テニスを始めるべし


「やりたくない事はやりたい事」

先日、こんな言葉をある本で見かけて
思わず、なるほど!と膝を打ちました。

勉強や地道な努力は、正直、めんどくさい。
出来ることなら顔の筋肉を緩めて遊んでくらしていたい。
それもいいでしょう。
併し、それら「やりたくない事」は、即ち、
自分が本当に「やりたい事」を実現させる為の
行であり基礎であり、目標に近づく為の手段でありますから、
その段階を放棄した先には何の花が咲く事もありません。
明日の自分は今日作られる、の原則です。

努力が結果を生み出すように、
「やりたくない事」は「やりたい事」に直結しています。
この事実を心の何処かにメモしておくだけで、
弛んだ怠け心など
決して生ずることはないでしょう。

年末年始も努力あるのみ!




子供向けに作られていますが、稀に見る良書です。
26DEC16 TGW 045
なにしろ、読むだけで暖房が必要なくなりますのでこの季節にはうってつけ!



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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座って克服すべし


ある高名な老師によると、
うつ病質の人が座禅をするのは危険なのだそうだ。

座禅は己の精神を鍛錬する目的で行うもの、トいうのが
私の認識であるが、
まぁ、一般的にもそう考えられているハズだ、ト思うが、
それが何故々々、危険となり得るのか?
答えは意外と簡単だった。

うつ病質の人たちとは、その繊細さ故に
己と向き合う事を苦とする種別の人たちであるので、
己と向き合う事を大前提とする座禅とは
極めて相性が悪い、という理論、
当然の理であったのだ。

併し、うつ病と座禅が相容れない関係であると
結論付けるのは少々早計であるようにも感じた。

私は元々人生に於ける弱者であるので
己と真っ直ぐ向き合う事を頗る苦手とする。
だが、座禅を続けてきて多少は何と云うか、
自信が強化されてきたのを実感している。
何かを成し遂げた時など、
これは座禅の効果に違いない!などと、
これまで座ってきた、という実体験を明確な根拠として
出てきた結果に関連付けする事により、
その結果に更なる確信が持てるようになった、という訳だ。

これだけやってきたのだ、トいう、
疑いようのない真実を背景に持つ事には
重大な意味がある。
座禅はその意味を生み出す手段として機能する
実務的な訓練と云っても
云い過ぎではあるまい。

根拠を持てれば自信が生まれる。
つまり、己と向き合う事が苦痛でなくなる。
よって、座禅がうつ病質と反発し合う存在と結論付けるのは
早計である、ト、私は考えたのだけども…

併し、である。
この私の考えが素人の希望的観測である事は
否定出来ないし、
皆が皆、私と同じに考えるとは限らない。
座禅という修行を積んでゆく過程で、
つまり、経験という事実を造り出すその手前で、
重きに耐え切れなくなる繊細な人々も多く在るはずだ。
そうなってくると、
挫折という結果は負担にしかならないので
これはかえって逆効果だ。
たとえそれが単純に相性の問題であり
恥ずべき事でないのは当然なのだとしても、
結果は結果として
その人の歴史を創ってしまうのである。

私の考えは往々にして非現実的であるので、
ここはやはり、経験豊かでその道のプロである
老師の言葉がより真実に近いのは当たり前、ト、
再認識したという結論で締めくくっておこう。




いや、待った。
併し、矢張り、座禅によって鬱を克服する可能性は
ゼロではないとも記しておかねばならない。
極めてリスキーな諸刃の剣、ト、
挑戦するならそれをしっかり認識する事が不可欠となるが、
諸刃の剣の切れ味は前後に鋭いのだから
身に付ければ大変な武器になる。
いやいや、挑戦を思い立った時点で
その人は既に鬱ではない、とも云える訳だから、
ちょっと論点がズレてきてないだろうか。

うむ、なるほど。
どうも、私の文章はまとまりがなくていけない。
すこし座ってきます。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


