量をこなして質を上げる


「量質転化」という言葉があります。

意味は、
量をこなせば質が上がる、というもので、
逆もまた然りと教えています。

私は根がせっかちなので、
一冊の学習書を読みだすと
それを最後まで一気に読まないと気がすみません。
一歩一歩、着実に理解しながら進む、という事が出来ないのです。
古代中国の偉人がこれを諫めて
「速やかなるを欲するなかれ 小利をみるなかれ。」
という言葉を残していますが、
せっかちには実践出来ません。
それによって受けるストレスのほうが
大きいからです。

hana ordinary花「小学生と変わらんがなwww」

それよりも、スピードで量をこなすほうが
性に合っているのです。
「兵は神速を尊ぶ」です。

コピー ~ 2009120917595096cそら「孫武しゃん! 曹操しゃん!」


そんな私に便利な言葉が、
冒頭であげた「量質転化」です。

これなら、
足元を踏み固めながら進む必要はありません。
量をこなしてゆけばそのうち勝手に質があがる、という
素晴らしい理屈ですから、
面倒くさいプロセスは全て忘れて
勢いにまかせて進んでゆけるのです。
頭を絞りながら
ウンウンと唸る必要などありません。
細かい事を嫌う自分を
見事に正当化出来ますので
非常に重宝しています。

具体的に話しましょう。
例えば、これは覚えなくてはならない、という
重要な項目があったとします。
普通の人ならノートに書き出して、
復習に使うことでしょう。
然し、量質転化の実践者は
そんな道草をくってはなりません。
まぁそのうちまた出てくるだろ、くらいに
思っておけば十分なのです。
だってそうでしょう。
そんなに重要なものなら、きっとまた出てくるに
違いないのですし、
量をこなしてゆく事が前提なのだから、
再度の出会いは約束された運命も同然なのですから。

そうしてスムーズに次々と違う本を読み進め、
猛烈なスピードで
学習をこなしてゆくうちに、
また同じ項目に出くわします。
脂汗をかきながら暗記するのは面倒なので、
ここでも読み飛ばします。
忘れてしまってもかまいません。

そうこうしているうち、
要するに量をこなしているうちに、
またも同じ項目を目にすることになるでしょう。
この辺りから、薄々と記憶の土台が出来上がってきます。
そしてまた読み飛ばして、再度ふたたび…

この繰り返しです。
楽をして堅固な記憶を構築出来ますので
実践しない手はありません。
ごくたまに、ダラダラと長時間勉強しても意味がない、と、
言い切る人がいますが、そんな事はありません。
量をこなすことに重大な意味がある事をわかっていません。
そんな与太話をしたり顔でする人は、
ヘーゲルや 齋藤孝先生に謝るべきです。

26MAY10S.jpgそら「べきでしゅ!」

hana happy花「落ち着かんかねwww」

実際に、量質転化の効果を
この身で感じている私が云うのですから
間違いありません。
必要なら宣誓供述書だって書いて差し上げましょう。



…とはいえ、
もしかしたらノートくらいはとってもいいかな、などと
思いなおし、ちょっと要点をまとめるノートを作ってみました。
そうしたら驚くべきことに、
勉強の効率がずいぶんと上がりました。
やはりノートって大事ですよね。

sora scaredそら「はうぁっ!?」

hana happy花「なんじゃそりゃwww」



「合わせ技」というテクニック、ということで…






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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一揃え


先日のこと、私の甥っ子(小学生)に
㊇リーポッ ターなる本を買うことになりました。
実は昨年のクリスマスに、三國志や水滸伝、
その他、主だった世界の古典(岩波少年文庫)を
まとめて贈ったのですが、
それらを読んだという話は一切聞いていなかったので
その事が少々気にはなりましたが、
とにかく若干の特殊な事情があって、
希望するものを与える事にしたのであります。

さて、詳細を聞くうちに
この作品はシリーズで多く出版されている事がわかってきました。
しかも、甥っ子のご希望する本は
大胆にも3シリーズに渡り、
それぞれ、3-1とか1-2とか、
何やらスーパーマリオのステージのような
数字がうってあって、どう選べば良いのか
よくわかりません。
単純に連続した番号をふれば良いものを、などと
舌打ちしながら
Amazonを眺めていたのですが
ふと、私の脳裏にある格言が浮かびました。

「どうせ塩を贈るなら、米もおかずもドーンと贈れ!」
(島本和彦)

