夏望


道端に並んで咲く花があれば
花とそらの寄り添う姿を思い出す。

鳥の鳴く声が聞こえれば、
皆で公園を歩いた記憶が蘇る。

未だ、私にはに受け入れがたい、
あの子らのいないこの現実。








時に感じては 花にも涙を濺ぎ

2014-05-16 16MAY14 AYFJ 005a



別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす

11MAR15 WAKAMIYA 001a










花そら去って山河あり

丹沢夏にして草木深し……

27JUN15 ERINJI 021
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則天去私にはまだ遠し


盛夏となりて、
草木深き丹沢山地の麓に
臨済宗の禅寺が在る。

風も爽やかなこの朝、
花の香りと鳥の囀り
あとには川の流れる音だけが
静寂に響き、
大気に漂う神秘の霞が
この身に染み入ってくるような、
そんな厳粛なこのお寺に於いて

私は禅を通じ

私を滅し、尽十方、即ちこの世界そのものに溶け込もうと
懸命だった。

否、
この時点で既に心得違いをしていたのかも知れない。

「懸命」に何かを変えるのではなく、
「自ずから」そうなるように修行するのが禅のはずだ。
その修行も、
頑張ってするのではなく、
恰も、何もせずとも流れてゆく川の流れの様に
自然に行わなければならないのだ。

否々、これも又、思い違いだ。
私の或る種の弱点は、
この「何々でなければならない」という
決めつけ思考ではあるのだが、
これが又、非常に禅的ではないように思える。
物事を決めつけ、型にはめる考え方は
禅とは程遠いもののはずだからだ。




…………


良し、成程。 
未だ、未熟である。




D17MAY15 ISE 022






この世界は空であり無であるらしい。
見える物や感じる物は
実は実態を成さない虚実であるらしいのだ。

ならば、
今この目の前に飛来し
思い掛けずこの鼻先に着地した
この蚊を
一体どう理解すればよいのだろうか?

などと、
禅の最中に
こんな余計な事も考えていました。
困ったものです。。
 




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

その姿 (JULY15)


以下、2012年の7月に記したものです。

私がこの幸福の日々に居たのは
たった三年前の事です。
然しそのたった三年前が、
今は遠い遠いゆめ幻のように感ずるのです。

(当時の原文のまま掲載します)