現世に於いての
花とそらとの生活は終わった。

あれから三年、
唯々、悼歌のなかで
静かに冥福を祈ってきたのみである。

然しこれは、
一歩を踏み出せない
落胆の人生ではない。

何故ならこの今は、
私の望む静かな哀悼の時間だからだ。
幸福だった人生の鐘の音は
今も静かに響き、
私はその残響に心地よく浸りながら
こう呟く。

今はさようなら。
また会う日まで…。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。




他人を支える杖となる


人間の苦悩とは
生きている限り続くものであるが、

そのなかで如何に生きるか、
どれほどの大股で
この荒波を渡ってゆけるのか、
どれだけ平気な表情を保てるのか。
そこに器量が問われる。

リンカーンだかが、
自分の心は鉄板だ、といった意味の言葉を残したと思うが、
私は自分流にこう云いたい。
私の膝は決して落ちない。

何故なら、
守るべき者もあれば
すべき事も多くありすぎるので、
何かに悩む暇がないからだ。

「世の弱者を救いたければ
己が強くなくてはならない。」

これはある高名な禅僧の言葉である同時に
私の親友である現役の兵士が口にした言葉である。
彼らがその傷んだ身体にモルヒネを打ちつつ
脂汗を滲ませて前進する理由は
この信念に根拠を持つ。

さて、大口叩いてはみたものの、
私は実際、彼らの様に行動出来るのか?
それとも、
誤魔化し笑いでそっぽを向いて
何もなかったかのように振舞うのか?

さぁ、じっくりと己を見てゆこう。







sora mumuそら「見てゆくでしゅ!」

hana ordinary花「もちょっとユルユル頼むぞな~www」




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

気は抜くものでなく入れるもの


ある戦国武将が座右の銘とした言葉、「油断大敵」。

油断というものは
事が上手くいっている時に発生しがちだが、
そうでない時にも
常時どこかにじっと息をひそめて
私たちを狙っている。
私たちの心を支配しようと抜け目なく監視し、
虎視眈々と牙を研いで隙あらば一気に征服しようと
まさに身構えた猛獣のような恐ろしさを持つものなのだ。

sora scaredそら「なんか怖いでしゅぅぅぅ!」


心の浮つきは行動に現れるので、
一度この油断というものが発生すると
内憂外患という致命的な挟撃に
自らを陥れる事になる。
それはまさに、一度起動すれば凡てを滅ぼしかねない
忌まわしき災厄の鉄槌なのだ。

sora scaredそら「地獄の黙示録のBGMが流れてきそうでしゅ!」



先だって重要な会議があった。
絶対に失敗が許されない状況だったので
何週も前から緊張していたのだが、
会議前半は思いの外スムーズに事が運んだ。
そしてそれが落とし穴となった。
私は油断してしまったのだ。

後半、一つの躓きをきっかけとして
しどろもどろに狼狽する醜態を晒すはめになった。
油断さえなければ、ト、後悔してみても遅い。
私は自らに敗れた。

「常に緊張」の一言を座右の銘として
毎日うわ言の様に繰り返していても、
油断から逃れるのは実に難しい、というお話。


hana ordinary花「なんか、まぁ…、いんじゃね?www」






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

新九郎譚 「既にやっておいた」


さて今回は、
我らが新九郎君が
いたく感動したというお話をいたしましょう。

新九郎君は先だって、
幸運にも昇格のチャンスをいただきました。
この機会、逃してなるものか、ト、
軽く書類選考をパスし
勢い込んで2次試験の面接への運びとなったわけですが、
若い新九郎君はどうにも落ち着きませんでした。
高官達が待つ面接室を前に、
新九郎君の鼓動は破裂せんばかりです。

すわ、ここぞ! などと、腹をくくる事も能わず、
ウロウロおろおろ歩き回っているうちに、
(指揮系統は違うのですが)
ある上役にあたるアメリカ人に
ばったりと出くわしてしまいました。

緊張のあまり、
既にすっかり狼狽して
舞い上がっていた新九郎君は、
まるで筋違いの一言を
声を裏返して発してしまいます。

「す、す、推薦状を書いてくれませんか?」

面接の寸前でのそんな要請に意味があるわけもなく、
又、そんな話をいちいち引き受けていたら大変なのですから
承知してもらえるハズもありません。
しまった!と思った時にはもう遅く、
上役の方はいつもの強面で
モルモットの様に縮こまった新九郎君を
じっと見下ろしています。

新九郎君はアタフタおどおどと
冷や汗に額を濡らしていましたが、
この方、突然ニヤリと笑って曰く、

I already did.
(既にやっておいた)


転瞬、
新九郎君の胸が爽やかな感動で満たされた事は
云うまでもありませんが、彼は決して浮かれませんでした。
同時に生じた新しい目標に
彼の背筋はきちんと正されたからです。
目指すべきはこういう人格である、と。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

(因みに新九郎君、見事に昇進を果たしました。)

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