不昧因果


仏教思想の基本的な考え方の一つに
「因果律」というものがある。
これは、
全ての結果は何らかの原因を以て生じたものであって、
原因なしには何も生じないという考え方だ。

では、
「誕生」という原因があるからには、
「死」という結果は避けられないのであろうか?

「然り」であり、「否」である。


成程、一見すると「死」は結果である。
併し、肉体の滅びは必ずしも、
締めくくりと云う終結とは言えないはずだ。
何故か?


君に愛する存在を亡くした体験があるとしよう。
私がそうであったように、
君もまた、その喪失を嘆き悲しんだ事だろう。

君が涙をこぼし膝を地面についた時に、
君の心を支配していたものは何だったか?
君の身体に充満していたものは何だったか?


そうだ。
君の愛したその存在への思い、
切実なまでの愛の苦しみに違いなかったろう。

君の愛したその存在は、
確かに現世での役割は終えてしまったかも知れないが、
然し、本当にそれで終わりだったのか?
目を閉じて、周囲を感じてみるがいい。
きっと君は
君を見守る暖かい眼差しを感じる事が出来るはずだ。


「死」は、決して結果ではない。
それは、継続の中の通過点でしかないのだ。
誕生という原因の後に訪れるであろう結果、
肉体の「死」は、それには当たらないと私は考える。
まだその先があるのだから、
焦ってはいけない。



敢えて今回は「不昧因果」と題したけども、
然し、私は決して虚偽を謳ってはいないし、
断じて偽りを示してはいない。
自分の信ずる因果を記したのみである。

さらば読者よ、
命あったらまた他日。
元気でいこう、絶望するな、では失敬。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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