられたからだ。
私は常々、
魯粛に「士、別れて三日、即ち刮目して相対すべし。」
そう言い放ちたいと考えている。

そんな毎日であるが、
在る時ふと倦怠と憂鬱を感じた。

それは最初、半紙に落ちた墨汁の一滴であったが
みるみる肥大化して
ついには私の心身を支配するに至った。

自分で決めた学問の計画をこなすことが
困難となり、
気が付けば辞書をガリガリと爪で引掻いている始末だ。
そんな状態が数日続き、
私は自らの醜態に苛立った。

そんな時、ふと思い出したのが、
あの「何もしない一日」というイベントだった。

何もしない一日。
なんという安らかな響きであろうか。
そして、なんとも魅力的だ。
試しに一日、好きな事をして過ごしてみようか・・

多少の葛藤を覚えつつ、
私は一日だけ全てをサボる事にした。
然しどうにも踏ん切りがつかなく、
焦ってみたり、かえって苛立ったりもしたが、
ついに昼間から黒ラベルを開けた。
ルビコン川を飛び越すため
自らの背を押したのだ。
なぁに、漱石先生だって、
憂鬱病には放蕩が一番と云っている。

私は、顔の筋肉を緩め、肩の力を抜いて、
その日、一日を見事に怠けて暮らした。

その結果、淀んだ汚水に満たされたようだった頭が、
きれいに浄化されたのがわかった。
筆硯に最早、なんの停滞もない。

何もしない一日。
これはおそらく、
多事多忙、学問や仏事に忙殺されて
在る時遂にその疾走に躓きを感じたご住職が、
自らを回復されるのに見出された
謂わば経験から生み出された
復調の秘術ではなかったろうか。
「何もしない一日」の企画は
さりげない御指南であったかも知れない。。






18SEP15 IZUYAMA 083a


18SEP15 IZUYAMA 083HS

花そらとふたりの虹もそう云っているかのよう。。




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