意思による現象


通常、私たちは、
今そこに浮いている雲や道端に咲いている野の花、
枯れ葉が風に舞うといった些細な出来事に、
意志があるなどとは考えない。

雲が出来るのも、花が咲くのも、
そには科学的な原因があって、
私たちはその結果を見ているにすぎない事は
誰もがわかっている事だし、
いちいちそれを気に留めたりはしない。

併しである。

どうしても、常識だけでは納得が出来ない、
あまりにも完璧すぎるタイミングと正確さで
私たちの前に現出する、
神がかり的な自然の事象というものがある。
最早そこには、
何らかの意思が働いているとしか考えられない
そんな不思議な現象。

例えば、雲である。
花とそらを想いながらふと見上げた空に、
偶然とは決して云えない数学的な精密さで、
あの子たちの姿をした
雲が浮かんでいることがある。

雲は刻々と姿を変えてゆくので
その姿はまさに一瞬なのであるけども、
そこには確かな「意思」を感ずる。

野草だってそうだ。
一面緑の草むらの中に、なぜだか二つ、
小さな花が並んで咲いていることがある。
その姿は、確かにあの双子の星、
花とそらの寄り添う姿なのだ。
これらには、とても偶然とは思えない、
神秘的な何かを感じる。

それが神仏の大いなる「意思」によるものなのか、
花とそらが呼びかけてくる優しい「意思」によるものなのか、
それは私にはわからない。
併しそこには確かな「意思の力」が力学的に
この世の現象として働き、
その奇跡の姿を現出させている。



2014-06-01 01JUN13 MIYAGASE 026

2014-07-17 27JULY14 002a

2014-10-18 18OCT14 ERINJI 016

2014-08-05 013a

2011120319221863a_20150330154140584.jpg



PB140038aSS_201503301542202c9.jpg






「なんてすごい偶然なんだろう。……!」
貴方がそう感ずる事があった時、
もしかしたらそこには、
何らかの「意思の力」が働いているのかも知れない。












いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。

スポンサーサイト

ウォーソン夫人の茶フラット 後編(MAR15)


それでは後半をどうぞ。
こちらもまた、
当時のものそのままを掲載してみます。










HANA・SORAで読む
「ウォーソン夫人の黒猫」萩原朔太郎 

後編







毎日、毎日、


ウォーソン夫人が帰宅すると、
必ず家の中の同じ場所に

同じようにして
座っているその謎の黒猫!



戸締りはいつも完璧だし、
窓やドアが
こじ開けられた痕跡もない・・・

「いったいどこから、どうやって!?」


普通ならパニックになるところですが、

さぁ
ここは知性的で冷静な判断力を持った夫人のこと、

進入経路特定のため、
窓やドア付近に粉をまくなど
いろんな細工を施しますが、しかし・・・


猫がどこから入ってくるのか、
どうやって現れるのかすらもわからない



一日部屋をずっと見張っていても、
ちょっと目を離した隙に

いつの間にかそこにいるその黒い猫・・・!


↓猫の役を見事にこなすSORAくん
A24AUG10 059james

B24AUG10 060james

C24AUG10 061james

D24AUG10 062james

E24AUG10 054james




こんなカンジで
話はなかなかミステリアスに進みますが、実は!

この話は
前回の名言集に登場した
ウィリアム・ジェームス(ゼームズ教授/心理学者の著書で紹介されている

実話を小説化したもの

ってことを
ここで言っておかねばなりません。


念のため
もう一回言いますが・・・

これは『心理学者』の記録した
『実話』をもとにしています。





それを考慮に入れると

読む人が読めば
ウォーソン夫人に何が起こっているのかは

すぐにわかると思いますが・・・



作中に記載がないため
補足をいれさせていただくと

これはまさしく”進行中”の
「早発性痴呆」
今でいう
「統合失調症」つまり・・

「精神分裂病」なワケです。



この後
ウォーソン夫人がどう壊れていくかは
(ネットの青空文庫なんかでも無料で読めますので)

ぜひご自分の目で確認してみてください。



実際にあったことの記録を元にしていると
わかってて読めば

かなり怖いです。



特に最後のほうの描写は、

かなり生々しく
強烈でアレなんですが、



マイナーなままであるのは
もったいない良作なんで
紹介してみました。



まぁ、ちょっと気になったらどうぞ。










猫町 他十七篇 (岩波文庫)猫町 他十七篇 (岩波文庫)
(1995/05)
萩原 朔太郎

商品詳細を見る



ウォーソン夫人の茶フラット 前編 (MAR15)


花とそらは名役者でもあり、
いろんな文学を演じてきました。

以下、当時のものをそのまま掲載してみます。





HANA・SORAで読む

「ウォーソン婦人の黒猫」 萩原朔太郎



さて今回は、
萩原朔太郎の「ウォーソン婦人の黒猫」

これいってみましょう!


