続・真夏の死


元気な蝉の鳴き声が響き渡るこの夏の日、
大空を自由に飛翔する蝉もいれば、
葉の陰からぽとりと地面に落ちる蝉もいる。
仰向けに倒れたその姿に、
私は胸を痛めたことだろう。

その度に感じた思いを記してきたが、
今回はそのうちの一つを紹介してみたく思います。
2012年9月、まだ、花とそらは健在でした。







公園に
一羽の蝉が死んでいた。


腹の底から元気に鳴いていたであろうその生命
力いっぱいに大空を羽ばたいたその身体は

今はもう動くことはない。



秋の日に落つる生命悲し








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いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。
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真夏の死



蝉の抜殻を見た。

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長い年月、この蝉はじっと地中で力を蓄え、
そうして漸くこの太陽のもとへ飛びだしてきた。

この地上で、蝉に許された時間は短い。

然しその間、否、だからこそ、
蝉たちは精一杯にその生命の炎を燃え上がらせる。

私には、真夏の青空に響き渡る彼らの大合唱が、
歓びに満ちた生命の讃美歌に聞こえてならない。


同じ道程で、
アスファルト上に動かなくなっている蝉を見た。

もはや命の抜殻となっている事が明白なまでに、
その姿は空虚だ。

仰向けに倒れ、空を見上げたその目には、
かつて飛翔した高みが虚しく映っている。

路上に置き去りにするのは忍びないので、
その身体をそっと草陰に横たわらせた。

持ち上げた時、あまりの軽さに
この身体には最早本当に、生命はないのだと感じた。

然し私は信ずる。
この蝉は生命を生き尽くしたからこそ、
全力を出し切ったからこそ、
こうして軽い身体になってしまったのだ、と。


蝉が生きた真夏に、
ひっそりと、秋は訪れていた。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


* 最新の研究では、成虫になってからの蝉は   
意外と長生きだとわかったそうです。 
たしか一ヶ月くらいとか。。
ちょっと嬉しい気がします。
 

若宮公園に到る


ふらりと家を出て、

川を渡り、復た川を渡りながら、
花を眺め、更に花を眺めながら、

風が涼を運んでくれる
夏のこの川沿いの道を歩いて行ったその先には、

やっぱりいつも来てしまう
若宮公園が在った。





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水を渡り 復た水を渡り
花を看 還た花を看る
夏風 江上の路
覚えず 若宮の園に到る

「胡隠君を尋ぬ」という漢詩を踏まえています。













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林太郎とエリス


夏のある午後、
つがいの鳶が並んで海を眺めている。

移り変わる四季を海の様相に感じながら
林太郎とエリスの時間は静かに進み、

幾年の年月を経て、遂にその時が来た。


「僕はもう行かなければなりません。」




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エリスは今、一羽だ。
いつもそこに居た林太郎は
最早旅立ってしまった。

世界の理は、
何者にも平等であるのだ。

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然しエリスには、
その現実を受け止める事は能わなかった。

エリスは林太郎の姿を探し

何処までも、何処までも、
大空をぐんぐんと昇っていった。


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幻だったのだろうか。
その時、疲労で朦朧としたエリスの目に、
太陽を目指して飛ぶ林太郎の姿が映った。

エリスはもう目にいっぱいの涙をためながら、
無我夢中で林太郎を追って飛んだ。

「林太郎さん! 私を置いて行かないで下さい!」






追いかけても、追いかけても、
エリスは決して林太郎には追いつけなかった。

この現世に於いては、
先に旅立った者に追いつく法などありはしないのだ。

それでもエリスは飛び続けた。






やがて、エリスの身体は、

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強烈な太陽風に粉々にされて、

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光の粒子となって大気に散乱した。

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エリスの身体は自然へ還った。


だが、
魂は林太郎のそれと共に在り、
今でも一緒に海を見ている。



よううやく手に入れた永遠の安息を楽しむかのように・・・


















いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

常に全力 (AUG15)


2012年あたりのブログをよく読み返しています。

そらくんは今回の本文に在る様に、
のんびり屋の花ちゃんとは対照的に
常に全力の男の子でした。

走るのも遊ぶのも寝るのも
常に全力。
真っ直ぐにこちらを見つめる澄んだ視線にも、
全力の愛が込められていたように思います。









花そらと歌おう

今日も全力、常にZENRYOKU!

うた:   春団治白点狼SORA
コーラス: Silveretta Gratia HANAKO







Wow Wow Wow Wow  
Wow Wow Wow Wow ~♪




常に全力 フル回転~♪


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hana ordinaryHANA「OVER HEAT!」





常に全開 フルスロットルぅぅ~♪


B27SEP12 025zenryoku



hana ordinaryHANA「ドッグランで赤切符!」





腕立て!腹筋! バーベルダンベル、懸垂!

