人生の本番


井伏鱒二だったと思いますが、
ある漢詩を「サヨナラダカゲ人生ダ」と訳しました。

短い一文に込められたそれはもう絶対の真理であり、
人生から切り離せない宿命と云えましょう。

だから、
自分の身で初めてその残酷と理不尽を経験したときに、
ようやく真の人生が始まるのです。

苦との戦いを学び、
支えてくれる他人の有難味を知り、
神仏との出会いを通して
世界への目が開いてゆくのです。

私の人生もそこから始まりました。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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オレンジ色の稜線


遠き箱根の山の端に
秋の夕陽が沈んでゆく。

命が消えてゆくように、
稜線に微かに滲むそのオレンジ色は
刻一刻と光を失ってゆく。

この光はやがて消える。
完全に消え去る。
消失は誕生以来の定めであり、
この世界を支配する絶対のルールを根拠とした
云わば、固定された運命である。

しかしそれを誰が受けとめることが出来よう?

悉皆万物は移りゆく。
それは般若心経をはじめ
多くの賢人のの教えるところだ。

しかし、理屈と感情は常に背を向け合っているもの。

ずっと一緒に歩いてゆきたい。
誰もがそう願う。
しかし決して一緒にはゆけないのだ。

(ブルカニロ博士/銀河鉄道の夜初期稿)


さて皆さん…
この残酷がこの世の理なのであります。

そして真の人生とは、
現実を受け入れたその瞬間から始まるものだと
私は思っています。


(そう思わない時もありますが)






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放浪すべし


ある高名な禅の老師がされたお話のなかでの
さりげない一言が非常に気になっている。

そのお話は白隠禅師の生涯について、だった。
正確に云うと、ある主題があって、
それを説明するのに引用された
多くの話のうちのひとつであったのだが、とにかく、
白隠さんという人は、
こういう人でこういう事がって、ト、お話が進み、
あれだけの人でありながら、
ある時期は、絵を描いたり漢詩をつくったりして
遊んで暮らされた日々があった、ト、そんなくだりになった。

併しそれは話の本筋には関係がなかったので、
老師はすぐに話題を戻されたが、
その直前、早口な老師がより早口になって、
こんな事をおっしゃられた。

まぁ、それがあったからこその後の白隠さんなんですけどね。

話を進めねばならないけども
これは言及しておかねばならん、トいった
一瞬の判断により発せられた言葉だ。

ちょっと笑い話になりかねないが、私のように、
過ごしてきた人生に自信の根拠を見出せない人間は、
常にいろんなことを都合よく解釈して
自らの支援材料にしようとする。
そういった人間がこの一言を聞き逃すはずもなく、
私はこれを、「人生に無駄な要素など何一つない」と解釈した。

この理論でいけば、若かりし頃の私の怠け人生も、
きっと何処かで何かの優秀な構成要素に
昇華するかも知れないのだし、
何がどう陽性に転化するかなんて
分からないのだから、
それならなんだか、もういっそ、
今日は勉強をやめて放浪の旅に出ようか、などと……

こう考えだしたら、まぁ、コーヒー休憩の時間であろう。

hana ordinary花「なにそれwww」

SORA smile 11AUG09 028そら「どうせ休憩するのなら、お茶もお菓子もドーンと準備!」










やってきた事の一つひとつが私の歴史を構成している。
疑問を持たねばならない要素がないではないけども、
私の後悔は改善の為の後悔であるのでそこに無駄はないはずだ。
これは現在へ集中する為の秘訣であるかも知れない。

これだから、老師の言葉は一言も聞き逃す訳にはいかない。


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

練習で苦労して本番で楽をすべし



練習で苦労して本番で楽をする。

ある試験対策の本で見かけたこの言葉を解説すると、
要は、日頃しっかりと勉強し、
苦手な項目から逃げず、
歯を喰いしばって血の汗でペンを走らせる習慣を
単なる日常、ほんの365分の1、としておけば、
本番の試験で苦労しないし
結果に涙することもなく、
長い人生の視点からみれば
畢竟、楽なんだ、トいう至極当たり前の話。

まぁ、血の汗だ何だと大袈裟な話にせずとも、
楽な方向に流されることなく
ほんのちょっと踏ん張る癖をつけて
それをさり気なく日常化しておけば

人生、如何なる試練もだいたい何とかなると思います。
(お金の問題以外は)















でも、どうしてもダメな時は…

sora kyupiそら「レッドブル!!」

hana ordinary花「またかいwww」




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鳥瞰すべし


細々と煩わしい事や
耳障りな他人の言動が気になるのは
その真っ只中に身を置いて、
同じレベルで同じ振舞いをしているからです。
よく云われることですが、争いとは、
同じ程度である者たちの間でのみ、発生するもの。

そんな事を訳知り顔で語るAさんも、
実はそうやって他人を貶める事によって
小さな自己満足を得ている
狭い鶏小屋の住民にすぎません。
同じような話を口角泡を飛ばして語る
Bさん、Cさんと
何ら変わりのない同じ群鶏の一員です。

では、全体を見渡せる鶴の視点を持つ人、
Dさんには何が見えているのか?

