則天去私


漱石先生曰く、
「運命は神の考えるもので
人間は人間らしく働けばそれで結構だ。」

浮かぶも生中、沈むも生中、
一挙手一投足も
悉く生中にあるが故に、
大丈夫、生中を出ずる気遣い無し、である。






26OCT15 008








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26OCT15 013a



すべては遠い昔に終わった。

現在には静謐な哀悼の歌だけがあり、
花とそらは生きていた時のままの美しい姿で、
音も無く佇んでいる。

私はそっと愛する子らに手を触れ、
あの子らは
懐かしそうにすり寄ってくる。

そこで語り交わすのは、
最早、生者と死者ではない。

過去の或る時間と現在とが、
同じ空間の中で
確かに今「この瞬間」を共用しているのだ。

それが私の向き合っている
まぎれもない現実なのである。












Inspired by 「芸術断想」 三島由紀夫    
ちくま文庫

26OCT15 014

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紅玉と世忠


紅玉と世忠は
長年を共に過ごした夫婦である。

06AUG15 CHIGASAKI 00401



紅玉の傍らには常に世忠が在り、
世忠の傍らには常に紅玉が在った。

海も空も太陽も
皆が彼らを祝福し、
二羽がつがいである事は永遠と思われた。

然し、世の理は誰にでも平等に訪れる。

かつて、勇ましく大空を駆けた美貌の鳥にも、
その羽を休める時がきたのだ。
紅玉は静かに目を閉じ、
世忠は一声だけ、鋭く鳴いた。

06AUG15 CHIGASAKI 002c




世忠は一羽となった。
苦しみの中で彼は、
その翼で凡てを振り切ろうと
高く高く、必死に羽ばたいた。

03AUG15 CHIGASAKI 1422b



世忠は、7日の間休みなく飛び続けて、
そして遂に力尽きた。

06AUG15 CHIGASAKI 118


落下してゆく中、
薄れゆく意識の内で彼は考えた。


そうか。 運命とは神の創りしものだ。
私たちはその運命の中で生きてゆくしかないのだ。

私の愛した紅玉。
紅玉という幸福も神から授かった運命であれば、
損失という試練も、又、神から賜りし運命だ。

幸福を享受したのであれば、
この試練も甘んじて受けねばならない。

神は与え、神は奪う。

それがこの世界の理ではないか。



定めを受け入れた世忠の翼に、力がもどった。







世忠は、元の浜に戻った。
そして、死ぬまでこの場所を離れまいと誓った。
紅玉のいたこの浜を
彼は心から愛しているのだ。

世忠は静かに佇み
神は変わらず天にしろしめす。



06AUG15 CHIGASAKI 01203









いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

今回は、旧約聖書にみられるヨブ記を踏まえて創作しています。



すこし前のことであるが、
夕暮れの空に面白い雲をみた。

2015062417450000.jpg


背後の太陽に照らされ、
その姿はまるで
巨大な炎のようだ。

辺りを見回しても、
どの空にも他に雲は見当たらない。
この西の空にだけ、
唐突に神秘の炎が吹き上がっている。
なんとも不思議な光景だ。


日常の中の非日常を目にした時、
私はどうしても
その現象に意味を付けたくなる。

丹沢山地から湧きたつ
白く清浄な精気。

西方浄土から流れ出る
甘く清らかな香気。

いずれにしても、
それらは必ず花そらと繋がり
漸く私の納得する事となる。


私の生活には、
常に花とそらが在る。







いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

年をとっても手をつないて歩く夫婦になれ(OCT15)


以下、2011年に記したものです。

今思うと…
こちらの御二人は
その先の現実に竦むことなく
しっかりと「今」を生きていらっしゃたのだと思います。
力強い姿です。







偕老同穴(かいろうどうけつ)

意味:生きては共に老い 死んでは共に葬らる


HANAsmile03SEP09.jpgHANA「詩経だね。」

sora scaredSORA「えっ!? 幽遊白書じゃないんでしゅか?