尻尾をフリフリ歩くその後姿

WALKIN26JUN12 043





風の感触を楽しむその表情

SINGIN26JUN12 102





眠りの安らぎ

SLEEPIN07JUN12 028





遊ぶ躍動

PLAYIN27OCT11 196








食事のガッツンガッツンっぷり


SORAEATIN26JUN12 005a


HANAEATING26JUN12 008aam










その一つ一つが
力強い生への意思に満ちている














いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

inspired by 「小さなスフィンクス」 written by Shuntaro TANIKAWA

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続・誇り高き死


ある岩場で
偶然目にした隻腕のこの蟹。

<私は彼を知っている…>


21JULY15 CHIGASAKI 013a



去年の夏のことだ。
私はこの蟹の
身命を賭した生き様を目の当たりにした。

蟹は、傷ついた妻を救う為、
命を懸けて荒波に立ち向い……

そして敗れた。

波に飲まれ、天地がグルグルと回転する中、
もがきながらも蟹は、
妻を抱いたその手を決して離しはしなかった。

そう、離しはしなかったのだ。



大波が去って気が付いた時、
蟹は浜辺に打ち上げられていた。
そこに妻の姿はなく、

妻を抱いた彼の腕は、
根本から無くなっていた。



これからこの蟹は
どのように生きてゆくのだろうか。

妻を亡くし、腕を無くしたその姿は痛々しく、
悲壮感に満ちている。
然しこの小さな勇者は、
重たい身体を引きずりながらも
懸命に今日を生きようとしている。





S105SEP14 SHN 043


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

思考の転換期


花とそらが
あの空の向うに旅立ってから
暫くの時間が過ぎたが、

あれから毎日、ほんのひと時だって
私はあの子たちの事を忘れた事はない。

そうして、
時間の許すかぎり何時もこうして、
大山を眺め、相模川に佇み、
駿河湾に思い出を追って

煉瓦を積み上げてゆくように
断固と重い悲しみを育てているのだ。



D17MAY15 ISE 022


31MAR15 FSL 006a


26MAY15 IZU 015a



このまま流されているのも
気楽なようではある。

然し、小川に流れる木の枝もいつか、

川底に両足を踏ん張って
思考の転換を試みなければならない。






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

ネムリの森の童子たち


花とそらは実によく眠りました。
あんなに眠れるのは、
この森が平穏な場所と
安心していたからに違いありません。
そしてあの子たちのおかげで、
私にとっても、この世界が、
落ち着いた幸福に満ち溢れて感じられたのです。

ネンネンネムリの森の薄闇、
今は、只々ひっそりふたつ、
小さなお堂が並んでいるのみ。




この雨の日に (JULY15)


2013年10月に以下のようなエントリーがあった。
どうやら、時間薬はその役割を
十分に果たしてはいないようだ。
悲しみは癒えるどころか、
益々その色合いを濃くしているかのようにさえ感ずる。





台風の接近で、
まだ1500時過ぎだというのに、辺りが暗い。

こんな日は、時間を思い違いした花そらが、
夕御飯を要求してよく大騒ぎしたので

私は苦笑いしながら
「まだ早いよ?」と、
ソワソワする子らをなだめたものだった。

あの日々はもはや過去となってしまった。




家の中は薄暗く静かで、
雨の音だけが聞こえてきます。

あなたたちが駆け回る音もなく、
遊ぶ楽しさにほえる声もなく、
雨の音だけが沁み入るように
この静寂に響いています。

いろんな事がありました。
生活にあなたたちがいました。
みんな思い出になりました。
私はあなたたちを愛しています。




地下水のように


何処へ行っても、
気が付くと

この道をこう花そらと歩いて
あの木陰で一休みして…

と、あの子たちの事を考えている自分に気付く。

清らかな水がひっそりと
地下に佇むように、
私の心の底には常に
花とそらへの想いが存在している。








31MAR15 FSL 011a


いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


後悔


悪魔が人間に対して行う
最も残酷な仕打ちとは、
これぞと定めた人間の心に
「後悔の念」を植えつける事だという。

人が「後悔」に飲みこまれると
視野狭窄が生じる。
現実を冷静に分析する落ち着き、
先を見据える意識、
全体を俯瞰する視線というものが無くなる。

その先はどうなるのか?
自己溶解、破滅しかあるまい。
それこそ、悪魔の欲するものである。

説明するまでもないが、
「後悔」とは、過ぎ去った出来事に対して感じる
どうしようもない自責の念である。
起こってしまった出来事を
変える事など出来はしない、だからこそ、
「後悔」に取りつかれたら厄介だ。
身悶えしながら、頭をかきむしって、
大声で泣くしかないのだから。

勿論、過去を振り返って自らの行いを省み、
反省をする事によって自己を正してゆく事は、
人格を研鑽してゆくうえで不可欠なプロセスだろう。
だが、後悔にばかり取りつかれていると、
一歩も前に進む事は出来なくなる。
「後悔」と「反省」は違う。
反省は、後悔から一歩前に進んだ状態だ。

<悪魔はその一歩を進ませまいと、
 がっちりと足首を掴んで離さない。>


その真っ黒で骨ばった醜い手を
踏み砕くには、
自らが強くなるしかない。

最後は自分なのだ、
戦いを放棄してはならない。




雨あがる


雨があがったようだ。
外では雀たちが、
ちよ、ちよ、と囀り始めた。

最初は可愛らしい調子だったが、
なにやら、
ぢぢぢぢぢ! ぢぢぢぢぢぢ!
と、切実な響きに変化してきた。

どうやらこれを人間の言葉に翻訳すると、
「ゴハン無いぞな!」
「ゴハン出すぞな!」

と、なるようだ。

庭先のお皿に食事の用意をしてやらねばならない。
私の重大な仕事である。







この季節、花とそらが水浴びで涼をとったこの場所に
02JULY15 SA 006a


今は小鳥たちの食器が在ります。
02JULY15 SA 003b




川端康成だったか志賀直哉だったか忘れたのですが、
雀の囀りを「千代、千代、」と当て字していらっしゃいました。
こういったさりげない美しさを生み出せるところが、
私たち凡人との決定的な差なのだ、ト感じたものです。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