次の瞬間、
私は迷わず全巻セットの注文を終えていました。
甥っ子からの連絡が楽しみです。



コピー ~ 2009120917595096cそら「漢買い、傾いてましゅねぇ!」

hana ordinary花「選ぶのが面倒だっただけwww」







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備える


長風浪を破る 会ず時有り
直ちに雲帆を挂けて滄海を済らん


中国にこういう古い詩があります。
意味は、
(人生は艱難辛苦の連続だけれども)
風が吹いて荒波を破る時は必ずやってくる。
その時こそ、帆をあげて大海原を疾走しよう。
ト、なるもので、
人生に於ける困難を討ち倒して
先に進もうとする詠み手の決意を表しているものと
云われています。

コピー ~ 2009120917595096cそら「諦めたらそこで試合終了でしゅ!」

hana ordinary花「安西先生ww」


この詩の作者は、様々な困難を乗り越えて
この後、官職に就くことになり、
人生に於いての絶頂期を迎えます。
当に、禍福は糾える縄の如しという訳ですね。

然しここで私たちが注意したいのは、
苦の後には必ず楽が訪れるわけではない、という事です。
人生には、四季のような定まった法則などありません。
冬の後に春を迎えるには、
それなりの代償を払わなければならないのです。
ではそれは何なのか?…


答えは簡単です、努力です。
力をつける事です。
冬の間に広く地に根を張ろうとする試みです。
この修練を積んだ者にのみ、
春という栄華は訪れるのです。
李白が宮廷で職を得たのは
才に溺れず努力する事を怠らなかったからでしょう。

sora tangそら「李白しゃん、お酒には溺れてたような…」

遊んで生きてきた人間には
決して立場など与えられません。


当たり前すぎて
何度も云うのが馬鹿々々しいのですが、
要求する資格を得る為には
何かを行じなければなりません。
怠け者がいくら帆を掲げたところで
そこに長風が吹く理は無く、可能性はゼロ以下です。
背伸びして図々しい要求をしたところで
指さされて笑われるのがオチです。
等価交換という言葉が適切かどうかはわかりませんが、
それなりの努力にはそれなりの結果、
懸命な努力にはそれに応じた結果がついてくるのは
或る種、自然の法則なのであります。
三熊野詣の常子さんが云っていましたが、

HANA 30APR08 022花「折口先生とこの?ww」

誰の身の上にもその人間に相応しい事件しか起こらない、トいう事です。
これは人生に於ける真理でしょう。
原因があって結果が生ずる、ト、仏教も教えています。

長くなりましたが
要するに私が今すべきことは…


sora mattemashuそら「つまり…」

hana happy花「遊んじょらんで勉強ッ!じゃのwww」







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学問は平等


私は以前
990点満点の試験で9万9千990点を目指すと宣言し、
今も渾身の力で以て取り組んでいます。

コピー ~ 2009120917595096cそら「渾身は奇跡を呼ぶでしゅ! ポッシブル!」


これは、ここ最近の酷暑に頭をやられた訳ではなく、
指定された上限の更に上を目指したトレーニングを積む事によって、
自らの負荷を増やし、
結果生ずる実力の密度倍増を狙ったものであって、
本気でその点数を取れるとおもっている訳ではありません。

sora scaredそら「えっ!?」

hana happy花「ぷっす~www」


マラソンの選手は
とんでもない高地で長期間トレーニングを積んだりしますが、
これに似ていると思います。
わざと自らを地獄の奈落へ突き落すことによって、
(例では高地に登ってますが)
地力を底上げするのです。

sora hoooooそら「上がったり下がったり忙しいでしゅ!」


そこで思いついたのが
9万9千990点トレーニング法でした。
我ながら、ふむ!などと膝を打って感心したものでしたが、
私が思いつく事は当然
他の人も思いついているわけでして、
市販に堂々と「Beyond 990」という、
満点の更に先にあるものを目指した
学習教材が出版されていました。

hana ordinary花「しかもちゃんと現実的且つ高尚な雰囲気のタイトルwww」

sora cryingそら「9万何々とか恥ずかしいでしゅぅ~!」


さて、マラソンの高地トレーニングは
誰でも出来るというわけではないそうです。
身体がついていかなければ
その選手は文字通り潰れてしまうので、
屈強な身体の持ち主しか参加出来ないそうです。
努力をしようにも資格が必要という構図です。

こんなところに於いても
人生の不平等は明確にルール化されており、
要するに、
挑戦し、努力を積み、
エリートを討ち倒す雑草などという甘い空想は
この現実社会では通用しないものと
事務的に提示されていますので、
これによって、
ウサギと亀の話なんて嘘っぱちだったと
わかってしまうわけですね。

コピー ~ 20091209180634afdそら「夢のない話でしゅねぇ…。」


然し、倖いな事に、
これはあくまでもスポーツの話限定であって、
学問に於いては
まかり間違っても身体的な理由で脱落などという
不本意な事態などあり得ません。
肩を壊してやむなく引退する
プロ野球選手などよく見られますが、
学問にこういったリスクは一切存在しませんので、
必要なのは、「やり遂げる」という根性のみです。