鶏小屋という組織の中で、
出鱈目な陰口を囁いたり
謀略で他人の足を引っ張ろうとしている
いい年をした大人たちが、
実に馬鹿々々しい、虚しい道化に見えているでしょう。
関わり合いになる必要がこれっぽっちもないので、
Dさんは彼らの噂話には参加しませんし、
彼らを話題にすることすらしません。
要するに、まるで相手にしていないのです。

一方、AさんBさんCさんという哀れな鶏たちは、
顔を使い分け、言葉を駆使して、
他人を貶めようと今日も躍起になっています。
この違いは何処から生じたのか??

Aさん、Bさん、Cさん。
彼らは実力がなくって、自分に余裕がないから、
常に他者を馬鹿にしていないと安心出来ないのです。
人の事ばかり気になって、
いつも他人の評判を落とすにはどうしたらいいかと、
そればかり考えていますが、
その努力を自らの向上に向けることはしません。

翻って、Dさんの注意は常時自分に向いています。
自分をしっかりと見つめて評価し、
足りない部分を補おうと努力研鑽を積むDさんには、
他人に注意を向ける暇などありません。
そうやって、
これまでの人生で己を磨く努力をしてきたDさんには
それを根拠とする無意識の自信がありますので
自らに余裕を持っています。
ふわりと浮かぶ鳥瞰の視点は、
この余裕から生まれているのです。
決してレッドブルに翼を与えられたのではありませんし、
そもそも翼というものは
血の滲みと歯の喰いしばりを経験した者にのみ、
与えられるものなのです。

とは云え、私はレッドブルが好きでよく飲んでいます。
先ずあのケミカルな香りに
怪しい説得力がありますので、
なんだかプシュと栓を開けた瞬間から
気分が引き締まります。
さらにあの、最初の甘い一口で
気分にブーストがかかる気がしますし、
又、カフェインが

hana ordinary花「うぉぉぉい! 話がズレちょるがな!」

sora mumuそら「翼を与えるでしゅ!」


話に若干のズレが生じましたけども、
鳥瞰の広い視点を持とうと思えば
先ずは努力して己を磨くことです。
そしてそれを継続して行い、日常化する。
自分に余裕を持つ為の、
それだけが唯一の道なのであります。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

自分を問うべし


「あの人の下じゃ大変だろうね。
なにしろ、自分の考えを押し付けてくる人だからなぁ。」

こんな言葉を誰かに云って、
そしてハッと強張った。
実は私もそのタイプに相違ないから。

私にとって、自分の正義は絶対です。
正しい事は絶対に正しいのだし、
そこに疑問があってはなりません。
XXは是が非でもこうだ!という、
「こうでなくてはならない思考」であり、
確信を以て他人を正す事に躊躇などありません。

hana ordinary花「周囲はきっと、えらい迷惑じゃがな~www」

sora mumuそら「ならぬことはならぬものでしゅ!」


たとえ話ですが、私の経営する宿屋に
極端に長身の旅人が宿泊したとしましょう。
旅人の背丈はベッドよりも長く、
足がはみ出してしまい苦情を受けたとします。
さてどうするか。

当然、
旅人の足を切断してベッドのサイズに合わせます。
これでベッドに収まるサイズとなるのですから。

sora scaredそら「ひいぃぃぃぃ!」

hana uhe花「その話、三島のユッキーがよくするよね…」


併しながら、
「過ちて改めざる、是を過ちという」
といった言葉もある通り、
やっぱり間違いは間違いで正すのが
まともな人間の取る行動でありましょう。

そこに非常な窮屈を感ずる私なので、
きっと誰かが何処かで
「あの人の下じゃ大変だろうね。
なにしろ、自分の考えを押し付けてくる人だからなぁ。」
ト、眉を顰めているに違いありませんが、
そんなものなど、どこ吹く風。
蛙の面に小便、牛に説法馬に銭、豚に念仏猫に経、ってなものです。




(ここから小声)
そんな風に嘯くとぼけた私に、
山本周五郎の「武家草鞋」という短編は大変な衝撃でした。
今でも人生の指南書の一つです。


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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