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熊野の旅路で聞いたお話 2


(続きです)

また、これも少々ショッキングな話であるが、
病気や老衰などで人生の先がない方による巡礼も多くあったそうだ。
「死に場所を求めて、ということですか?」
と質問してみたが、実際はそんな甘い話ではなく、
つまりは、巡礼者は食料などの施しを受けやすいので
食料もある程度は確保でき、しかも、行き倒れが多い土地なので、
その後もある程度は、ということだ。
甘い話でない、と書いたのは、そこに悲しい現実があったからだ。
要するに、「他の土地にも姨捨という習慣があったでしょう?」という、
語り部さんのこの一言に全てが込められている訳だが、
そういう場所としてこの古道を目指す人もいたのだ。

行き倒れは多かったそうだ。
武蔵の国からの僧侶が行き倒れた場所など正確に記録されているし、
そういった話には枚挙に暇がないはずだ。
コンビニで軽食と水を買って・・などと、
必需品の手軽な確保は出来ない訳だし、
病気もアウト、怪我してもダメ、
野盗が出たらもうオシマイ、
餓死、病死、死はどこにでもあったという現実だ。…

こうなってくると、各所に点在するお地蔵さまが
とたんに厳粛な意味をなしてくる。
死、というものが如何に身近で日常的であったのか。
この古道は現実として死に満ちていたのだ。

少し長くなったので、3に続きます。



読んでくださった方、ありがとうございます。
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熊野の旅路で聞いたお話 1


今回、熊野古道を歩くにあたって
語り部さんにご同行をお願いした。
この時に聞いたお話を忘れたくないので
記録したいと思う。

私は古道にロマンも求めるが、
しかし一方で現実の話にも興味がある。
具体的には、貴族のような戦う術を知らぬ者が
どうやってこの長距離を旅したのか、という疑問。
すわ!と云わんばかりに、聞いてみた。
そこから更に踏み込んだ内容に発展する。
あまりこういう話(血なまぐさい)はしないのだけど、
という前置きの後、
いろいろと教えてくださった。

貴族や皇族については、まぁ、想像した通り、
武士が同行するなど戦闘を専門で行う者がいたとのことで
その話はそれであっさり完結してしまったのだが、
では、地位や財力のない者はどうしたのか?
これはもう、戦って山賊を撃退できなければ討ち死とのことだった。

旅人は路銀をもっているので狙われる。
戦いの痕跡はあちこちで見られたそうだ。
領地の境界線で多くの者が殺されていると、
どちらの管理者が処理するかでもめたりもしたそうで、
そこで、ご遺体の頭が向いているほうの管理者が
処理を行う、などのローカルルールもあったとか。…
とにかく、数が多いので、という話だったと思う。

現代とは衛生の程度が違うので、
刀傷から破傷風、死、ということも多かっただろうから、
たとえ戦闘で勝っても生き残れるとは限らない。
敵との遭遇は、死の大いなる可能性を意味する。
戦う相手は自然の厳しさだけでなく、
むしろ人が怖いのは今も昔も・・・といった印象だ。

さて、日中ですらこれなのだから、
夜間はどこかに逗留しなければならない。
その為の茶屋兼宿屋が要所要所に点在する訳だが、
なんと、ここも油断はできなかったらしい。
ある宿屋などには、吊り天上の伝承が残ると聞いた。
私は吊り天井なるものがなんだかあやふやだったので
これも早速聞いてみた。驚いた。
なんと、吊り下げた偽装の天井を落とすことにより
室内の人間の暗殺を謀る装置、とのことだった。
そいえば、
本多の誰かが将軍暗殺に云々、といった話があったような気がするが、
宿屋、しかも熊野への巡礼者を狙った宿に、吊り天上・・・である、驚いた。

当初は血なまぐさい話に若干の躊躇をみせた
語り部さんであったけども、
この頃になると、元々は私がお聞きした話でもあるし、
口調が滑らかになってらして、
「まぁ、山中での手っ取り早い現金収入のやり方ですから。」
などと、ぶっちゃけた解説もしてくださったが、
宿屋が吊り天上・・・ 
最早、何を信じていいのかわからない。
水滸伝などには旅人の酒に薬物を混ぜて
強盗を働く場面がよく見られるが、
う~ん、日本は、ううむ、吊り天上か。・・・

一応記念に、その跡地の写真を撮ってきたはずだが、
どの茶屋跡が吊り天上伝説だったかわからなくなったので
掲載が出来ないのが残念だ。

長くなったので一旦閉めます。




読んでくださった方、ありがとうございます。

熊野古道、現世を歩く


三島由紀夫に「三熊野詣」という小説があり、
折口・・・じゃなくって、何某先生という登場人物が、
熊野について
「木が深く茂ってほの暗い山々の国だから
黄泉の国と連なるように考えられていた」と説明している。

これに加えて、よく見る旅行案内などの写真も
分け入っても青山といった印象の
山に山が重なり見渡す限り全てが山といったものが多く、
しかもその渓谷には霧とも雲ともつかぬ白い海が
広がるのだから、
私は長年、熊野古道とは静寂で薄暗い
神秘に満ちた特別な場所だと思い込んでいた。

正に巡礼道である!などと
したり顔で腕など組んで頷いていた訳だが、
実際の熊野古道は、
明るく陽が燦々と照り、
木洩れ日は(語り部さん曰く)万華鏡のようで、
蝶々が舞い、鳥が唄い、
色とりどりの花が咲き乱れる
イーハトブのような美しい山道であった。


然し真夏という季節が悪かったのか
私にはその風景を楽しむ余裕があまりなく、
なにしろ暑いので
一歩あるくたびに汗がしたたり、
照りつける陽光はじりじりと私を焼いて
さながらオーブンの中のチキンといったところであったが、これは、
和歌山が本州の最南端と実感するには十分な体験だった。

点在する小さな山中の集落を抜け、
村で使う共同の井戸におぉと感嘆の声をあげたり、
無人販売の梅干しを飛びついて買ったり、
顔を拭くタオルをしぼって汗の量に驚いたりしながら進んだ。
それは正に、現世そのものであり、
霧に包まれた静かな古道を粛々と歩むという
私の幻想は見事に破れた訳だが、
この現世の生を大股で真っすぐに歩くという行為にこそ、
生きる意味があるように改めて感じたのだった。

熊野の旅は再生の旅であるという。
私が銀河鉄道に乗るのはまだ先の話だ。




分け入っても 分け入っても 青い山

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本当の世界の火やはげしい波の中を
大股にまっすぐに歩いて行かなければならない。


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夢の鉄道に乗るその日まで・・・

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読んでくださった方、ありがとうございます。

熊野古道


熊野古道を歩いた。
一歩一歩を踏みしめながら歩いた。

古の人々はどんな気持ちで神の社を目指したのか。
病気や怪我は即、死に繋がる。
物取りも出る、野生動物もいる。
食料の心配もあるし、
なにより大自然のなかで人は無力なのだから
現代人では想像すら難しいが、
いつ死んでもおかしくない旅なのだ。
それでも目指したその先に救いはあったのか。

遠く京から来て、ようやく峠の眼下に社が見えた時、
人々は感動のあまり
ひれ伏して拝んだという。

現世に救いはないと断定し
浄土に救いを求めて旅立つ人々が実際に多く存在した時代だ。
神の社はその姿だけで人々を救済したのではないだろうか。

深い森を進み、
疲労困憊しながら漸くたどり着いたその先に
突如として美しい社が現れる。
私もまた、
その場に神の存在を確かに感じたのでした。



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