学問に於ける高地トレーニングは、
やる気があれば誰にでも出来るものです。
高地から平地に降りた時の快適さを
一度実感すれば、
それが背を押す強力な推進剤となりますが、
然し、そのままの運動量を継続させておくには
要所々々での「押し上げ」が必要になります。
軌道を飛び続けるISSに似ています。

押し上げという名の気合いの入れ直しを計る為、
ここでもう一度、試験に於けるセオリーを
自分に云い聞かせてみます。

「練習で苦労して本番で楽をせよ。」


hana ordinary花「能書きはえぇから早よ勉強すんぞなwww」








いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


歩んだ道


現実世界、自然の現象とは、
そうなるべくしてなるという当然の帰結の事を云い、
そこには感情や夢や、きっとこうならいいな、と云う、
子供のような幼稚な願望などが
何ら影響を与える隙などこれっぽっちも無い。

そうならざるをえないものは、そうならざるをえない。
去らねばならぬ者は、去らねばならない。
今、この厳しい現実に直面している友人がある。

私は、同じ道を歩んだ者として、
この友人の背後から
力いっぱいのエールを送ろう。
声が枯れるまで叫び続けよう。
きっと、
彼らがばったり後ろ向きに倒れてしまわないように。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

経験が生む凄味


ある高名な禅僧が語って下さる修行の体験談は
いつもユーモアに満ちていて
その話には艱難辛苦を思わせるような言葉は寸毫もありません。
まるで昨日みたテレビの内容を語るように
面白おかしくエピソードを聞かせてくださり、
我々聞き手も時折吹きだしたり笑い転げたりと、
座は実に和やかの一言です。

然し、時折、飾りっ気のまるでないそのお話の中に、
僅かながら鋭い緊張の刃片のようなものを感ずる事があります。
暖かい春の日に何の前触れもなく吹く
剃刀のような一筋の寒風、
はっと気が付くともう消え去っている
一瞬の流れ星、
そんな趣の、覆いきれない厳粛な真実が
何かの拍子にそっと顔を見せる事があるのです。

緩みきった縄が地面につく寸前で
張り直されるかのように、
聴衆は姿勢を正さざるをえません。

恐ろしいのはここです。
老師はもちろん、これは誓ってもよろしいが、
その引き締めを意識して行われているわけではないのです。
我々聞き手が勝手に緊張しているにすぎません。
その穏やかな口調で紡がれる楽しいお話のどこに
そんな要素があるのか?

これは聴衆が、
お話の背後に老師の修行の重みを感ずる為に
生ずる現象でありましょう。

障子に滲む光のように、
決して隠して覆えない
確かな経験というもものに裏付けられた、
謂わば、その人の積んできた歴史、
その積年の風雨に耐えてきた経緯、
今、老師がそこにおられる由来、
それら凡てが老師を構築する要素の芯となって
私たちに見えない何かを感じさせ、
ここぞ、という時に、心の帯を締め直させているのです。
その人の綴ってきた個人史、
老師の人生の深さと密度、艱難辛苦があって故の他者への思いやり、
こういったものを土台とした、謂わば、
精神から発する波紋のようなものが
我々に心地よい緊張をもたらす正体なのであります。
これは、楽に流されて生きてきた人間には
決して備わらないものです。

晩年の、年老いてヨボヨボなはずの永倉新八に
誰もが畏怖して足を竦ませた、と云います。
精神の中核を成す強力な芯を備えた本物たるには、
当然それを生じさせる原因がなくてはなりません。
逆に云うと、原因なくして結果は生じない。
困難をあえて選び、自己を鍛え上げてはじめて、
言葉に重みや見えない迫力、説得力、
厳粛な波動を持たせる事が出来るのです。



こういった現象を感ずる事の出来る人も又、
厳しい研鑽を積んできたに違いありませんね。
まるで素通りする人だっているのですから。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

二本目など最初からないものと思え (AUG16)


幸田露伴の、「渾身」という教えは、
精神的弛緩を断じて許しません。

その一撃に渾身の力を籠めろ
一瞬での集中を可能とする緊張感と
いつ何時も死ねるという覚悟、
ゆるゆると生きていては
これらは決して身につかないものです。
失敗イコール国の滅亡、という明治に於いては
国や軍部も同じ志だった事でしょう。


