立ち止まらぬこと


一日サボるのは一日分後退するのと同じことであります。

立ち止まりは後退を意味しますので、
それを諫めるために
「その場に留まる為には全力で走り続けなければならない」、と、
そんな言葉があるくらいです。
本来この言葉はよく進化の仕組みの説明に使われ…
否、元々はルイス・キャロルの「不思議な国のアリス」からの引用ですが。


立ち止まりは後退を意味すると云いました。
想像してみてください。
ある試験を受けようと、
その項目を烈火の如く勉強したとして、
見事受かったとしましょう。
しかしその後は安心して全く学問しなかったとします。
一ヶ月後に同じ試験を受けて受かりましょうか?

運動で筋骨隆々とした体を作り上げたとします。
しかしその後、怠けて遊び暮らしたら、
一ヶ月でおなかが出てしまうでしょう。

継続だけが、保持をもたらすのです。
帰国子女が、身に付けた言語学を失わないために
なるべく外国人と話す機会をつくるのはこの為です。

私は、一度得た勲章を捨てるつもりはありません。
併しそこには(他のどんなことと同じく)常に代価が発生します。
それが継続の努力です。

物質的な財産には常に滅亡の可能性がありますが、
学問のような精神的財産は
本人が努力を続ける限りは決して消滅しないのです。
地に蓄えた財産はいつか滅びるが、
天に蓄えた財産は決して滅びない、ト、聖書も教えています。

とは云え、私は弱い人間なので常にサボる機会を伺っていますし、
勉強の時間になると、ついつい部屋の掃除を始めたりします。
そんな時こそ、
冒頭にあげた言葉で自らを平手打ちするのです。

「その場に留まる為には全力で走り続けなければならない。」





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


スポンサーサイト

熊谷直実


有名な一ノ谷に於いて敦盛を討って後、
熊谷直実は法然のもとで出家を果たした。

自分の息子と同年代の敦盛を討ったという事実が
決定打となり出家を決意したそうだが、
そうなるまでには様々な艱難辛苦があり
その果てでの出家だったに違いない。
過冷却の実験を思い出す。

この世はもう、実に無常で、
何もかもが絶えず変化し続けている。
行く川のながれは絶えずしてしかも本の水にあらず、とは、
本当によく云ったものだ。
いつまでもこの倖せが続けばいい、といくら願っても、
決してそうはならないし、
淀みに浮かんでは消える泡のように
命は常に去り行くのみだ。

あの時代の武者と現代の私を決して同列には語れないが、
人の世との交わりを絶ってしまいたい思いは
多少なりともわかる気がする。

併し、この無常というものが世の本質であるのならば、
私たちは決してそこから逃げることは出来ないのだろうし、
こうやって真の人生を知ってゆくのだと思う。
漸くその事実に気付いた今だから、
まだまだ人生はこれからだな、とも思う。
いずれにせよ、
私は直実ほど戦っているわけではないので
出家して人を救う立場に転身する資格もないのだから、
矢張りこの現状で生きてゆくしかない。
この先強くなれるかどうかは、自分次第だ。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

ああ我が戦友


「ああ我が戦友」という古い歌がある。

蕭々とした荒野を思わせる一文から始まり、
友の戦死に際し、
死んだら互いの故郷へ知らせたの手紙を書く約束から、
どう筆を運べばよいのか、ト、悩む過程を経て、
遂に手紙を書きあげた後の、最後の一文で完結する。
私が今回紹介したいのは、この締めの一文である。

涙で書いたこの手紙 涙で読んで笑うだろう 
君の母君妹御も やっぱり大和の女郎花(おみなえし)


前回、「手巾」の母親の話に引用した一文は、
ここからきている。
本来、日本の女性とは、
この様に高潔で誇り高く、
まこと、尊いものである。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

ハンカチ


先日何気なくテレビをつけていたら、
脳死と判定された子供の臓器が
他の子供へ移植されることになった、
ト、伝えるニュースを目にした。

会見で、ドナーの母親が、臓器提供へと至った経緯や
思いなどを話しておられたが、
その様子があまりにも淡々としていたので
私は少々の違和感をおぼえた。

子供の死という、
自分たちの身にかかった
おそらくこの世で考えられる最も過酷な運命のなか、
母親のその冷静な態度は
現実認識に至るまでのショック状態にあるようにも見えたが、
しかし、言葉の端々には
悲しみを無理に噛み殺しているような
発声の詰まりがあるようにも感じられた。

それからなにか釈然としないまま
数日を過ごしたが、
ある時、何かのきっかけで突然、凡てがわかった。
あっと声をあげるほどであった。
あの母親は、芥川龍之介の「手巾」だったのだ!

闘病の末に亡くなった息子の死を
その恩師である大学教授に報告する母親。
平然とし、微笑みすら浮かべているかのような
母親の態度に違和感を持った教授であったが、
ふとしたことから、
この母親の手がテーブルの下でハンカチを握って
引き裂かんばかりに震えているのを目にする。

これが「手巾」のあらすじであるが、
あのニュースでの会見は
まさにこれではなかったのか?
母親は、冷静を装ってはいたが、
実は全身で泣いていたのではなかったのか?
取り乱すことを恥とする
古来よりの日本の武士道精神が、
あの時、あの会見で、
母親にあのような態度を取らせたのではなかったのか?…

昔気質の美しい日本人はもういない、とよく云われる。
併し本当にそうだろうか?
表向きは現代人であっても、
やっぱり私たち日本人の精神の根底には
美しく誇り高い武士道精神が生きているのではないだろうか。
その現出が、
あの会見でのあの母親ではなかろうか、ト、
私は感ずる。

やっぱり大和の女郎花、である。
その高潔な姿には涙を禁じえない。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

永遠を実現するヒント


ある小説での話。
愛する女性の美しい姿が損なわれた時、
男は自らの目を潰してその美を永遠のものとしました。

肉眼で知覚する外見的な美を保持する為に
自らの視覚を封じたその行為は実に合理的と云えます。
そして実際に美が永遠化された、
つまり、この理論が現実的である以上、
私がかつて、一度は不可能と決めつけた「永遠」というものに、
実現の可能性が見えてきたのです。

今は、暗闇の中の一点の光のような可能性ですが、
これには必ず応用できる手段があるはずです。

今は朧気でよく見極められません。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

| はなそらDAYz!ホーム |