宝永にての物語


日本一の名山、富士。

一見完璧な調和ともみられる
そのなめらかな円錐の山体には、
実は南斜面に大きな噴火の痕跡があり、
1707年宝永年間に噴火したこの火口は
宝永火口と呼ばれている。
美しいうなじのような傾斜につけられた
大きなこの傷痕は
何とも痛々しくはあるものの、
地下深淵に押さえつけられている
巨大なエネルギーの存在を連想させ、
学術的浪漫を大いに感じさせるものであるが、
同時に、強い神秘的畏怖も感ずる。

学問の視点からでなく、
心と魂と生命の目を通して「感じる」その姿。
人というちっぽけな存在を制圧するのに、
何の手間も伴わないその圧倒的すぎるパワーからは、
(象が蟻を踏み潰しても気付きもしない、といった)
現実的な存在を超越した形而上的な「何か」を
連想せずにはいられないのである。



先日のこと、私はその宝永火口/宝永山を歩いてきた。
火山学的に多くの興味深いスポットを有するこのエリアは
フィールドスタディにもってこいの場所だ。
スコリアに覆われた急坂は私の心身を疲労困憊させたが、
素晴らしき浪漫の山は私の知的好奇心を充分以上に満足させた。

快心の心持で歩く帰路でのこと、
私は突如、灌木の隙間からこちらに向けられる視線に気付いた。
疲労でぼんやりとしていた意識に、
静かに落ちたひとつの水滴のようなその視線は、
瞬時に私を覚醒させた。

おぉ、なんだろう、
この優しい視線は何処かで感じたものではなかったろうか。……

視線の主を求めたその先、
黒い地面と乾いた潅木、冷たい強風が吹く荒涼とした大地のそこには、
半透明な鹿のかたちをしたものが、すっと立ってこちらを見つめていた。

その姿を認めた時、
私の意識はたちまちのうちに澄みきった。
霧が晴れるように清らかに晴れわたった。
そうして私は、
ひとつの確信を持ちつつも、尚、戸惑いながら、
胸に湧き上って来る思いを必死に抑えつつこう呟いたのだ。

花じゃないのか……?


30OCT14 HOEI 142hanadeer




忘れがたいその瞳。

そのつかのまの、真砂のようにつかのまの、
そのじっとこちらをみつめている眼差の意味を、
本当に知ったのはわたくしだけのような気がするのだ。
花よ、そうではないだろうか。
それをおまえが信じてくれるということが
すでにわたくしにはひとつの信仰のようになってしまっている。


そうしてわたくしは愛する花の眼差に
感謝の想いを込めてそっと手を合わせた。
ありがとう、会いに来てくれたんだね。……

喪われた我が愛する子は、
その時、確かに鹿の身体をかりて
私に会いに来てくれた。


山には人知を超えた叡智の存在が宿っており、
神秘の住むその地では、
この世界とあの世界との垣根が極端に低くなるのだという。
ずうっと言い伝えられてきたこの伝説を
私はその時、明確に理解し実際に体験した。

しばし、視線を以て懐かしく会話を交わしたあと、
鹿のかたちを借りた我が愛する子は、
ゆっくりと歩いて去っていった。

その後ろ姿は、辺りを覆う霧に溶け込むように薄くなってゆき、
やがて、完全に消えた。
後には、幸福に胸がいっぱいになったこの私の姿だけが残った。







人が山岳信仰に至ったのは実に自然な成り行きであり
そこには何の疑問も生じない。

私にとっての「山」とは、
地球科学的現象によって生じた一つの結果であると同時に、
科学とはまた違う世界に確実に存在する精神の拠所、
生命が生まれ帰る場所、現世とは違う次元で存在する神秘が支配する地、
一言で言えば、「神の存在」そのものなのである。

それを前提としてあえて言おう。
今回の物語もまた、決して嘘や作り話とは言い切れないものである、と。
魂は確かに存在するものであり、
時として人は、そのことを事実として実感出来る機会に、
行き当たる幸運に恵まれるのだ。

追記:
この時、そらも花と一緒に来てくれていたのだそうです。
たまたまその場に鹿さんが一頭しかいなかっただけのことで、
そらくんもまた、花と一緒にいてくれたのだと、
あとから教えていただきました。
















そこは、ふたつの世界が交差する場所……

30OCT14 HOEI 134world




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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(2005/12)
三島 由紀夫

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