ニッカズボンの少年たち


老人が年老いた犬を連れて歩いている。

数年前、妻に先立たれ、
老人にとっての家族は最早
この小太郎という名の年老いた柴犬だけとなっていた。
併しその、長年連れ添ってきた良き友であり
そして愛する息子でもあるこの柴犬は、間もなく旅立つ運命にある。
老人はつい先ほど、絶望的な将来予測を獣医師より告げられ、
今はその帰り道にある。
傍らには、何も知らない子太が、
無邪気な笑顔で老人を見上げながら
一見軽快にみえる足取りで進んでいる。

さて、二人の行く先から
二人の少年がこちらに向かって歩いてくる。
十七八くらいであろうか、ニッカズボンを履いている。
派手でだぶだぶの形状を持つその独特なズボンは
職人や建設作業員が好んで履くもので、
ファッション性と機能性を持ち合わせた
労働戦士たちの様式美を極めた一品と言っても過言ではない。
二人の少年、一人は黒、一人は紫のニッカで、
黒のほうは短く刈り込んだ清潔な髪型をしており、
紫のほうは金色に染めて電髪を当てたお洒落な髪型だ。
何事か、少年らしい明るい声で話しながら
老人と犬のほうに向かって歩いてくる。
彼らの背後に夕陽が滲んでいる。

「おっ、犬だ。」
黒いニッカの少年が、
まだあどけなさの残る笑顔を
小太郎にむける。
「触っていいっすか?」

絶望からくる虚脱状態にあった老人に
ふとかけられたその声は、
老人の混濁を覚まして
この世界へはっと引き戻した。

我にかえった老人は、
寂しく微笑みながら
少年の申し出を承諾する。
黒いニッカの少年はひざまずき、
小太郎をワシャワシャと
子供っぽい手つきで撫でたり
背中を掻いてやったりに夢中だ。
「はは!おまえ犬好きだよな。」
もう一人の、紫のニッカの少年が笑っている。

小太郎は、人が大好きな犬である。
特に自分を可愛がってくれる人には
殊更になつく。
後足で立ち上がり、少年の顔をペロペロと舐めはじめると、
ひざまずいていた少年はバランスを失い、
どってんと尻もちをついてしまった。
二人の少年と小太郎は、
どっと声だかに笑っているが、
その傍らで老人は一人、
呆けたような焦点の合わない目で
ユラリユラリと立っている。

老人の頭のなかは、
小太郎の病気、これから間違いなくやってくる絶望の未来、
そして、離脱の術のない井戸の底の孤独、
それら如何にもならない恐怖に支配されつくされており、
この目の前の幸福の光景すら灰色に霞んで見えている。
否、見えてすらいない。

間もなく、小太郎の生命は終わる。

そう考え始めると
老人の心はどんどんと螺旋階段を転げ落ちるように
沈んでゆき、頭の中が、ぐわんぐわんと
寺の大鐘を鳴らすように振動はじめた。
何も聞こえなく、眩暈に前後不覚になりかけ、
真っ暗な夜道で得体の知れぬ何かに追いかけられるような
切羽詰まった恐怖にかられ、
動悸が激しく胸を打つなか、ついに彼はたまらず落涙してしまう。

自分に課せられた悲しい運命など知る由もない老犬は、
無邪気に少年たちと戯れている。
その姿は、老犬というよりも幼い子供である。
無邪気で心の澄みきった子供である。
穢れのない神の子である。
併しその身には、
(歯車が時を刻む正確さで最期の時が迫っている)

少年たちは、老人の真っ青な顔に気付き、
気まずそうに顔を見合わせた。
老人は彼らに心配ないと首を振り、
そうして小太郎の病気のことを打ち明けた。

そうして、
如何に小太郎が人を大好きか、
如何にいま自分が彼らに感謝しているのかを、
途切れ途切れに、ゆっくりと、心を込めて語った。

少年たちは一瞬、はっとしたが、
すぐにその表情は厳粛に引き締まり、
二人ひざまずいて
うんうんと頷きながら小太郎をしっかりと抱いた。
炭の残り火のような色の夕陽は
丹沢の山の端にかかり、
今、この四人を柔らかな紅色で抱きしめている。




少年たちは去ってゆく。
労働で鍛えられたその背中は大きく広く、
そして暖かい。
今日はじめて会った、そして、多分もう会うことのないであろう
この若き友人たちを見送りながら、
小太郎は名残惜しそうに、くぅんとひとつ、小さくなき、
無言の老人は、彼らの背中を静かに見送っている。
その表情は、こちらからは見て取れないが、
わざわざ書くには及ばなかろう。









20NOV14 004SS




いつも読んで下さっている皆様、今日も有難う御座います。




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