この作品には
ウォーソン婦人という
高い知性を持った聡明な女性が登場します。

ウォーソン婦人は未亡人で
一人暮らしをしており、
日中は働いています。

朝の出勤時、
婦人は『とても几帳面な性格』なので
必ずドアや窓の施錠を確認することを
忘れません。

つまり、
日中は猫の子一匹
家の中に入ることが出来ないはずなのです。


しかしなんと・・・



ある日、婦人が仕事から帰ってみると
部屋の真ん中に
一匹の黒猫が座っているではありませんか。。




その猫は
置物のように動かないで


A24AUG10 013neko

24AUG10 013addition

24AUG10 013mos










B24AUG10 014nekopun


C24AUG10 015neko



ここでは動いちゃいましたが

作品中、
猫は動かないでじっとしており

04SEP08 199SORA「はぅぅ・・・」


猫独特のあのじぃぃぃっという凝視で
夫人のことを見つめています。


「いったいこの猫はどこから入ってきたのか!?」

夫人は困惑し、戸惑います。。




さてこの謎の猫、

特に何をするというワケでもなく
夫人が窓を開ければ

影のようにそこから
飛び去ってしまうのですが・・・

この日以降、
毎日でるようになります。








夫人が帰宅すると
いるはずのない黒猫が


必ずそこにいる!!





一体この猫は
何なのか・・・?


後編に続く




猫町 他十七篇 (岩波文庫)猫町 他十七篇 (岩波文庫)
(1995/05)
萩原 朔太郎

商品詳細を見る


ある短編


昔読んだ、
何の短編だったか、こんな話があった。
記憶が曖昧で、
正直、細かい所は違っているはずだが、
(そして、記憶は独自のアレンジを勝手に加えるもの!)
大まかには以下のような話だ。

あるところに男がいた。
平凡で、何処にでもいるような男ではあったが、
男は努力して新築の家を建てた。

丘の上に悠然と存在するその家には、
愛する妻と子があった。
自分の家、暖かい家族、帰る場所、守るべき我が家……
要するに、その丘のうえには男の全てがあり、
男は丘のふもとの酒場から
自らの人生を形にしたような、
自分の手で作ってきたもの全てを
物質に置き換えて構築したかの如きその家を、
静かに一人、酒を飲みながら
眺めているのが好きだった。
男はその時間を「幸福」だと感じた。

併し男は、
世にも恐ろしいある事実に気付き
その恐怖に大きく心を乱されてしまう。
「この幸福、今のこの生活もいつかは終わるものなのだ。……」


恐怖による動揺は男を
妄想の沼へと引きずり込む。

近い将来必ずくるであろう老い。
老いた姿の自分がこの酒場から、
丘の上の家を見上げている。
其処には最早、灯りはともっておらず、
老朽化した家は夜風に吹かれて
不気味に軋みながらぼんやりと存在している。
家は荒廃し、家族を失い、
最早老いて死んでゆくだけの自分が、
一人で酒を飲みながら、
真っ暗な丘の上の家を見上げてこう呟くのだ。
「あの頃はなんて幸せだったのだろう。……」

きっと来るであろうこの未来に、
男は悲しみの涙を流し、この話は終わる。

…………

この男の不幸は、
自分の将来の可能性を
たった一つに絞ってしまったことだ。
しかもそれは最悪に近い可能性であるので
どうにも救いようがない。
何故、子供夫婦や孫たちに囲まれた
明るい老後を遠視出来なかったのか?

人は、損失に対する恐怖を誤魔化す事など出来はしない。
その恐怖は、まるで黒い鋼でできた鷹の爪のようで
私たちの心臓を掴んで絶対に離れはしないものだ。
大小はあろうが、
損失恐怖は常に人の心に食い込んで存在している。

併し、その存在をなるべく感じないようにする方法はある。
短編の男を例にとろう。
この男には、家もあり家族もあった。
だから男は、
今、正にある幸福を精一杯に全身で感じ、
今、正にある愛する存在を全霊で以て大切にしていれば、
最早それだけで良かったのだ。
そうしていれば、きっとその恐怖は和らいだはずなのだ。

幸福を手に入れた瞬間から
損失の恐怖に心を痛めるなんて馬鹿げた事だ。
無駄な神経の消費でしかない。
そんな事に消耗するよりも、
今正にその手にある幸福に全てを任せていればそれでいい。
物事はもっと単純であるべきなのだ。

あまりに思考が加速し亢進しすぎると、
神経に焼け付きを起してしまう結果になりかねない。
用心、用心。……







13MAY14 YMT 006




いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。





何をするにも常に全力!(MAR15)


過去にこんなブログを書いていました。
全力でいる事は大事です。
全力になれる貴方は偉大です。
精一杯生きる人生はより輝くものとなります。

以下、掲載時のものをそのまま掲載します。
当時のものなので、意味はよくわかりませんが(笑








今日も全力、常にZENRYOKU!