花そら双子星 森の下校みち (JULY15)


今回は、
「花そら双子星」という創作童話シリーズの一話を掲載してみます。
2012年に書いたものです。








twinstars23SEP12 157

(On the west bank of the Milky Way's shining river, you can see two small stars.
These are the little crystal palaces where the twin stars, Hana-chan and Pokkun, live.
Every evening, Hana-chan and Pokkun return to their palaces.
All night long, they sit with straight backs singing the song called "HOSHIMEGURI NO UTA".

This is the duty of the twin stars.)









花ちゃん童子とぽっくん童子が
森の学校でのお勉強を終え

23SEP12 189school


帰宅しようとしたその時です。



森を包んでいた霧が

ポッシャリ ポッシャリ

と音をたて


小雨となって降りだしました。





A23SEP12 118rain


B23SEP12 124rain



ウサギやリス、
いたずらもののイタチらも

大急ぎで下校したようです。


ポッシャリ ポッシャリ ツイツイ トン

にぎやかだった森の学校に
雨が葉をくすぐる音だけが響いています。

サラサラ サラサラ ツァン ツァン ツァン








A23SEP12 138song

みんなどぉこに行ったやら



B23SEP12 148song

緑の外套 雨に濡れ



C23SEP12 021song

小まい友達 雨宿り



D23SEP12 033song

ポッシャン ポッシャン ポッシャン シャン






森の空を包む木々から
水晶の雫がポタポタと流れ

ツァラツァランと草の葉の上を流れ
それからキラキラころがって土の底へもぐって行きました。





雨に光る下校のみちを

花ちゃん童子とぽっくん童子は
わぁいわぁいと
駆け足で帰ってゆきました。









(原文)
その時、風が来て、りんどうの花はツァリンとからだを曲げて、その天河石の花の盃を下の方に向けましたので、トパァスはツァラツァランとこぼれて下のすずらんの葉に落ち、それからきらきらころがって草の底の方へもぐって行きました。



種本はこちら・・・↓

十力の金剛石十力の金剛石
(1983/01)
宮沢 賢治

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梅雨の日


ポッシャン、ポッシャン、と、
雨の降る音だけが静かに響いている。
他には何の音もしない。

薄暗い部屋の中で、
私は花とそらのいたあの日々を思っている。

雨の日には森の公園をよく散歩した。
ちょっとの雨なら
高い木々が傘のように
私たちを守ってくれた。

ツィ、ツィ、と、水が葉の表面を滑り、
濡れた草木の香りが森に漂う。

浄化された清らかな空気を
胸いっぱいに吸って、
私たちは何処までも歩いたのだ。
湿った砂利も心地良かった。

今や、あの雨の日々も、
遠き思い出となってしまった。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

斜陽に立つ


夕暮れの風が頬を撫でながら
吹き抜けてゆく。

その冷たい感触が
喪失という現実を際立たせる。

この場所で一緒に
夕陽を眺めた花とそらは…

最早この世界にはいない。








27JUN15 ERINJI 045a


いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。

よたかに思う (JUN15)


2011年にこんなエントリーがありました。

今でもそうですが、
宮沢賢治の作品は当ブログによく登場します。
昔と今とでは、
またいろいろと感ずるところが違ってきています。

年齢を重ねるごとに、
意味が深くなってゆくのです。

賢さんは、本当に不思議な人です。










16JULY11 005YODAKA



キミは醜くなんかない

純粋で美しく優しい鳥だ





よだかよ

出来ることならその傷ついた魂を
そっと抱きしめてあげたい






sora mumuSORA「よ、よだかしゃん!」


sora mattemashuSORA「ぽっくん、だいしゅきでしゅよ・・・」
         *だいしゅき:大好き








そしてよだかの星は燃えつづけました

いつまでもいつまでも燃えつづけました






よだかの星 (日本の童話名作選)よだかの星 (日本の童話名作選)
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hana happyHANA「市蔵~! ヤキソバパン買ってくんぞな~ww



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