sora mumuそら「露伴先生!明治日本!」

hana happy花「娘の文さん、気の毒ぞな~ww」


然しこれは、明治の社会的背景に関係なく、
実は昔から我が国にあった考え方でありまして、
約700年前にもその記述が見られます。

おなじみ吉田兼好「徒然草」の
第九十二段のエピソードです。


HANAsmile03SEP09.jpg花「パパお気に入りの話じゃの!」


はい、この話は徒然草の中でも
屈指の名エピソードだと思います。

sora tangそら「どんなお話なんでしゅか?」



そうですね…
これは、ある弓を習っていた人のお話です。
ある見習い射手が
二本の矢を持ってターゲットに向かうのですが、
その時、その人の師がこう言うんです。

「初心の人、二つの矢を持つ事無かれ。
のちの矢を頼みて、初めの矢になおざりの心あり。
毎度、ただ、損失無く、この一矢に定むべしと思へ。」


(訳)
「初心者は二本の矢をもってはならない。
二本目をあてにして、一本目を疎かにしてしまうからだ。
結果を考えることなく、この一矢に必中の決意を持ちなさい。」



予備の矢など持っていると無意識のうちに安心し、
「渾身の集中」が出来なくなってしまいます。
余計なものは一切排除して
その一本を必殺必中の決意で以て放ってこそ、
その集中の積み重ねがあってこそ、
技というものははじめて上達するのです。
そこに一切の甘えや妥協があってもなりません。

12JAN09 218そら「絶えず渾身… 常に全力でしゅ!

hana face1花「もちょとユルユル頼むぞな~。。」




そして、
この戒めは万物にわたるべしと吉田兼好は云っています。
何をするにも、これ渾身、
真摯に一途で愚直で生真面目、
他所事になど一瞥もくれない一心不乱の集中の姿勢、
この心構えがあってはじめて、
私たちは前へ進む事が出来るのです。
軽く考えていてはいけません。



コピー ~ 2009120917595096cそら「燃えてきたでしゅねぇ~!」

HANA aishuzona花「”ほどほど”や”中庸”も忘れんようにせんにゃーの。」


* 常に全力! 疾風怒濤、そらの活躍はこちらからどうぞ!






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

渾身の力


前回、幸田露伴について少しふれました。
明治の文学者というと
堅苦しい学者先生といったイメージをお持ちの方も
多くいらっしゃると存じますが、
意外にも彼は精神論者で大変に熱い人だったようです。

HANAsmile03SEP09.jpg花「夏目漱石も熱血じゃがなもし。」

sora happyそら「正岡子規も南方熊楠も、明治はみんな熱いでしゅね!」



そんな一面がちらりと見えるエピソードとして、
娘の文さんに一撃必割の蒔割りスイングを
指導してらっしゃるのは有名です。

うら若き細腕の乙女が一振りの元に薪を割れないのは
私たちから見れば仕方のないことです。
いたわりの言葉の一つもかけるかも知れません。
しかし露伴先生は違います。
一撃で薪を断割出来ない文さんに対して、

おまえはもっと力を出せる筈だ!

と、すごい剣幕で叱責なさいました。
そこには、女だから…などという、
逃げや妥協や甘やかしなど微塵もありません。
鬼神の表情をした露伴先生にこう怒鳴りつけられては
文さんは腹をくくるしかなかったはずです。

では何故露伴先生は怒ったのでしょう。
理由はおそらく単純で、
文さんがその一振りに全力を籠めていないと
見て取られたからでしょう。
ここに、幸田露伴精神論者説を証明する
重大なヒントがあります。

要するにこれは、
何をするにも中途半端ではなく
一挙手一投足に常に渾身の力を籠めろ、
トいう精神論の教えに違いありません。
出来る、出来ない、ではなく、
やろうとする覚悟、
ここに重点が置かれているのです。

「蒔割りといえども侮ることなく
その一撃に渾身の力を籠め、
常に全力という精神的姿勢をを身に染み込ませておけば
それがやがて結果を作る。」
私はこの逸話を勝手にそう解釈して妙に惚れこんでいますが、
然しこれには、
「一瞬一瞬に屹ッと覚悟を決める精神力」と、
「その土台となる絶え間ない緊張」が必要です。
自分はある程度は他人より緊張感を持っている、と信じてはいますが、
まぁ怪しいものですので精進を怠る事は出来ません。
常に露伴先生に見られている、と思わなければなりません。

gakuburusora06DEC09SEKIRO 216そら「プレッシャー!!」

hana ordinary花「ぷす~www」



明治日本。
うら若き娘さんに対してもこの教育的指導。
あの崇高で高潔な精神の秘密は
こんな家庭環境にもあったように思えます。
私はやはり、明治と共に生きてゆきます。







因みに露伴先生は、「おまえはもっと力を出せる筈だ!」に続いて、
なりふりかわまず渾身の力を籠めて斧を振るっている間であっても
女子たる者は美しくなければならない、といった意味の事を
おっしゃっていたと思います。

この一見無茶な父の要求と
それを忠実に実行しようとする娘の姿勢。
此処にも、
美しく気高い明治日本の精神がみられます。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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