「ア、 秋」を自分調子にしながら横道に逸れる


トンボ、スキトオル。

秋になると、蜻蛉もすっかりひ弱くなって
乾いた身体とボロボロになった翅を
じっと休めて動かない。

蜻蛉の身体が秋の日ざしに透きとおって見える。

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コスモス、無残。

あれ程の美しさを誇ったコスモスの群れも
秋になると無残に枯れて、
その姿はまるで荒廃した都市のようだ。

部分的にだけ残った薄紅の色が悲しい。

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秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。

秋は夏の中にこっそり隠れて来ているのであるが、
人は目の前の幸福に夢中で
それを見破ることが出来ぬ。

耳を澄まして注意をしていると、
夏になると同時に虫が鳴いているのだし、
庭に気をくばって見ていると、
桔梗の花もすぐ咲いている。
蜻蛉だってもともと夏の虫なんだし、
柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。

秋は、ずるい悪魔だ。
夏のうちに全部、身支度をととのえて、
せせら笑ってしゃがんでいる。

みんなが夏を喜び、
海へ行こうか、山へ行こうかなどと
無邪気にはしゃいでいるほんの先の障子の影に、
とっくに忍び込んで来ているのだ。

然し、人は本当は秋の存在に気付いている。
ただ笑って夏を謳歌しているだけではない。
笑顔の裏で、必ず我が身で経験する事になる
秋という名の終焉に恐怖しているのだ。

どうしようもない運命からは逃れられない。
だから皆、そっぽを向いて無視しようとする。
「自分だけは例外」と、
深く考えることを拒否して
無理に安心しようとする。

然し、恐怖はそんな簡単に誤魔化せはしない。

だから必要以上にはしゃいでみせ、
今その手の中にある幸福に
必死になって酔いしれようとするのだ。
これこそ悲劇である。

ならば、最初から夏なんて来なければいい。







ソレナラ貴方ハ
アノ子タチニ出会ワナケレバ良カッタノ?











私はこの言葉に、瞬時に自らの思い違いに気付いた。
背筋を雷撃に打ち据えられたように感じた。

否、否、否、三度言っても足りない。
その夏があるからこそ、
私たちは生きてゆけるのだった。
それこそが、生きる理由だった。
夏の思い出は人生の宝であり、
私たちを生かす生命の源なのだ。
一時の気の迷いとはいえ、
夏などなければいいという考えは
断じて、断じて、間違っていた。
自分の歩調は、まだまだ定まらなく危うい。

秋ハ夏ノ焼ケ残リ。 焦土であるかもしれない。
それは人生に必ず訪れる、
逃れる事の出来ない運命の季節だ。

では、そこをどう生きゆくか、
To be, or not to be.
疾風に勁草はどう耐えるのか、
それこそが問題だった。
支えてくれるのは、夏の思い出だ。



季節は秋から冬に必ず移る。
そして「再生の春」もまた、
私たちの元に、確実に、間違いなくやってくる。

そう考えながら見上げた秋の空は、
この季節らしい薄い青に
爽やかに輝いていた。
私は今日も、また元気だ。


27OCT14 009a










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