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修理


自転車が壊れた。
ブレーキの調子が頗る悪くなって、
ギュッとレバーを絞ると、まぁ、効くには効くのだが、
ガツンという衝撃とガガガガという不快な音を伴うので
まともに機能しているとは言い難く、
とにかく安全に関わることなので
時間を作って自転車さんへ向かった。

驚くべき診断。
なんと、ブレーキシューなる、所謂ゴムパッドが
完全に消滅していて、その為に露出した車輪を挟み込む部品の
金属部が車輪と直接接触していたというのだ。
ガツンという衝撃と不快な音の原因が判明した。
更に、ブレーキの度に車輪を削っていたので
タイヤの内圧で車輪そのものが破裂する恐れがあるという。
事故はいつ発生してもおかしくない状況だったそうだ。

この驚くべき事実に私は恐怖し
早速修理を依頼した訳であるが、
様々な合わせるとなんと総額3万円オーバー。
少し足せば新車が買える。

自転車は消耗品であるので、
今後も考えると効率的には新車の購入が正しい。
店員さんも、それとなくアドバイスを下さる。
しかしである。
この事態、というより失態の原因はなんであるか?
私の無知と不注意と、怠慢、粗忽、
迂闊さと緊張感の欠如が招いたことではないか!

それなのに、金銭の効率を考えて、
まるで使い捨ての道具のように相棒を捨てることが出来ようか?
赤兎、などと名付けて、まるで馬の首を撫でるように
フレームを撫でながら乗っていた自転車を
はい用済み、と買い替えることが出来ようか?
そもそも、この失態は全面的に自分に原因があるのだから、
多少なりとも人の心があれば、そんなことなど出来るはずがない。

直してやらねばならぬ。

修理を依頼し、赤兎を預け、その日は帰宅した。
早く元気になって帰ってきてくれ。
これからはブレーキのこともちゃんと勉強し、
ブレーキパッドの減り具合もしっかり観察して、
注意しながら乗ることにするから、
早く元気になって帰ってきてくれ。
詫びる気持ちと後悔の気持ちと自分への苛立ちの帰宅路、
生暖かい空気の壁は
まるで水中であるかのように私の前進を阻み、
時折ぱらつく雨に濡れ、
進んでも進んでも
一向に家には行きつかないように錯覚しながら
見上げた先は厚い曇天。
私の気分そのものであった。


さて、それから四日ほどして、修理完了の連絡があった。
すぐに飛び出して迎えにゆき、
快調になった赤兎と対面した。
ブレーキはもとよりなんだか全ての調子がいい。
ペダルへの踏み込みが
タイヤを通してしっかりと地面にグリップするのがわかる。
キュっと効くブレーキの反応が心地よい。
車体が軽い。
爽やかな夏の夕暮れに
私たちは風となって帰宅の途についた。








hana fumu 花「なんか、いい話っぽくまとめてるけど・・・」

sora tang2 そら「「まとめてるでしゅけど・・・」

hana face1 花「もちょっと労わってやらんといかんがなもし・・。」

26MAY10S.jpg そら「パパしゃんの無知!粗忽!ラッパ!へちま!」


反省してます~!







読んでくださった方、ありがとうございます。
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続・太陽眠る


太陽眠る。

太陽のようだったあの方は、
魂となって
遺された者を見守る存在となった。

小さなご遺骨となってしまったけども、
なぜだかそこに、
大きく暖かなお人柄を
確かに感ずる。
みんなを見守る気配が
間違いなくそこにあるのだ。

前にも経験した感覚だ。

死して尚、魂は生前と同じに在り続けて
私たちと共にいてくれる。
このことに疑いはない。




読んでくださった方、ありがとうございます。


太陽眠る


太陽、と呼ぶに相応しい方であった。
突然の知らせに私は戸惑い、困惑し、
現実を認識するのに暫くの時間が必要であった。

私のやっているある競技の先生、同時に友であり、
また、信頼のおける人生の師でもあった。

写真をぼんやりと見返していると改めて気づくのであるが、
その方は常に私たちと共にあった。
いつも誰かの為に何かをしていた。
必ずそこにいてくれた。
一緒に喜び、わが身の事のように泣いてくれた。

