勝敗を決する要因


試験の勝ち負けとは
実際の試験を受ける前から
既に決まっているものであります。

それまでに、
如何に努力を重ねてきたか。
どれだけ歯を食いしばってきたか。
どこまで冷たく、
ゴミを見る様に甘い誘惑をあしらってきたか。

これらが勝負を決する絶対のファクターであり、
そこに、
マグレや奇跡の割り込む余地などありません。
行動こそが真実であり
苦しんだ者だけが太陽と握手をする
権利を与えられるのです。

試験とは! (孫子曰く)
得点という、誰にでもわかる結果を見せつける事によって
相手に敗北を理解させてやる作業に過ぎず、
勝負はそれまでの過程で既に決しているものです。

つまり、勝敗を決する分かれ道は、
試験勉強中、疲れた、ト感じたその時。
そこで踏ん張るだけの
精神的に強靭な足腰があるのか、ト、
この一点にかかってくるのです。

結果を出したいのなら
甘えは禁物です。




hana ordinary花「では、遊んでないで勉強しましょう~!www」

sora mumuそら「………(はむむぅ!)


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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新九郎譚 「落とし物」


これまでこのブログでは、
新九郎という名の若者の話を何度かしてきました。
○○新九郎君は、作者がよく知る実在の人物で、
珍しい話をよく提供してくれますので
これをシリーズ化して記録してゆくことにします。

さて、今回のお話はある落とし物に関するものです。
新九郎君は役人でありますので
落とし物係も経験したことがあるそうで、
今回はその時の
ある印象深いエピソードを紹介しましょう。



落とし物

ある時、人の集まる大きなイベントがあり、
我らが新九郎君は臨時で落とし物係に配属されました。
届けられた拾得物には
凡て書類が作成されて記録が行われ、
保管までには複雑な手続きが求められます。

新九郎君は普段は非常に真面目なのですが
若干合理主義者的で冷酷な部分があり、
財布などの重要なアイテムに対しては
書類作成をはじめとした複雑な手続きも当然と考え
事務的に淡々とこなせたのですけども、
明らかに価値のないと思われる物については
この手続きを無駄に感じた、ト、告白してくれました。
そればかりか、忙しい勤務でしたので、
多少なりともの苛立ちも感じていたそうです。
次にお話します、ある写真についても同様でした。
(役人風情がけしからん、ト御腹立ちでしょうけども、
どうか最後までお読みください。)


それは猫の写真でした。
発見者が道で拾ったというその写真は、
一見して手作りとわかる粗末なケースに入っていて
ゆわえられた鎖もなんだか安っぽく見えました。
ケースを形作るテープの端は黒く変色して薄汚く、
正直なところ何の価値もないゴミのように
新九郎君の目には映ったそうです。
然し手続き上、新九郎君は何枚かの書類を作成せざるをえず、
時間を費やして手続きを終えましたが、
無駄な手間だ、ト、そんな不満だけが胸に残ったとの事。
彼は良き友人ではありますが、
これは少々不届き千万と云わざるとえません。

それから数時間の後、
一人の老人が新九郎君の係を訪ねてきました。
老人はおどおどしながら、
申し訳なさそうにこう尋ねたそうです。
「猫の写真を探しているのですが…。」

それなら先ほど届きましたよ、と、
新九郎君は軽い気持ちで写真を取りだしました。
本当に何の特別な気持ちも感情もなく、
決まり仕事の一環として淡々と行っただけでした。
あんなものを探す人もあるのか、ト、
少々の驚きがあって、
何より手続きが無駄にならず、やれやれ、などと
考えただけだったそうですが…、
この何でもない手続きが、この後しばらく、
強く深く、新九郎君の心に残る事となります。

老人は写真を見るなり、それです!と叫び、
受け取った写真をしっかりと胸に抱いて
「ごめんな、みーちゃん、ごめんな!」と、
涙を流して膝から崩れ落ちました。
「ごめんな、本当にごめんな!もう離さないからな!」
あまりの展開に、新九郎君は一瞬あっけにとられましたが、