先日、近くの川沿いを散歩していて
とってもステキなご年配のご夫婦に出会いました。


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梅の花が香る中を
お二人は手をつないで

ゆっくり ゆっくりと 

散歩されていました。



B31JAN11 007shikyou




これからも

ずっとずっと


こうして
二人手を取り合って

歩いてゆかれるのでしょう。。








わたくし、
なんだかとっても
幸せな気持ちになりました・・・


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詩経―中国の古代歌謡 (中公新書 (220))詩経―中国の古代歌謡 (中公新書 (220))
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白川 静

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見えなかったもの


遊歩道を、厳しい表情で歩く一人の御老人。
公園のベンチに、一人茫然と座っている御老人。
何処にでもある光景だ。
然しその普通の光景が、
今や、厳粛なものとして私の目に映るようになった。

かつて、彼らの傍らには、きっと誰かがいたはずだ。
二つの並んだサクランボのように、
二つ揃って一個体という
精神を分かち合ったパートナーがあったはずなのだ。

然し、今は一人。

過ぎ去った日々を思い
どうしてもその場所に帰ってしまう。
かつての思い出に
無意識のうちにその場所に足が向いてしまう。
そんな事情が
彼らの孤独な背中に浮かんでいる。

目には映っていても
心理的に見えていないものがあった。

今はよく見えている。




花そらと歩いた道を行く今は一人。

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いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

高杉晋作辞世の句


その高杉晋作。

彼の辞世の句も、
これまたその完璧なる生に
更に花を添えたものとなった。

面白きこともなき世を面白く


「この退屈な世の中をいっちょ面白くしてやろうじゃないか!」
彼のそんな声が聞こえてきそうだ。

「どんな中にあっても、面白く生きてやろう!」
そんな風にも聞こえる。

きっと、
常にそういった気構えで生きてきた人だったのだろう。
そこには微塵の迷いも、
ほんの少しの躊躇も減速も無かったに違いない。

辞世の句ですら、
生きる意志に満ち溢れているところが、
又、彼らしい。




人生締めくくりの言葉もまた、
彼が彼である所以のような勢いのある響きを持つ。
純粋な芸術作品「高杉晋作」は、
どの局面にあっても
常に純度最高の「高杉晋作」であるのだ。

此処に於いて、彼の生は完璧な芸術に仕上がった。


25SEP15 ODAWARA 001a


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さて、ここからはちょっと小声で話そう。

実は私は、この下の句、
「住みなすものは心なりけり」
これがあまり好きではない。

これはたしか、高杉に縁の深いどこかの尼御前が
付け足したものだ。
彼を思う気持ちがそこには感じられるけども、
然しである。
外野の勝手な意見を云わせてもらえば、
これは余計であったように思う。

上の句の、或る種、天真爛漫と云うか、
粋な自然児といった趣なのに比べ、
下の句に漂う、なにか小賢しい、
学問で装飾したような猪口才な白々しさ。
これはちょっとバランスが悪すぎはしないだろうか?

見事に完結しているこの句に
下の句は必要なかったように思う。
蛇足のお手本と云ってもいい。

然し、もしかしたこうかも知れない。
こちらの尼御前は、
自分の言葉を添える事によって、
二人でひとつの何かを作り上げたかった、
と、そんな風に思っていたのかも知れない。
高杉亡き後のぽっかりと空いた心の空洞を
言葉で埋めようとなされたのかも知れない。

もしも、これらに近い意味があるのであれば、
それなら最早、私のような他人が、
とやかく云う事ではなくなる。

うむ。
どうやら、要らでの口出しをしているのは、
この私自身だったようだ。 
邪魔者は退場するとしよう。

死のもたらす絶対


今はないが…

むかし私は、
高杉晋作に似ているとよく云われた。

その関係だけではないけども、
やはり同じ長州人ということもあり
あれだけの人物でもあるし、
私のなかで、彼の存在は大きい。

あそこまで好き放題に暴れまわった人は、
他にはちょっといない。
雷電風雨の如く、
幕府のみならず世界をも相手に
大立ち回りを演じ、
そして、たった27歳の若さでこの世を去る。
幕末に轟いた一瞬の稲妻のような人生。
寸毫程の無様もないその生は
まさに完璧だ。

「死」とは、
その「生」を完全なる永遠の美とする為の
仕上げとなる場合もある。

絶頂期に於いての死。
隆盛を極めての死。
山頂での死。
幾多の苦難を乗り越えて
ようやく結婚した男女が、
婚儀の夜に自死して
幸福を永遠のものとした小説もあった。
皮肉なことに、その物語の作者も、
同じ道を辿ってしまったが。…

高杉を完璧に仕上げてしまったのは
死であったと思う。
死は時として、美の極みとなりうるけども、
然しそれは外野の勝手な解釈かも知れない。




25SEP15 ODAWARA 001a






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笑う門には (OCT15)


以下、2012年に記したものです。

この川沿いの道は、
今はもう整備されて立派な歩道になってしまいました。

私には、
土と緑の当時の道のほうが
歩きやすく思えます。










どんなに気分が落ち込んでいても

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笑顔でいれば
気持ちが和らいでくるもの


A12APR12a 056smile



これを
『フェイシャルフィードバック効果』 というそうです。





辛い時こそ、笑顔を作ろう!







