雪の夜の話


昔、ヨーロッパの海で若い水夫が死んだ。

検死を行った医師は、
その過程でひとつの驚くべき現象を発見し
記録にのこした。

医師の証言は、実に不可思議なものであった。

死んだ水夫の瞳に、
どこかの家庭の食事の風景が映り込んでいたというのだ。

どういうことであろうか?

このような仮説で説明されている。


真冬の嵐が猛るその夜、
水夫は、漆黒の海へ投げ出された。

荒れ狂う怒涛、
途轍もなく巨大なうねりに翻弄され、
もはや助かる道理などなかった。

虚しいあがきの中で、
必死になって水面に顔をあげた水夫が
遥かな空に見たもの。
今生の終末に於いて最後に目に映ったもの。

それは、遠い記憶のなかの、
水夫が最も幸せだった時間の光景であった。
水夫が最も心安らいだ家族団欒のひと時であった。

命が消えてゆく。

しかしその時、
水夫はもはや冷たい北海の海にはいなかった。

その魂は確かに、
温かいランプの光に照らされた
貧しくも温かいあの小さな食卓にあったのだ。


<その瞳に残されたもの>

それはまさに、
水夫が最後に見た光景であったに違いない。

神の手によって
幸福だった時間が永遠となった証に違いない。




昔から伝えられている。

死にゆく者は最後に、
心に残る最も幸せだった記憶に包まれて旅立つのだ、と。

水夫の瞳に残った、
あの美しい一家団欒の光景には

こういった意味があったのだ。




科学的にはにわかに信じ難い話かもしれないが
私はこの仮説が真実のものであると

固く、固く信ずる。








G20NOV12 065




(太宰治「雪の夜の話」「一つの約束」より)

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