A君を思う


A君の話が続きます。

彼は正にわき目もふらずに目標に向かっていました。
その結果のこの現在です。
然し、元々、
中年にして高校卒業の資格を目指す、という
時期外れの思い立ちに加え、
あまりに無知なその姿に
苦笑いを浮かべる人たちも多くありました。
然しこれは、今まで人生の戦いに背を向けてきた
A君の過失ですから仕方のないことです。

だけども、A君の一見無様に見えるその姿を
見下ろすように嘲笑している
利口なつもりの人たちは、さて、
特別な何かを成し遂げた事があるのでしょうか?
答えは、否、 断じて否。

目指す目標の程度がなんであれ、
人ががむしゃらに努力する姿に美を見出せない人間は
本当の努力を知らない人たちです。
その人たちは一歩を踏み出す勇気を持ちません。
何故なら、彼らは失敗した時の自分の惨めな姿を想像し、
自分は本気を出せばやれるハズなんだ、トいう、
幼稚な幻想にすがっていたい
てんで臆病な人たちだからです。
現実で自分の負けを認めるのが怖い
意気地なしの腰抜けなのです。
怠け者という言葉も加えておきましょう。

一方、A君は挑戦する事に臆しませんでした。
元より、「元ヤン」などという不名誉な身分を持つので
失う名などまるでなく、どん底から落ちようもないので、
それ以上の転落を恐れていない、という理由もあるとは思いますが、

hana ordinary花「うぉぉぉい!(ツッコミ)」

sora scaredそら「もちょっとユルユル頼みますでしゅ!」


それにしても、
しり込みしない、恐れない、萎縮しない、爽やかなその姿。
痛めた頸椎を含めた幾度となく遭遇した挫折ですら、
取るに足らない単なる「過程」としか捉えてなかった
清々しいほどの前向きな思考。
私のようにあれこれと無駄に悩む人間からすれば
これらを持ったA君の姿は、純粋に輝く太陽のようにも見えます。


A君には目標をやり遂げる根性と
地道な努力を続ける精神力がありました。
甘ったれの対極にある決意の人です。
ウサギを追って懸命にもがくカメの様なその姿は、
まことに尊いもので、
かのクーベルタンの云った
「人は戦うからこそ美しい」
という言葉が彼には違和感なく当てはまります。
こういう地道で堅実な男こそ、
何かを成し遂げる本物と云えましょう。
歩いていれば必ず辿り着くの理を
現実で実践した数少ない哲人です。

これまでなんだか偉そうに語ってきました。
然し、果たして私はA君ほどに
ひたむきになれるのか?
A君の澄んだ目を
真っ直ぐに見つめる資格があるのか?



私は自らを貶めるつもりはないので
答えは伏せて置きましょう。
然し、はっきりしているのは、
私が同じ立場だったら
計画を立ててもっとうまくやった、トいう事であります。


sora mumuそら「(さ…、最後のトコ……。)

hana ordinary花「褒めてんだか貶してんだか、よくわからんがなwww」



考え無しの無軌道な人生ではなく
ほんのちょっぴりの計画性を以て事を運べば、
効率的且つ要領よく、より早い時期に目標に近づけます。
勢いと成り行きだけで事を運ぶのは
無駄が多すぎるので、挫折の確率が上がります。
一心不乱も結構ですが、
この点は言及しておかねばなりません。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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時節因果


さて前回、
私の知るある学習者の話をしました。
改めてお話しましょう。

この男はもはや30代に差し掛かる一歩手前で
決意し、(hereinafter、仮にA君としましょう)
プロボクサーのライセンス所得を目指して
厳しい練習をこなしつつ、
ほとんどゼロ、ほぼ無の状態の学力から
子供に顔向け出来ないという理由だけで
猛勉強を積み、
その間にプロボクサーという目標を達成して
しかもほぼ同時期に高校卒業の資格を
修得するに至ったという恐るべき男です。
恐るべき、などと称賛はしていますが、
この年齢まで小中学生並みの学力だったわけですから
偉大なのだかアホなのだか
なかなか判断がつきにくいとは思います。
私は彼を、純粋なアホだと思っています。

hana ordinary花「こら~っ!www」

sora mumuそら「はぅぅ~! (A君しゃん、応援してるでしゅよ!)