人目も気にせず号泣する老人の
丸まった小さな背中を見下ろしながら、
新九郎君は凡てを悟って硬直しました。

粗末と思えた写真入れのケースは、
不器用な老人が
大切な写真の保存と携帯の為に
懸命に作成したものであり、
汚れたテープは老人が何度となく
写真を撫でた悲しみの痕跡だったのです。

猫が既にこの世にいない事も明白であり、
そしてこの猫が老人にとっての
大切な家族だった事も
この状況が雄弁に物語っていました。

この厳粛に際し、新九郎君は、
己の軽率さと馬鹿さ加減を心の底から恥じて、
老人の涙が辛かったのだ、ト、
独り言のように険しい表情で語ってくれました。

新九郎君がこの係に配属されたことには、
きっと意味があったのだと思います。
彼のことですから、きっと無駄にはしないでしょう。
それは、
この初冬の高い青空の如くに明らかです。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

古書


私は古本が好きです。
古本に魅力を感じるのは、
その本をかつて誰かが読んだ、トいう
歴史的事実に基づきます。
何かを共用しているという、妙な仲間意識に
心強さをおぼえるのです。
そして、中でも「痕跡本」というものを特に愛しています。

痕跡本。
過去のオーナーが書き込みをしている本を指してこう呼びます。

痕跡本には、その本を読んだ誰かが、
「ここは大事だ。」
「このフレーズは素晴らしい。」
そう感じた時に印や線が引いてあったりしますが、
甚だしい場合には
抑えきれない興奮の思いが綴ってあったりします。
ここに、「共用」という、一方的な私の思い込みが
知らない誰かとの精神的「接触」に変化します。

さて、こんな書き込みに出会った時は、
見知らぬ誰かの、真っ裸の心の叫びを
偶然に聞いてしまったような
そんな気まずい感覚をおぼえますが、
然し同時に、
屋敷の奥に大事に秘し隠されている誰かの美しい妻を
垣根の隙間から偶然に目にしてしまったような、
妙な甘い胸騒ぎと心地よい罪悪感をおぼえたりもします。

hana ordinary花「それは逃げんと危ないぞな~!www」

sora scaredそら「た、た、忠興しゃん・・・! ガクガクブルブル



しかし、この程度で心を動かされてはなりません。
痕跡本の醍醐味は
人の心の生の声を聞けることにあるのですから、
もっと赤裸々な書き込みとの出会いに
期待と鼓動を高めなければなりません。

本当に素晴らしい書き込みとは、
何故その書き込みがされたのかを推察できるような、
書き手とその過去を思い起こさせる
エピソードが浮かび上がるようなものです。
要するに、
「○○子さんと共に歩いた何処其処が~でこうこうコレコレ」
などと、具体的な名前や書き手の気持ちが
生々しく書き記されている、
鼓動を打つ感情を文書化したもの。
書き手の過去と人生が、
その書き込みの奥に透けて見えるものでしょう。

その多くは、過ぎ去った過去を懐かしむものや、
失われた時を嘆くものですが、
だからこそ、そこには書き手の強力な感情がこもっています。
それは最早、
人と書との或る種の「霊的な混血種」と云えるほどです。

この様な書は、最早単なる古本としての痕跡本ではなく、
誰かの人生の痕跡本、と種別できましょう。
不謹慎かも知れませんが、
赤裸々な人の感情なんて滅多に見れるものではありませんから、
そういう意味では、
極めて貴重な文化遺産と呼べるはずです。
人の目に触れる事を意識して書かれていないからこそ、
そこには真実があるのです。
真実とは、人の捜し求める極まりのゴールでありますから、
これは一つの、人間が到達し得る最頂点と呼べましょう。

然し、常識で考えたら私のこのような考え方は
人の心を覗いて喜ぶ悪趣味なものと解されかねません。
いえ、その通りですね。



本邦には付喪神に代表される「物に魂が宿る」トいう考え方があり、
書物もこの例外ではないでしょう。
それは最早、単なる紙とインク以上の存在なのです。

17NOV16 019a







私がこれまでに最も心を打たれた痕跡本の書き込みは、
ある男性がある女性に贈ったと思われる本に
記されていた美しい一文です。
極めてプライベートな内容なのでここでは紹介しませんが、
半世紀以上も前の美しいラブロマンスに
不思議に胸が高鳴ってのをおぼえています。