私は結局何の恩返しも出来なかった。
もっといろいろ出来たはずだ、などと、
後悔することしきりだ。
いつもこうだ。人生とは誰もがこうなのか。
それとも、己の至らなさの結果なのか。

死んだ者はどうなるのだろう。
眠るように意識は消えて、それっきりで、
肉体は単なる物質となるのか。
あるいは、
意識だけが目覚めて魂はあり続け、
遺された者を見守る存在となるのか。

私は後者だと考えたい。




読んでくださった方、ありがとうございます。

懸命の不格好


ボクシングの練習というのは元々過酷なものであるが、
特にこの暑い季節は輪をかけて苦しいものとなり、
練習のレベルを思わず落としそうになるのも人情であるけども、
そこをぐっと堪えて、否、より一層スピードを上げて取り組むところに
努力、研鑽の尊さがあるのだと思う。
練習の後で思い起こし、あの時自分に負けないでよかった!などと、
ぐっと胸をはれば今日もビイルがより一層の旨さだ。
努力とは人生の充実、幸田露伴はあらゆる場面で正しい。

さて、その苦しい練習をこなすには
ある程度、自分を捨てなければならない。
どこかで他人の目を気にしていたのでは
なりふり構わない努力など出来ない。
必死の形相、ぶかっこうな動き、
それを笑わば笑えばよい、
私はキミ達を置いて行こう。
捨て身の研鑽なくして先へは進めない。

私の同志の話をしよう。

その男は元々が不器用で、運動神経などゼロに等しい。
身体も弱く、小さいころからすぐに風邪をひいた。
色白で、例えて言うと、ガリガリに痩せたナマコのような外見だ。
フィジカルの能力は絶望的。

しかしその男は努力の出来る天才だった。
とにかく云われたことをやる、やろうとする。
出来なくてもやる、途中でやめない。
少し足りないんじゃないかと心配になる頭なのだが、
単純なだけに、サボったり手を抜いたり
誤魔化したりといった発想が先ずない。

この男が云われた通り、最も過酷といわれる
手を止めない連打の練習をする。
ただでさえ過酷な特別な練習方法で、
これを続けられる強者は稀な訳だが、
それをこの男がやる。

打って打って、打ち続ける。
動かない体を無理に動かそうというのだから、
スタミナの練習はとにかく過酷だ。
気を抜けばすぐに体は休もうとするので
精神の緊張を一瞬も緩めず、
ある種の発狂の状態を保たねばならない。
これをこの男がやろうとするのだ。

懸命に打ち続ける。
最初のうちはそこそこに動ける。
しかし、ただでさえ苦しい練習でこの暑さだ。
スタミナが切れてからは
その挙動はとたんに不格好になり、
とにかく、動かない体を無理に動かすのだから
正直、目を覆いたくなるほどの無様な動きになる。
歪んだ顔は汗とヨダレで増々醜悪になって、
意識は半分とんだ状態なので少し失禁もしている。
本人が大真面目に真剣なだけに、
苦しみに喘ぐ声と、溺死寸前のような動きが
その姿をより一層滑稽にしてしまう。
しかしながら、
私は常々彼の懸命の姿は美しいと考えていたし、
周囲も華麗に緊張して彼を見守るのが常となっているのだが、
ある時、これを笑う者がいた。

「君らにこの努力ができるのか?」
とっさに問うた者があった。
「出来るわけないよな。 じゃあ、笑う資格はないぞ。」

質問者は続ける。
「しかし、笑ってしまったからには、同じことをする義務が生じたぞ。
おまえら、やんない限りは今日は帰れないからな!」

私の言いたかったことを的確に言い放ってくれたこの彼もまた、
努力の人であるが故に努力の尊さを笑う者を許せなかったに違いない。




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