25OCT12 056ZENRYOKU




GO!

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(↑ 職場にある懸垂用の鉄棒です






ラ~ララ~ ラララ ラ~ララ~♪








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hana ordinaryHANA「ZENRYOKU!」





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寝たらそのまま

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でしゅYo~♪♪




ライバルはァァァ!

hana ordinaryHANA「3YEARS NE-TA-ROH!」







(セリフ)

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デンドン デンドン デンドン デンドン、デン!

ダララ~ン・・・♪



















幸田露伴先生「何をするにも常に渾身!!」


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気付く


岩場に佇むこの蟹。

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蟹はある日、この世界の理に気が付いた。

今までこの安寧を当たり前に生きてきたが、
この世の本質はなんと理不尽極まりないものだったろう。

例えばあの波だ。
押し寄せる波の前では
蟹は無力以下に無力な存在だ。
なんの抵抗すらも許されず
巨大なエネルギーに飲み込まれるのみだ。

波がほんの気まぐれを起こして
この蟹を岩に叩きつけたならば、
蟹は一瞬のうちにその生を終える。

然し、波がちょっぴりの同情心を起こしたならば、
蟹の身体は上手く岩の隙間に流れこみ、
理不尽に砕かれる事にはならないだろう。

蟹の意思も都合も感情も権利も何も関係なく、
総てが波の思うままなのである。

それでも蟹は、海を離れて生きてはゆけない。



我々も、又、この蟹と同じだ。











To be more precise, he was "forced" to be aware of the principle of the world.

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自然の美 (AUG15)


以下、2012年に記したものです。
この頃は本当に楽しい日々でした。
幸せは失って初めて気付くものだと
痛感させられます。








緑は色濃く 花は灼灼

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木は雑じって 雲重なる

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目が自然と感じ合う時 心もまた一つになっている















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不昧因果


仏教思想の基本的な考え方の一つに
「因果律」というものがある。
これは、
全ての結果は何らかの原因を以て生じたものであって、
原因なしには何も生じないという考え方だ。

では、
「誕生」という原因があるからには、
「死」という結果は避けられないのであろうか?

「然り」であり、「否」である。


成程、一見すると「死」は結果である。
併し、肉体の滅びは必ずしも、
締めくくりと云う終結とは言えないはずだ。
何故か?


君に愛する存在を亡くした体験があるとしよう。
私がそうであったように、
君もまた、その喪失を嘆き悲しんだ事だろう。

君が涙をこぼし膝を地面についた時に、
君の心を支配していたものは何だったか?
君の身体に充満していたものは何だったか?


そうだ。
君の愛したその存在への思い、
切実なまでの愛の苦しみに違いなかったろう。

君の愛したその存在は、
確かに現世での役割は終えてしまったかも知れないが、
然し、本当にそれで終わりだったのか?
目を閉じて、周囲を感じてみるがいい。
きっと君は
君を見守る暖かい眼差しを感じる事が出来るはずだ。


「死」は、決して結果ではない。
それは、継続の中の通過点でしかないのだ。
誕生という原因の後に訪れるであろう結果、
肉体の「死」は、それには当たらないと私は考える。
まだその先があるのだから、
焦ってはいけない。



敢えて今回は「不昧因果」と題したけども、
然し、私は決して虚偽を謳ってはいないし、
断じて偽りを示してはいない。
自分の信ずる因果を記したのみである。

さらば読者よ、
命あったらまた他日。
元気でいこう、絶望するな、では失敬。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

Another version of 少女とワンコ (AUG15)


最初の「少女とワンコ」を記載してから2か月後に、
以下のような別バージョンを書いていました。
こうして見ると、
私は当時から「死」に対して
尋常でない執着を持っていたようです。

以下、当時のものを例によってそのまま記載します。
最後に可笑しな独り言がありますが、
食後の口直しに飲むお茶といった趣向で
お楽しみ頂ければ幸です。













~ HANA SORA Stories ~

『少女とワンコ』 (another version)



少女とワンコはずうっと一緒でした

そしてこれからも
ずうっと一緒




あらゆる苦しみ 
あらゆく悲しみから解放されて

その魂は自由になりました


このひろがる空のもと

像となった二人の心に
ようやく安らぎが訪れたのです



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二人はここで空をみる

私たちが塵となり
土にかえったその後も・・・










少女とワンコはずうっと一緒でした

そしてこれからも
ずうっと一緒




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以前の「少女とワンコ」はこちらから・・・









↓ 今回は、ネロとパトラッシュのイメージです。

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ハリウッド版「フランダースの犬」は
なんとラストがハッピーエンドなのだそうです。


わかってない!
という声が聞こえてきそうですが、

デーブ・スペクター氏いわく
「そんなの当たり前。子供が不幸になる結末の映画なんて誰がみたがるんだ?」
とのこと。

う~ん、なんという正論!