ずいぶんと古いものですから、
きっともうこの男性も女性もこの世の人ではないでしょう。
この本も、ご遺品整理などで業者に売却されたものと思われます。
それが何のご縁があってか、今こうしてここに在る。
本の状態は美しく保たれており、
その事が持ち主のこの本に対する気持ちを
雄弁に物語っています。
会った事もない見知らぬ他人ではありますが
この本から妙な親近感を感じ、
そして、
誰かの人生の痕跡に触れるという厳粛に
思わず眼が熱くなってしまうのです。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

対照


良く晴れたこの初冬の日曜日、
用事があって出かけるのに
久々に近所の散歩道を歩いた。

歩くべき理由を失った今となっては、
最後にこの道を歩いたのが何時だったか
それすらも思い出せない。

街路樹の緑が
高い位置の太陽に照らされて
キラキラとした木漏れ日を零していたのを
ぼんやりと覚えているのみ。
季節は無言で推移する。


確固たる足取りで変化し続ける
私を取り巻くこの自然の様相と、
そして、最早、花とそらはいないという
この変わらない空虚な現実。

思わぬ対照の材料に出くわして
私は又もこの世の摂理について
考えなければならなかったが、
こうやって、何処で何をしても
頭に浮かぶのは花とそらの事だけだ、ト、
そう考えていると、
悲しいはずなのに、ふと頬が緩んだ。


月に太陽、花に小鳥があるように、
私たちの魂は決して離れることのない
一対の美しい勾玉をかたち成している。


13NOV16 004







いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

他人を使って名を上げよ


* 最近また、我が人生の指南書である
三島由紀夫の「不道徳教育講座」という
ちょっぴり皮肉でユーモアに富んだエッセイを
空き時間にむさぼり読んでいます。
恥ずかしながら、今回ちょっとその口調を真似てみます。
「不道徳」という前提ですので少々ハメを外していますが、
どうぞ冗談と笑い飛ばして下さい。…



他人を使って名を上げよ

自分では何もせずに
常に人の力ばかりを当てにしている人種というのは
何処にでもおりますもので、
このような人たちは事あるごとに
他を使って己を利する
上手い方法ばかり考えています。

自分の実力を如何に向上させるか、という
オーソドックスな方法に思慮を巡らる事はないので、
ますます事の処理が出来なくなってゆき、
畢竟、他人を利用するしか手段がなくなってしまうのです。

そして困った事に、
日頃からそうした術ばかり考えているので
その腕前に於いてはどんどん熟練してゆくのです。
最早、技術と呼んでも差し支えないでしょう。

彼らは実に様々な方法で
他人からの支援を引きだそうとします。

同情を買うように弱々しく振舞ったり、
お追従の言葉を並べ上げたり、
知恵の限りを尽くして他人を動かし
平身低頭して感謝の意を表しますが
下を向いた顔は
ペロリと舌をだしたりしているのですから
実に油断なりません。

然しながら、中々のしたたか者ですので、
ある意味抜け目のない策士とも云えるでしょう。

こういった人たちを
冷たくあしらってはいけません。
たとえ方向性が間違っていようとも、
彼らは必死な人たちです。
その一見姑息な手段が
彼らの生き残りをかけた戦略である以上は、
私たちはさりげなく
風にタンポポを飛ばすように、
つとめて自然に手を差し伸べなければなりません。
窮鳥懐に入れば猟師も是を撃たず、と云いますが、
ここに或る種の「美学」が発生し、
それは私たちの存在を
今より更に美しく見せることになるでしょう。

さて、美学とは一体何を指すのでしょうか?
敢えて云います、サムライの精神です。


もう一昔前になりますが、
「七人の侍」という映画がありました。
山賊に襲われて壊滅の危機に瀕する村が、
侍(浪人)を雇って村を防衛するというストーリーです。
身体を張った命懸けのミッションにも関わらず
成功しても何の功名もあがることなく、
危険ばかりで
割に合わない馬鹿々々しい依頼ですけれども、
侍たちは是を引き受けます。
そして村を守る為に次々と死んでゆくのです。