そこで今回は
少々ですが細目に触れてみましょう。
(とは云え時間が無いので簡単に話します)

A君の明確に優れた点を率直に申しますと
「決意したその時を逃さない」
「わき目もふらず進む」
この二点に帰着するでしょう。
これだ、ト思ったその時に、
すぐさま行動に移せる彼の強みは
なかなか常人には真似出来ないものであります。
思い立ったが吉日、などと口にしつつも
理由をつけて行動を先延ばしする人は
世間に多く見られますが
A君はその対極の人物と云えます。

A君は、目標に打たれたその瞬間から動き出しました。
躊躇などありません。
そして最も大事なのはここです。
彼は、
最初の一歩を後回しにしなかった。


己を揺さぶる何か。
それに出会った刹那、
これだ、ト衝撃を受けたその瞬間、
そこには縁が生じています。

然しこの縁は極めて儚いもので
ちょっと瞬きをする間に
霞のように消え去ってしまいます。

その時節に生じた因果を
ぐっと掴んで離さない為には、
同時に行動を起こすしかありません。
足踏みしている間にも
簡単に去ってしまうこの縁を
自分のものとするには行動しかないのです。

そうすれば、そしてその歩調を止めなければ、
周囲に堂々と胸を張って顔を高くあげながら
誇り高く生きてゆくことが出来るという寸法。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

隙間時間を活用のこと


長々と三成愛を語ってきました。
歴史の話を始めるときりがなくなるので
この辺りでやめておきましょう。

さて、試験勉強もしっかりやっています。





テストや試験の類というのは
一生ついて回るもので、
これに対応するには
常に勉強をする習慣を
身につけるしかありません。
学問の日常化、
ト云っても難しくはありません。
ちょっとした数分でいいので
呼吸をするが如くに書を開く癖をつけること。
これは誰にでも出来る事です。

「時間がなくて」などと言い訳をして
自らの怠慢を状況のせいにする人が
よくみられますが、
これは勿論、敗北の言い訳に他ならず、
繰り返しますが、勉強など、
何時でも何処でも出来るものなのです。

時間とは「作るもの」であります。
為すべき職務をこなす間にも、
必ず隙間時間というものはあるはずです。
1分でも2分でもいいので
その隙間時間に、懐に入れたメモ帳などを取りだし、
学問を積んでゆくのです。
北条家の家訓も
「少しの隙あらば懐に入れた書物を読め」と云っていますし、
正法眼蔵随聞記は
「学道の人、寸陰惜しむべし」と教えています。
隙間時間を有効活用出来れば、
重ねた学問は膨大なものとなってゆくでしょう。
ちょっとの手間を惜しむ者との差がどうなるかは
明白な結果となって現れます。

しかし、
その隙間時間さえ無いと云い張る人がいるかも知れません。
では、常識外れの多忙を乗り切って
目標を達成した
ある実在する男の言葉を紹介しましょう。

その男は、
所謂「元ヤン」などど種別される者ですが、
建設現場でフルタイムの仕事をこなしつつ
しかも家族サービスを最優先し、
プロライセンス所得の目的で
ボクシングの厳しい練習を続けるなか、
子供に顔向け出来ないという理由で
ほとんどゼロの学力から始めて
遂には高校卒業の資格を取るに至った
(ついでにプロボクサーのライセンスも所得)
愛すべき大馬鹿野郎です。

「そんなに毎日予定を詰め込んで
勉強はちゃんと進んでいるのか? 
それじゃ隙間時間すらなかろうに。」
ト、いう私の質問に対し、
ちょっとはにかんだ照れ笑いで
その男がたどたどしく云ったのは
こういった意味のことでした。

「隙間は無くとも隙あらば」


時間がない、の一言で片づけようとする者と、
あくまでも時間を捻りだそうとする者との
心がけの違い。
それが人生を大きく左右します。

学問とは心掛けです、決意です、
要はその人のヤル気なのです。
志の高い人ならつまらない言い訳などせず、
先ずは行動するものです。
行動こそが証明、ト、かの漱石先生も云っていますが、
行動、実践、
要するに、逃げない一歩を踏み出す勇気だけが、
この男のように
結果という美しい花を咲かせるのです。














hana ordinary花「美しい花~♪」

HANA 26MAY07 032花「なんか呼んだかね?www」



SORA uuu07JAN09 010そら「あのでしゅねぇ~…」




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

真実の書 その2


同じ理由で、こちらの書も大変に楽しめました。


06OCT16 013




著者の明智憲三郎さんが明智家の末裔という事もあり
そこに込められた明智光秀への愛は尋常でありません。
その強い愛を根拠とする歴史解釈には
清々しいほどに妥協も迷いも折り合いもなく、
唯々、光秀愛があるのみです。
(公平性もゼロですが、そこに又、愛を感じます。)

先ず、明智に正義あり、トいう結論ありきの解釈は
少々強引な印象かも知れません。
然しその確信に満ちた口調は、
恰も読者の両肩を真っ向から抱いて
真っ直ぐに瞳を見つめながらの
訴えかけトいった印象ですので、
畢竟、強い説得力が生じます。

私たち読者は、
その迷いのない力説にどんどん引き込まれ、
著者の純粋で一途な愛を支持せずにはいられない
切ない気持ちへと変貌してゆきます。
ここまでくると最早、
歴史解釈などどうでもよい。
ただ、著者の光秀愛を支援したくなる。・・・