でもまぁ・・
平家物語などに慣れ親しんで育った日本人にはよくわかる、
ものの「あはれ」というか「悲しみの中の美(といっていいものか)」というか、

言葉でうまく表現できませんが
悲劇には心に訴えかけてくる「何か」があるのだと思います。

完璧な薔薇より散りゆく桜をより好む
日本人が独自に感じる「何か」が。


話をハリウッド版「フランダースの犬」にもどしますが、
ラストにアレンジが加わったのは
仕方ないとして・・・

すごい爆発の中から
パトラッシュに乗って脱出するネロとか

ミッションインポッシブルなみのアクロバットで
ルーベンスの絵をみるために教会に侵入するネロとか

最後は全員でUSA!USA!の大合唱とか
いかにもハリウッドっていう演出がなかっただけでも・・

まぁ、よしとしますか、ってことで今回はこれまで!







花に嵐のたとえもあるさ


待ちわびた開花の次の日、
風雨があっけなく
美しく咲いた花たちを散らしてしまう。
そう… サヨナラダケガ人生サ。

(花発多風雨 人生足別離)



良し。
ならばそれを現実として受け止めよう。

では、大事なのは、
そこからどうするのか?ト云う事になる。

結局は自分だ。
最後は自分だ。

諦めるのは簡単だ。
私は強く在りたいと思う。



2014-04-01 01APR14 SANSEN Park 055a





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縄の如し


幸せな時というものは
そう長くは続かない。
後から思えば
夢まぼろしト感ずるほどに
一瞬の漠然としたものだ。

一方、
不幸な時というのも
実は同じで、そう長くは続かない。
こちらも又
いつか必ず終わりが来る
一期間のものでしかない。


諸行無常が世の常であり、
時には必ず浮き沈みがある。
それに逆らってもどうしようもないのならば、
今あるこの幸せを全身で楽しみ、
不幸な時には出来ることだけをしていればよい。


今を精一杯に生きていれば、
自ずから道は見えてくるだろう。




13MAY14 YMT 006


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

総てがあなたに丁度良い


孔子は、怪力乱神を語らずと云い、
釈迦も、死後の世界の事は決して語らなかったという。
分からない事や定かでない事をあれこれ思考して
疲弊するよりも、
今を懸命に生きよ、トいう教えだ。
大事なのは、「今」、なのだ。

現在科学の定説では、
時というものには、未来もなければ過去もなく、
時の流れという継続すらもないとされているらしい。
あるのは、ただ、
この「今」という瞬間のみ。




私たちにあるのは、
ただ、「今」というこの瞬間のみ。

悩んでも悲しんでも苦しんで泣いたって、
ただ在るのはこの「今」のみなのだ。
ならばもう開き直って、
「今」を精一杯に生きるしかない。




科学的であるはずなのに、
なんと精神的な理論なのだろう。
科学を突き詰めると宗教になると云うが、
成程、ようやくそれがわかりかけてきた。

そんな事を考えている時、
毎月、素晴らしいお言葉を掲示して下さっている、
海老名市のあるお寺に足を運んできた。
今月のお言葉を見た時に私は、
成程、これが縁というものか、
一人そう頷き、
心の中で大いなる存在に手を合わせていた。




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いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

少女とワンコ (AUG15)


以下、2012年6月に書いた掌編です。
登場人物のふたりはとても幸せです。
肉体が滅んだ後も、
こうして一緒にいられるのですから。









HANASORA Stories

少女とワンコ




むかし

丹沢の山の中に
少女とワンコが暮らしていました


二人は
本当の姉弟のように仲良しで

いつも一緒に
空をみていました




ずっと一緒にいよう

うん、僕、決して離れはしない









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黄金風景


花とそらの姿は
詩のように美しかった。
この世界の
生きている喜びや
愛する幸せが
確かにそこに
美しい文字で以て綴られていたのだ。

私はその詩を
画にしようとした。

いつかは消えてしまう
詩という儚い美を、
画という永遠の存在に
転化しようとしたのだ。

そして私は敗れた。

この痛恨は、
今でも私の胸を重く支配しているけども、

あの美しい
思い出の日々が在るおかげで

今の私がある事も、
又、事実である。






岩場に蟹と語らい

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カモメと風を感じ

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遠く大山を眺め、その絶対的な存在に安堵する。

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この自転車での一人旅は快適だ。

一人で考える時間を持てながらも、
太陽の元、自然の中での運動の最中には、
思考のベクトルが
決してネガティブに向かう事はない。

美しい青空に
舩を浮かべてホッと息をつきたくなるほどに
気分が良くなるのだ。

これをきっかけとして私にも、
断固とした態度の現実と
和解の握手を交わせる日が来るのかも知れない。



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