多くの戦いの後、ついに山賊を撃退し、
村の安全が保障されたところで
この映画は終わります。
しかしラストは決して大団円とは云えません。
村の民たちは恩人であるはずの侍たちを
無碍に扱い、もう用済みだ、とばかりに
半ば追い出すような態度に豹変してしまうからです。
「お侍さま~!」と、地面に膝をついて
泣きついていた姿は、最早ありません。

然し、生き残った何人かの侍たちは、
そんな村人たちの態度に怒ることもなく、
静かに去ってゆきます。
「勝ったのは彼らだ、儂たちではない。」
と、言い残して…。


私はあの高潔な精神にサムライを見ました。
私たちのその心に
サムライの精神が生きているのなら、
懐に飛び込んでくる窮鳥を
決して追い払ってはいけません。
その鳥は、安全を確認したら、
さっさと飛び去って、
しかも、私たちの頭にフンを落としてゆくでしょう。
然しそれでも私たちは、
涼しい表情でこう云わなければならないのです。

勝ったのはあの鳥だ。
儂らではない。


これだけ聞けば、
なんだか馬鹿をみたような気になるかもしれません。
しかしこの話は美学だけに収まらず、
実学に於いても実は有効です。
何故なら、私たちの周囲の人たち、
彼らこそ、映画「七人の侍」を観終わって
感動や義憤をおぼえた観客に相当する存在だからです。
皆が私たちを見ているからです。

世の策士たちは、
他人を利用して生き残りを果たし、
利用される側はその功績によって名を上げる。
この図式を良く見てみて下さい。
誰も損をしていないばかりか、
なんと、関係者全員が幸福な状態にありますね。
ここに一つの社会的基本相互作用が見事に完結した
理想の人間関係があるように思えます。

そして私たちは決して使い捨てにされたわけではなく、
他人を支援する事によって
しっかり名を上げるという利益を生み出していますので、
利用されたようで、実は他人を見事に利用していますので、
決して妙な屈辱感に捕らわれることはありません。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

真説「ウサギとカメ」


前回、
鈍足でありながら堅実なるA君を
「ウサギとカメ」のカメに例えました。
そこで今回は、
種本である「ウサギとカメ」の話をしてみましょう。

カメは確かにあのマラソン勝負で
ウサギに勝ちました。
それによって、気の毒なウサギ氏は
世界中に汚名を曝す事となってしまった訳でありますが、
まぁ、それはさておき…

あの勝負がカメの「諦めない」という
不屈の努力によってもたらされたという事実は
疑いようもありません。
「諦めたらそこで試合終了」という
あの有名な台詞が思い出されます。
然し、それだけが勝負を分けた要因ではありませんでした。
皆さんご存じの通り、
ウサギの最大の敗因は「油断」でありました。

逆に云えば、ウサギに油断がなかったら
カメが勝利する可能性はゼロでした。
つまり、カメのあの栄光は
100%自らの努力で勝ち取ったものではなく、
競争相手の過失に依存した
非常に頼りないもので、
勝負の決定権は常にウサギにあったのです。
ここを読み違えてはなりません。


今やあの童話は美談として
世界中の知るところとなっています。
地道な努力、諦めない勇気、
素晴らしいではないですか!
然し、もしもウサギが油断さえしなければ、
カメ氏のあの地道な歩みは
世界から嘲笑を受けていたでしょう。
俊足のウサギ相手に何やってんの?、などと。
然し、我らがカメ氏はここでニヤリと笑うでしょう。


歴史、過去というものは決して変える事は出来ません。
タイムマシン云々というのは
現実的な現代物理学からみれば夢物語にすぎません。
カメの勝利がこれだけ周知の事実となっている以上、
歴史的にみてカメの勝利は事実だったのです。
ではなぜそんなことになったのか?

