湘南に蟹を観察してひと夏を過ごす (後編)


確かに蟹は小さく、
他の知的生命と呼ばれる生き物と比較しては
身体の構造もきっと単純なのだろうし、
もしかしたら感情なども無く、
ただ原始的な欲求に突き動かされて行動しているのみの
ロボットの様な存在なのかも知れない。

併し、真実はきっと違う。

それは、小賢しいだけの勝手な決めつけというものであり、
人間の思い上がりが創り出した驕り高ぶりの産物だ。

この夏、ずっとこの愛おしい小さな友人たちを観察し続けて
私は彼らの存在をこう結論付けた。


蟹には蟹の世界があって、
彼らは決して人間を含む外の世界の事を認識していないが、
(つまり、気にかけてもいない)

それだけに、その世界の中で必死に生きている。




海藻の森の中でハサミを動かして何かを懸命に食べているもの。
2014-09-12 060Cet
ひたすら食べる彼女を「初」と名付けた。


じっと岩陰に身を隠しているもの。
2014-09-30 30SEP14 Chi 010ahd
雌伏の時を耐える彼の名は「臥竜」だ。


寄せ来る怒涛をものともせず、悠然と闊歩するもの。
2014-08-22 22AUG14 FJ 030wawa
大胆不敵な彼はきっと酔っぱらっている。 「魯知深」の名が相応しい。



喧嘩しているもの、身を寄せ合ってじっとしているもの、
集団で移動しているものなど……

(他にもたくさん面白い写真はあるが、
 スペースの問題もあるので、今回はこの辺にしておこう。)


海にはたくさんの危険が潜んでいる。
鳥や魚などの捕食者、荒天時の怒涛、
波に流さて岩に叩き付けられれば致命傷は避けられないし、
そもそも、その住んでいる海そのものが
巨大なエネルギーの塊であり凶器である。

ほんの一瞬の後の生命の保障すらない厳しい世界の中、
蟹たちは一生懸命に生きている。
だからこそ、その生命は美しく輝くのだ。

私はひと夏、蟹たちを観察し続けて
彼らの存在をこう結論付けたものである。




実に有意義なひと夏であったが、
足の甲にクロックスの日焼け跡が鮮明に残ってしまったのは
うっかり呉用先生の如き大失策であった。




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