あるエピソード


夫、妻、小さな男の子で構成される
ある三人家族が電車から降りようとしている。
この家族はかつて五人家族であったのだが、
二人の子は事故で亡くなっている。

さて、電車から降りた直後、
夫の隣を歩く男の子の後ろ姿を確認した妻は
突如としてまだ電車の中に
二人の子を残してきてしまったような気がして、
殆ど叫ぶようにして
閉まりかけた電車のドアを引き開けようとした。

無論、車内に子供のいるはずはない。
そして、二人の亡くなった事実は
厳然と、くっきりとした輪郭を以て妻の心の中に
確かに存在しているはずなので、
そんな錯覚など起こりようはないはずだった。

それでも妻はそうせずにはいられなかった。

失われた過去を
今、この時、現世に於いての自らの行動と
関連付けようとした瞬間的な熱情。
亡くなった者との関わりを
無理にでも造り上げようとした
ほとんど無意識のこの衝動的行動を、
感情の誇張、芝居がかった稚拙な振舞いと、
誰に突き放す事が出来るであろうか?

妻は、生きる事の苦しさやもどかしさを
拙くはあるが必死に訴えていたのである。
この痛々しい心の叫びには、
何の飾り気も一片の偽りもない
弱い人間の剥き出しの姿があるように思う。







真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)真夏の死―自選短編集 (新潮文庫)
(1970/07/17)
三島 由紀夫

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