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道程


ある試験でなかなか満点が取れない。
のこりあと5点、10点のところまできているのだが、
その最後の詰めが甘いようで
どうしても点数は980点台にとどまっている。
ちなみに満点は990点、取れない数字ではない。

休日はとにかく試験勉強、
最後の詰め、ほんのわずかな水漏れというか、
小さな補強を行う為に励んではいるのだが、
なにしろ範囲が広いのでどこにヒビがあるのか
はいつくばって探しては補強、探しては補強、といった
そんな具合で、どうにも気が遠くなりそうだ。
イメージだと、見上げるような巨大ダムの壁面にへばりつき、
細かな補強をしながら完璧を目指す、といったところだ。

ダムの壁面と完璧とうまく洒落たつもりだが、
そもそも完璧という言葉は
藺相如が和氏の壁を
秦より無事に持ち帰ったエピソードに由来する。
当時の強国、秦の要求を無下にすれば、云々々々・・・

hana ordinary 花「突然どうした? www」

sora scared そら「何があったでしゅかっ!?」

あぁ、すみません。
知ってることを喋りたかっただけです。

・・・・・・・・・

私の学問を支えているのは
「努力とは、才なき者にとっての唯一の味方」
「努力とは即ち人生の充実」
といった、
これら数々の幸田露伴の教えであり
人生のどの一点に於いても
微塵の疑いすら持ったこともない。

しかし、さすがにこうも道程が長く険しいと、
途中、息切れにあえぐこともある。
暮れの青空を眺めながら、
この美しい空にぽつんと舟を浮かべたい、
などと、どこかの文士のような独り言を呟き、
ほぉとため息をついたりするのである。

そうして、鏡に映った自分の姿にうっとりと
敬礼をし、漸く私は・・

hana happy 花「うぉぉぉい!? www」

12JAN09 218 そら「ますます誰かになってきたでしゅ~!」

また脱線してしまいました。


まぁ、要するに今ちょっとスランプ気味なので、
暮れの大掃除でもして
建設的な一日を送ることとします。

勉強はいつでも出来ますが、
暮れの大掃除は季節イベントなので
今をやり逃すとまた来年になってしまいます。

さて、では、どっこいしょっと。




読んでくださった方、ありがとうございます。
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深い森の中にぽっかりと開いたその広場には
森の鳥や動物たちが集まってきます。
皆それぞれ、果物や野菜、木の実を持ち合って、
困っている者に分け与えるのです。

ある時、私は、広場に向かって歩いていました。
傍らを一羽の鳥が飛んでゆきます。
嘴には、小さなナンテンの実をくわえていますが、
広場に入った瞬間に、ナンテンの実は、
立派な林檎に変わりました。

「今日、おかあが会いに来てくれたよ。」
私の足元には、小さな白い猫が座っていました。
子猫は語りかけてきます。
「おかあに会ったよ。」

私は不憫な子猫を抱き上げて
そっと頬ずりしました。
あの冷たい夜に凝っと体を寄せ合っていた
猫の親子。
一人になった子猫を
母猫はいつも見守っているのでしょう。



読んでくださった方、ありがとうございます。

ピアノ


ピアノの音は実に不思議で
鍵盤をポーン、ポーン、と
叩いて出すだけの音であっても
深みと上品な響きがあるのだから、
そこから編み出される楽曲となると
これはもう芸術である。

ピアノの響きには高貴な威厳がある。
格式高い西洋の建築物のようだ。
しかし同時に、
純白の百合の繊細さも併せ持つ。
もっと云うなら、
銀のドレスを着た美しく気高い貴婦人、
神々しい宗教画の持つ神秘、
どこまでも行きつく先がないが、
こう考えているうちに
もしもピアノが弾けたなら、などと
思わずため息が漏れてしまう。

hana ordinary花「その歌い手に貴婦人要素は欠片もないがのww」

コピー ~ 05FEB09 039 SORA iyadeshuそら「歌い手の話じゃないんでしゅってば!」


このように私は、
ほとんど信仰と云ってもいいほどに
ピアノの音を愛している訳であるが、
特に好きなのは
休日にご近所から聞こえてくる
ピアノの練習の音だ。

たどたどしいのに味がある。
たまに間違えるのに趣がある。
優雅なクラシックから、いきなり思い立ったように
となりのトト■を弾き始める
あの切り返しがまた素晴らしい。
人が弾いている、
血の通った生きた音、まさに生演奏、
演奏の向こうに人がいる、
その存在が音楽に命を吹き込むのだ。
CDの機械的な音からは感じられない
生命の鼓動がある。

私は常々、
芸術とはその背後に
「人の鼓動」を感じられてこその芸術と考えている。
例えば、ゴッホ。
あのグネグネした真っ黒な木の枝、
その背後にはっきりと見える彼の苦悩を思うと
胸が苦しくなる。
一連のゴヤもそうだし、モネのカミーユもまた然り。
ドフトエスキーの苦悩、若きゲーテの悩み、
宮沢賢治の理想郷の背後にみえる悲しみ、
芸術からは確かな現実の「人」が感じられる。

hana ordinary花「苦悩ばっかじゃん!?www」

sora scaredそら「となりのトトロはどうしたでしゅかっ!?」


まぁ、その・・・
それが苦悩であれ希望であれ、
明るい音楽の喜びであれ、
とにかくですね、人の息吹の感じられる作品に
ジャンルを問わず、私は芸術を感じるのです。

休日は部屋に閉じこもって
一日中勉強しているのですが、
そのBGMに聴こえてくるピアノの音色に
いつも癒されているので
その感動を書きたかったのですけど
何だかまた、まとまりのない文章になってしまいました。



長文になりました。
読んでくださった方、ありがとうございます。


年月


布団の中で、ふと思った。

年齢を重ねてゆくことは
連続する損失を意味する。
つまり、これから先の人生は失くすことばかりなので、
その現実に自分は耐えられるのだろうか、と。

たとえば、若いころから続けてきたボクシングだ。
もう若い人たちの指導をある程度任されているので
ミットを受けたりしている。
先日も、何人もの若者をマンツーマンで指導した。
育成は楽しいものだから、その日はそれで大いに満足して
清々しいほどの満足感で帰宅した。
しかし、だ。
私が本当に好きなのは、
かつてがむしゃらに拳を振るったあの若き自分なのだ。
その自分は、今は失われた。
しかしこうして、今でもリングでしっかり動けているではないか。
そう自分に言い聞かせても、
今はこうして動けているがこの先どうなるのだろう、などと、
どうしてもネガティブになってしまう。
損失とはどうにもやっかいなものだ。

まぁ、これが現実である以上はどうにもならないのだから、
これから先の人生は
どう向き合ってゆくか、に集中しなければならない。
なるほど、私の答えはもうでている。
禅である。


読んでくださった方、ありがとうございます。

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