ちょっとだけお教えしましょう。


あの運命の日、
天気晴朗で気温は27度、
南西の風が心地よく極めて快適な日でありました。
そう、これは昼寝を促す最適の天候。
そしてこれは偶然ではありません。
カメは…
この事を事前の調査で知っていたのです。
そしてこの日を決戦に指定しました。

当日、童話の挿絵にある通り、
カメは必勝の決意の白ハチマキで登場します。
頬は凛々しく引き締まり、
口元は固く結ばれ、
表情は本気の情熱に満ちています。
当然、ウサギは笑い転げてしまいますが…
ここで既に油断の種が芽生えつつあるわけです。
カメ氏の誘導が冴えています。

山の上までのコースは童話の挿絵を見る限り
最低でも25キロはあるように見えます。
そうするとこの天候ですから
各地に給水所が必要となるでしょう。
これらのボランティアは、なんとカメの一族です。
「動物界でもトップレベルのランナーであるウサギさんに
わざわざお付き合いいただけるのだから」、トいう理由で、
へりくだった態度のカメ一族がボランティアを申し出たのです。
余裕のあるウサギは片手団扇でコレを了承しました。

さて、これによってカメ一族は、
堂々と水に細工を施す事が出来るわけです。
もう勝ったも同然です。

然し、ウサギだって馬鹿ではありませんから、
敵種族からの提供品を
そう簡単には口にはしないかも知れません。
そこで一工夫必要になってきます。

如何にウサギが快調に駆けるといっても、
当然激しい呼吸はするでしょう。
カメの工作隊は、風上から唐辛子パウダーを
風に乗せて散布します。
カメがこのような化学兵器を使用することに
違和感をおぼえる方もいらっしゃるけも知れませんが、
よく考えてみて下さい。
本邦では古来、カメが玉手箱という恐るべき
デバイスを使用した例もあるのですから
ペッパー散布程度で驚いてはなりません。
而してウサギは水分が必要になる事態の運びとなりますが、
遥か風下の鈍足ランナーであるカメ氏には
何の影響もでないという寸法。

火照る喉を変だと思いつつも
ウサギは給水所でカメ達の差し出す水を口に… 
は、しません。
なんとウサギ氏は、ペットボトルを持参しており
余裕で水分補給を行っています。
片手団扇の余裕はここからきていたのです。
(わざわざこの天候を選んだんだ、
どうせ水に睡眠薬でも入れるのだろう)
どうやらウサギには全て御見通しだったようです。
「その奸計に正面から向かい合い正々堂々と勝利してみせる!」
なんだかウサギを応援したくなってきます。

しかしカメたちはまるで慌てません。
頑張れ、頑張れ、とコース沿いで応援しているのみです。
ウサギのずっと背後から、
まかせろ!まかせろ!というランナー・カメ氏の声が聞こえてきます。
大丈夫、コイツらがどんな策を図ろうとも、
肝心のヤツはまだまだ遥か後方…。

さぁ、ようやくゴールが見えてきました。
もうひとっ跳びで勝利の栄光が待っています。
ウサギ氏は余裕でテープを切ろうと
ゴールに迫り、最後のコーナーを曲がりますが…

なんとその先には、ゴール直前のカメの姿が!
あっという間もなくテープを切ってゴールインし、
一瞬、呆然となるウサギ…!

驚いたことに、
いままで後方を走っていたカメは
実は影武者で、本物のカメ氏はゴール付近に
「最初から」隠れていたのです。
ウサギにはカメの個体の見分けなんてつきませんから、
訳もわからず地団太踏んで悔しがることしか出来ません。
凡ての小細工は、
最後の勝利を決定づけるこの埋伏計から
ウサギの目を逸らさせる為の囮だったのです。
ここに勝負は決しました。

どうでしょう。
これこそ兵法というものです。
カメは己の力を知り、
走りでは決してウサギには勝てない自分を
よく知っていたのです。
その現実を否定することなく
きっちりと踏まえたうえで計略を練り、
この工夫を生み出したのです。
敵の目を本命から逸らさせる計も
兵法の基本の一つですね。
実に見事です。

真相を知ってしまえば、
なんと愉快なお話でしょう。
さて、これが童話「ウサギとカメ」の真実であります。
私たちはここから何を学ぶ事が出来るのでしょう。
これが本日の課題であります。




sora tang2そら「(ポカ~ン…)








SORA uuu07JAN09 010そら「あの… 何なんでしゅか、コレ…?」


hana ordinary花「プリプリ ぱぷす~www」





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