花そらという果実


春、ある所にあったか細く弱々しい木に、
愛らしい二つの果実が実を結んだ。
まだ青々しく若さに満ちた果実たちは、
生きる意思に満ち溢れて
活き活きとした生命力ははち切れんばかりだった。
果実たちのエネルギーは木にも伝わり、
木は以前にも増して人生に熱心となり
幹は太く逞しく変貌して
枝は天を覆うほどに成長した。

木は果実たちを守る為に
懸命に根を張って葉を茂らせ、
果実たちは木の気持ちに応えるように
真っ直ぐで純粋な愛を示した。
木と二つの果実は、一まとまりの集合体でありながら、
その本質は堅固な一個体、即ち、家族であった。

夏がきた。
果実たちは今や艶やかな紅の身体を
太陽の元に輝かせ、
その生命をこの世に謳歌していた。
空は濃い青に光り、
そこには白い雲がもくもくと湧いている。
鳥が飛び、川は流れ、
海も山もこの世の楽園のようで
何一つ心配事など無いかのように思われた。
木と果実たちは、
心地よい日射しとたっぷりの慈雨に
夢のような毎日を送った。

やがて、秋となった。
ススキは色を失い、
黄金の夕陽に染まる西の空が
その壮麗さを斜陽のもの悲しさへと変貌させてゆくなか、
果実たちの時は段々と熟していった。
森羅万象すべての事象が、
音もなく静かに先へと進んだ。

そして季節は冬となった。
全ては去り、全ては無に帰った。
木はただ一人、同じ場所に立ち尽くすのみ。

そしてまた、春が来る。
果たしてその春は、
去年の春とは違ったものになるのであろうか?




(↓)
昨年、甲斐の恵林寺で撮影した柿の写真。
仲良く寄り添うそうな姿が、花とそらを思わせます。
花とそらは、私の人生に現出した果実でありました。


01NOV14 KAI ZENKOJI 015a2
















では、全てが完璧な姿で或る正にその瞬間、
上の例であげれば盛夏のその季節、
死を以て人生を終えれば
その完璧は永遠となるのではなかろうか。
生の充実を確実なものとする為の、
つまり、矛盾した言い方だが、
生を完璧なものとする為の死もあるのかも知れない。

(併し私は、それを確かめるのは、
 次に来る春がどんな春になるのかを見てからでも
 決して遅くはないと思う。)

……などという、
一種破滅的な考えがちょっとでも頭に浮かぶ方があれば、
是非ともオススメしたい素晴らしいカレンダーを見つけたので、
次回紹介してみる。

その名を「まいにち修三!」という。





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