答えは未だ模索中


花とそらを失った時、
私が深い悲しみのなかで
唯一頼る事の出来たたったひとつの光明は、
<全ての創口を癒合するものは時日である>
トいう言葉であった。
それ以外に未来はなく、
ただ月日の経過だけが残された希望であった。

この法則はあらゆる悲しみに当てはまる
普遍の救いだと思っていた。
然し、「智恵子抄」にあるような
今まさに進行している悲しみには
全くの無力である事に気付いた。
それどころか、
この場合の時の経過は悲しみを増大させてゆくばかりで、
あらゆる種類の疲労の蓄積は
容赦なく心身を蝕んでゆくのみだ。
高村光太郎の言葉を借りれば、
(生活の試練鬢髪為に白い)

苦難に直面した時、私にとっての最後の、
そして絶対であったはずの「時間薬」という希望。
それが役に立たないどころか、
害悪となってしまう絶望的なこの状態。

愛する存在が壊れてゆく姿を見ることは
自分が傷つくよりも辛く苦しい。
今の私はまだ、
この身も縮むような境遇について語る事には
到底耐えられないけども、

傷病老死、愛別離苦などの四苦八苦を百苦に重ねても、
この種の「苦」の前では
何の問題にもならないのではないか、と、
それだけは明確に言える。
そうであれば、
そこから逃れる最も有効な選択は
畢竟、「死」しかない。


「生か死か」
この重大なる問題に相対する時、
私の脳裏に常に浮かぶのは
V.E.フランクルである。

彼なら一体、
どんな言葉を示してくれるのであろうか。…・・・


たとえ答えに行きつくこと能ずとも、
悩み考える事そのものが人生であり、
認識無き勝利である。







いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。
スポンサーサイト

| はなそらDAYz!ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://hanasora0526.blog72.fc2.com/tb.php/1696-aa8ffd82
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザーのみ)