海岸の杭にトンビが一羽とまっている。

トンビの名は新九郎という。
邯鄲辺りからの流れ者らしいが、詳しいことはわからない。
新九郎はもう、何時間もこうして同じ場所にいる。
腹もすかぬ、のども乾かぬ。
暑さも気にならなければ
吹き上げる砂塵にもびくともせぬ。
新九郎の心は無だ。
その精神にはさざ波ひとつ立たぬ。
何故なら新九郎の存在その物が、
雲であり森林であり太陽であり
広大な大地の一部であるからだ。
新九郎は完全にこの世界に溶け込んでおり
眼前の景色と一体なのである。
即ち、新九郎には、
「己」という概念もなければ「他者」という概念もない。
つまり意識すべき対象が存在しない。
対象がなければ仮想の敵に緊張することもなく、
他者のする事にあれこれと思い悩む必要もない。
新九郎は「虚無」である。
木偶の如き顔は更に表情を失い、
語る事も稀となり、
ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。
眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く思われる。」
秋の日の浜辺に
太陽の光が燦々と降り注いでいる。
新九郎は、今日も変わらず遠くを見つめている。

青字の部分は、中島敦「名人伝」より抜粋したものです。
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