こちらもまた、
「真実の書」でありました。


私は元々光秀ファンなので
この場でこれだけは云いたい。
皆さん、決してあの本能寺の一件だけで
明智光秀を判断してはなりません。
彼は格調高く、教養もあって礼儀作法に通じ、
家柄申し分ない上品な知識人だった事は
歴史上の真実であります。
従いまして、あの事件には
それなりの理由があった事は
間違いないからです。
それなら仕方ないと思える数多くの「何か」が
きっとあったはずなのです。

全ては永遠の謎となってしまった事が
残念でなりません。
信頼出来る新史料発見などを以て
明智光秀の汚名を晴らす事が出来れば、ト、
そう思っているのは私だけではないでしょう。

然し、これには複雑な感情も在ります。

永遠の謎という悪魔的な色気が
本能寺事件の魅力の本質であると
私は考えますので、
全てが明るみに出るよりも
謎は謎のままで在って欲しい、トいう
無邪気な感情も又、否定できないのです。

永遠に完成しないからこそ成り立つ芸術。
それがこの本能寺事件なのであります。



sora mumuそら「………(げ、芸術??)




sora tang2そら「なるほど、よくわかったでしゅ。(棒読み)」


hana ordinary花「ぷっす~www」

HANAsmile03SEP09.jpg花「最後は又話が逸れよりよったのwww」







* 池波正太郎さんの真田太平記一巻のサブタイトルが
「天魔の夏」でした。
私が本能寺に「魔」のイメージを持つのは
ここからきているのかも知れません。
(「降魔の夏」ト、間違えておぼえていた事は秘密です。)



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

真実の書


三成愛が高じて
遂に以下如きアイテムを購入するに至りました。
我ながら喜ばしい事です。

06OCT16 001



更に、こちらの書も読破、
大いなる感銘を受けるに至りました。

06OCT16 011

捕縛 石田三成の無念と執念  加藤嶺夫さん著



こちらの書籍からは、
作者のこれでもか、トいう程の
深い三成愛が感じられます。

物語は、主題にある通り、
敗戦の後の逃走、そして捕縛されるまでの
三成艱難辛苦の期間を追っています。

あの戦、関ケ原の後、
三成が辿ったであろう山中の経路を
作者が自らの足で踏破し、
その経験を元に書きあげられたこの物語。

三成への想いの発展と共に、
そのルートを己の足で実際に歩んでみたい、トいう
熱い情熱を抑えきれなくなっての
山中踏破決行であると思われます。
従いまして、その文書が
三成愛の溢れるものとなるのは
当然の帰結であり、
文字を通して伝わってくるその感情には
胸を打たれる思いでありました。
義に殉じ、民を君主を思い続けた
崇高なる聖人君子たる
石田三成の姿がそこにはあるのです。

その三成像に戸惑いをおぼえる読者もありましょう。
然し、異を唱えてはなりません、無粋というものです。
何故なら本作の三成像は、
作者の純粋で一途な愛に根拠を持って
生み出されたものだから。
人の愛は決して否定するものではありません。
重器は訾らず(人の大切なものは貶さない)とも云います。

物事の解釈に於いて、
こうであって欲しい、という希望が
こうであったに違いない、と変化を遂げるのは
其処に強い愛情が燃えさかっている時であります。
断言しますが、
この書には作者にとっての
何の疑いもない「歴史の真実」が
記されているのです。

私はそういった書を大きく頷きながら読み、
提示された説と固く握手を交わすことに
清々しい喜びをおぼえます。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

備中高松城


前回、備中高松城について少しふれました。

この城が秀吉の大軍に包囲され
水攻めで水没した際、
城の将兵や避難していた民間人の助命の為に
城主である清水宗治が
責任を取る形で切腹なさったのは有名な話です。
「作法としての切腹」はここを起源としています。

それは堂々とした、
見事な最期であったと伝えられています。

私は、清水宗治のこの姿に、
伝統的な美しい日本人の姿を見ています。
極限の状態にあって、
責任を凡て一人で引き受けての自刃という選択。
この崇高な精神とそれを包む清らかな白装束、
銀色に輝く日本刀。

少しの揺るぎもない静かな水面のような心そのままで、
淡々とするべき事だけを実行する。
日本の武士を語るうえで絶対に欠かすことのできない
気高い品格と矜持がそこには在り
決意と確信に満ちたその姿に
私たち日本人は厳粛なる誇りを感じるのです。

高潔なる先人たちをルーツに持ち、
その血脈を継いでいるという歴史的事実が、
私たち日本人の民族的な誇りの根拠を成しています。
清水宗治公が
この名誉を感じさせてくれる先人の一人であることは
云うに及ばぬ事実でありましょう。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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