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全日教養


松下幸之助に、
「一日休養、一日教養」という言葉がある。

週二日の休みのうち、
休養は必要なので一日は休むとして、だが然し!
もう一日はせっかくフリーの時間なんだから、
自分を磨くのにあてようではないか、トいった、
叱咤激励の言葉だったように思う。
(面倒なので詳しくは調べない)

然しこれは、二日間という自由の時間を
半分は甘く、半分は厳しく過ごそうという
万人向けの努力のススメ、といった印象で、
正直いって甘い。

甘いというのは蔑みの言葉ではなく、
半分の努力が出来る人間はもう半分も必ず出来る、という、
要するに、もったいないという点を指摘したく
敢えて厳しい言葉を選んだつもりなのだが、
それならそれで、気取らずにそう云えば余計な誤解も生じないのだから、
ここが私の大いに反省すべき点だ。
…などと、いつも通りに話が本筋から逸れている。

それにしても恐るべきは、
こういう言葉の言い出しっぺ本人は、まず間違いなく
2日の教養では満足していないということだ。
万人に無理のない努力を勧める為に
敢えて甘い提案をしているけども、
こういう人は休日の2日を全力で「教養」しているはずだ。

しかも、残りの5日に於いても、
例の「隙はなくとも隙あらば」を実践しているのではないか、と思う。
忙しい仕事の合間にちょっとした隙間をみつけて
1分でも3分でも抜け目なく勉強する、というあれだ。

こういったことは既に習慣化されているので、
本人にしてみれば当たり前のことすぎて
敢えて特筆もしない。
毎日の生活態度の基礎に、既に努力が組み込まれている。
休日の過ごし方も、推して知るべしなのだ。

まず間違いなく、なんて書いちゃったけども、
まぁ、完全な当て推量であります。
然し、偉人に夢を見てそれを無邪気に目指すことが出来るのは、
一般人の特権ともいえますので、
ここは大目に見ていただきましょう。
私も又、全日教養を目指す使徒の一人であります。



読んでくださった方、ありがとうございます。
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ある一日


今年に入ってからは
安定した日々が続いているような気がする。
新しい部署に移ってから
漸く仕事の骨(コツ)に手がかかった感がある。
しっかり掴んで自分の血肉と出来るのも
時間の問題だろう、などと考えているが、
否、油断は禁物なので、矢張り努力は怠れない。
努力を怠れば後退。
同じ場所に立っていたければ、常に走っていなければならない。
努力は人生の充実。
努力は才無き者に残された最後の希望。
赤の女王、幸田露伴。

窓の外がやけに明るい。
真っ青な空のところどころに
ポカンと浮かぶ白い雲。
瀬戸内の小島群のようだ。
空の海は明るく浅い。
太宰治ではないけど、
舟を浮かべたくなるくらいに綺麗だ。

そう云えば今年2019年は、
太宰治の誕生から110年なのだそうだ。
敬愛する太宰治。
私は親しみを込めてスーパースターと呼んでいる。
何度か書いたと思うが、
彼の本領は「人間失格」のような
わざとらしく醜いナルシズムの記号化作品ではなく、
「眉山」や「黄金風景」、「東京だより」「パンドラの匣」のような
市井の人間の慎み深い、ちょっとした美の表現にある。
彼の目は、人の素朴さと狡さ、厳粛と滑稽、
それらを包括した一つの何と云うか、
生きた人間の美を写実的に追い続けた。

嘘、嘘、そんな奇怪な理屈ではない。
「貧の意地」に登場する貧乏浪人たちは、
そんな小賢しい考えでは描かれていない。
素の人間、ちょっと気取って
懸命に爪先立ちで見栄を張りながら
力いっぱいに生きる人間たち。その美しさ。
人間賛歌、これが太宰治の本領だ。

とりとめもなくことを自由に書いた。
心に浮かぶよしなし事だか何だかを
ただ書き続けるのは意外と楽しい。
窓の外は明るい青空。
舟を浮かべたくなるほどに綺麗だ。





読んでくださった方、ありがとうございます。



6年前の夜


そらが亡くなる少し前、
夜中にお散歩に行くことが何回かあった。

深夜、目を覚ましたそらが
玄関のドアをガチャガチャと押して外に出たがるので
慌てて身支度をしてお散歩に出たものだが、
歩き方がいつもと違って
ウキウキとした歩調の代わりに
なにか焦ったような小走りだったのを覚えている。

突然、止まる。
泰然と何事か考えているような表情で、
一歩たりとも動かずに立ち尽くす。
農道の四つ角の真ん中に
静かな表情で凝っと立っていたそら。
今思うと、迫りくる運命を知っていたのかも知れない。
そんな顔だった。
しかし悲しく痛ましいものではなく、
何か、人生の意味を理解した
全てを悟りきったような落ち着いた表情だった。
そらが歩き出すまで彼の背中を撫でていた。

ワンコは心が綺麗なぶん、
私たち人間よりも神様に近い存在なのだと思う。
そらは全てを知っていた。
大いなる存在と対話していたからだ。



読んでくださった方、ありがとうございます。

6年


死生存亡の一体。
死と生は一体であり決して離して考えることは出来ない、
故に、何かを失う時には必ず何かが生ずる、という考え方だ。
古い中国の賢人に由来する。

そらが現世を去ってから明日で6年だ。
失うものがあまりにも大きすぎて
ただ呆然とふらつきながら生きてきたが、
生じたものがなんだったのかト考えてみると、
落ち着いて考えてみると、
私の頭上に青空の如くに広がって
いつも見守ってくれている大きな愛を
感じることが出来る。

いつもそこにあって、
それがあまりに当たり前だったが故に
気づかなかった愛、青空のそら、自然のなかのそら。

死生存亡の一体、とは、
死と生に本質的な違いはない、という考えなのかも知れない。
なんにしても、
私は今もこうして、花そらと一緒に歩いている。



読んでくださった方、ありがとうございます。



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