B12APR12a 057smile

馬鹿笑いしろとは言ってませんwww










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思いわずらうな


先日のこと。
海老名市のあるお寺を訪れた際、
このようなお言葉が私を迎えてくれた。

11SEP15 SAGAMI Rvr 009a


丁度、気持ちの疲労が溜まっていた時だった。
偶然とは云え驚いたが、
これが「縁」というものだろう。
その不思議な偶然は、
大いなる存在を間近に感じさせる。


私はこのお寺の掲示板を
いつも楽しみにしている。
緊張し、凝り固まった精神を
いつも暖かいお言葉で緩めてくれるからだ。
そのお言葉からは、
心底より他人を案ずる御仏の心を感ずる。

達筆でありながら、
どこかユーモラスで人情味溢れる字体がいい。
ご住職だろうか?
書いた方の暖かいお人柄が感ぜられる。

そしてこの、
「ならんから」という口調がまたいい。
読み手の目の前に、
気取りのない自然体の御爺殿の姿が
自然と浮かんでくる。
実、血の通った語りかけの文章だ。

最後の大文字で書かかれた一文。
私にはこの二行の「今を」の部分が、
「命を」と読めた。

このお寺の掲示板は、
繰り返し、生命の尊さを諭してこられた。
だからこそ、この一文にも
そういった気遣いを感ずるのだ。

はっきり書くと白々しくなることもある。
だから、敢えて表現を変えることもあるだろうけど
書き手が本気ならば、どんな装いを施してあろうと、
常にその真意は感ぜられるものだ。

私たちは、雪の下の大地や、
雲の向うの太陽の存在を感ずる心を持っている。








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HOJOKI by Duck Chomei (OCT15)


そして、
直後にこんな記事を掲載していました。
楽しき日々でした。
 





~ HOJOKI ~ 

written by Duck Chomei(鴨長明)










うた: 春団治白点狼SORA










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コピー ~ 15OCT12 038water





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hana ordinaryHANA「言い直したwww」





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E27SEP12 025DC


F27SEP12 033DC



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B25APR12 085chomei


C21JULY11 062DCHOMEI


D27JULY10 269chomei





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Hojoki: Visions of a Torn World (Rock Spring Collection of Japanese Literature)Hojoki: Visions of a Torn World (Rock Spring Collection of Japanese Literature)
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方丈記の冒頭は文学史上屈指の名文 (SEP15)


以下は二〇一二年に記したものです。
この相模川は、今や、思い出の地となってしまいました。
一人、逍遥しながら、
方丈記のこの一文をかみしめています。







こうして土手に座って
川の流れをながめていると

水というのは

<常に流れてゆくもの>

なのだとよくわかります。


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たった今
目の前にあった泡が
ゆっくりと流されては消え

そしてまた違う泡が
目の前を通り過ぎ

そして消えてゆく


B15OCT12 068Dchomei







鴨長明という人は、
これを人の世にたとえていました。







大きな時間の流れのまえでは
小さな私などまったくの無力

ならばいっそ、
じだばたしないで
全てを神さまの御心に委ね

自分に出来ることを
精一杯にするしかありません。


15OCT12 059Dchomei






愛するものは
今よりももっと大事にし

大切な存在との絆を
今よりももっと深めてゆく









そうすることで
無常の世に対する不安や苦しみは

きっと軽くなってゆくはずです。















方丈記 (講談社学術文庫 459)方丈記 (講談社学術文庫 459)
(1980/02/07)
安良岡 康作

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行く河の流れは絶えずして
しかも本の水にあらず

よどみに浮かぶうたかたは
且つ消え
且つ結びて
久しくとどまる事なし

世の中にある人と栖と
又かくの如し






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