ある短編


昔読んだ、
何の短編だったか、こんな話があった。
記憶が曖昧で、
正直、細かい所は違っているはずだが、
(そして、記憶は独自のアレンジを勝手に加えるもの!)
大まかには以下のような話だ。

あるところに男がいた。
平凡で、何処にでもいるような男ではあったが、
男は努力して新築の家を建てた。

丘の上に悠然と存在するその家には、
愛する妻と子があった。
自分の家、暖かい家族、帰る場所、守るべき我が家……
要するに、その丘のうえには男の全てがあり、
男は丘のふもとの酒場から
自らの人生を形にしたような、
自分の手で作ってきたもの全てを
物質に置き換えて構築したかの如きその家を、
静かに一人、酒を飲みながら
眺めているのが好きだった。
男はその時間を「幸福」だと感じた。

併し男は、
世にも恐ろしいある事実に気付き
その恐怖に大きく心を乱されてしまう。
「この幸福、今のこの生活もいつかは終わるものなのだ。……」


恐怖による動揺は男を
妄想の沼へと引きずり込む。

近い将来必ずくるであろう老い。
老いた姿の自分がこの酒場から、
丘の上の家を見上げている。
其処には最早、灯りはともっておらず、
老朽化した家は夜風に吹かれて
不気味に軋みながらぼんやりと存在している。
家は荒廃し、家族を失い、
最早老いて死んでゆくだけの自分が、
一人で酒を飲みながら、
真っ暗な丘の上の家を見上げてこう呟くのだ。
「あの頃はなんて幸せだったのだろう。……」

きっと来るであろうこの未来に、
男は悲しみの涙を流し、この話は終わる。

…………

この男の不幸は、
自分の将来の可能性を
たった一つに絞ってしまったことだ。
しかもそれは最悪に近い可能性であるので
どうにも救いようがない。
何故、子供夫婦や孫たちに囲まれた
明るい老後を遠視出来なかったのか?

人は、損失に対する恐怖を誤魔化す事など出来はしない。
その恐怖は、まるで黒い鋼でできた鷹の爪のようで
私たちの心臓を掴んで絶対に離れはしないものだ。
大小はあろうが、
損失恐怖は常に人の心に食い込んで存在している。

併し、その存在をなるべく感じないようにする方法はある。
短編の男を例にとろう。
この男には、家もあり家族もあった。
だから男は、
今、正にある幸福を精一杯に全身で感じ、
今、正にある愛する存在を全霊で以て大切にしていれば、
最早それだけで良かったのだ。
そうしていれば、きっとその恐怖は和らいだはずなのだ。

幸福を手に入れた瞬間から
損失の恐怖に心を痛めるなんて馬鹿げた事だ。
無駄な神経の消費でしかない。
そんな事に消耗するよりも、
今正にその手にある幸福に全てを任せていればそれでいい。
物事はもっと単純であるべきなのだ。

あまりに思考が加速し亢進しすぎると、
神経に焼け付きを起してしまう結果になりかねない。
用心、用心。……







13MAY14 YMT 006




いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。





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