うた:   春団治白点狼SORA
コーラス: Silveretta Gratia HANAKO






Wow Wow Wow Wow  
Wow Wow Wow Wow ~♪




常に全力 フル回転~♪


AB27SEP12 033zenryoku



hana ordinaryHANA「OVER HEAT!」





常に全開 フルスロットルぅぅ~♪


B27SEP12 025zenryoku



hana ordinaryHANA「ドッグランで赤切符!」





腕立て!腹筋! バーベルダンベル、懸垂!

25OCT12 056ZENRYOKU




GO!

08NOV12a 007 ONE MORE
(↑ 部隊にある懸垂用の鉄棒ですw)






ラ~ララ~ ラララ ラ~ララ~♪








A07JULY12 001sleep

hana ordinaryHANA「ZENRYOKU!」





B04SEP12 003sleep



寝たらそのまま

C04SEP12 004sleep

でしゅYo~♪♪




ライバルはァァァ!

hana ordinaryHANA「3YEARS NE-TA-ROH!」







(セリフ)

A11OCT10 021sleepy



だったら・・・

B18SEP12 002sleepy








16NOV10 069wow





デンドン デンドン デンドン デンドン、デン!

ダララ~ン・・・♪



















幸田露伴先生「何をするにも常に渾身!!」

幸田文しつけ帖幸田文しつけ帖
(2009/02/05)
幸田 文

商品詳細を見る




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

窓にのこる鼻スタンプ


花とそらが実在した痕跡は他にも見られる。
例えば車の後部座席の窓だ。
見渡す生活の周囲から
あの子たちの痕跡が日々消えてゆく中、
ここにだけはハッキリとした花そらの「鼻スタンプ」が
たくさんペタペタと鮮明に残っていている。

花とそらは車に乗れば
いつもすぐに寝てしまっていた。
移動の間、
目的地に到着するまではしっかり寝て力をためるのが
あの子たちの調整方法だったのだろう。

併し例外もあった。
海沿いを走る時がそうだった。
海が近づいてくると匂いでわかるのか、
いつの間にかすっくと立ち上がっていて
波や潮風にせわしく足踏みして喜んでいた。
花とそらは海が大好きだった。

あまりにはしゃぐので、少しだけ窓を下げてやる。
そうすると、
そのわずかな隙間から鼻を外へだして、
海の香りを嗅ごうと
大きく鼻を鳴らしていた花とそら。

クンクンクンクン
スーピー スーピー
フンフンフンフン フンフンフンフン
シュピー シュピー

窓に鼻を押しつけるほどに
海を喜んでいたあの子たちの
可愛らしい「鼻スタンプ」の跡が、
今も窓ガラスにのこっているのだ。

その痕跡は、紛れもない幸福の記録である。







いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


夢の痕跡を発見する


リビングの掃除をしていて
サッシの隙間に花かそらの毛を見つけた。

たった一本の細い毛だが、愛おしくてたまらぬ。

足の毛だろうか、背中の毛だろうか、
或いは耳の毛だろうか?
尻尾の毛なら、特徴があるからわかりそうなものだ。
この白いポヨ毛は、お腹の毛だろうか。……

掃除の手をとめて、
じっと手のひらの毛を見つめる。
花とそら、どちらのものかはわからない。

か細く、微かで、
呼吸の方向を間違えたら飛んで行ってしまいそうな
儚げな存在ではあるが、
この毛は花とそらがこの家で生活していた事実を証明する
これ以上ないほどの強力な証拠だ。
あの子たちがこの世に残した
明確な足跡のひとつだ。

あの子たちと暮らしたあの日々。
今にして思えば、水平線の向うに揺らぐ
陽炎のような遠い遠い夢の日々。
その夢の断片を手のひらにのせて、
愛おしく、そっと、撫でる。


精神の世界では、
未来、現在、過去、といった
時間の概念が意味をなさなくなる瞬間がある。
私はその時、
去ってしまった過去に触れていた。







いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。

春の氷雨


こんな寒い闇夜に降る雨は
山に生きる動物たちの身体を凍りつかせ、
今を生きる苦しみをより鮮明にする事だろう。
いつ止むとも知れないこの
みぞれ交じりの雨の中、
あの日、丹沢で見た鹿や鳥や猿たちは
今頃どうしているのだろうか?
身体を寄せ合って震えているのだろうか?
私は全ての生命を愛おしく思う。





春はもうすぐ……

11MAR15 WAKAMIYA 001as





いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。


川は流れる 時は流れる その2


前回掲載した一番目の写真であるが、
コレはサイクリングしていて撮影したものである。

↓コレ
02MAR15 AY 008a


実は、一旦通り過ぎて、
「あっ、今のはいい景色だ、写真を撮らねば!」
そう思い直して、
すでに百メートル以上も進んでいたにも関わらず、
Uターンして撮影したものだ。

一瞬、目に映ったその景色の素晴らしさを諦める事が出来ず、
慌てて引き返すのはよくある事だ。
引き返したい! 面倒くさい!
このせめぎ合いが長期戦になれば、
それだけ引き返す距離は増してゆくのだが、
(そして「面倒くさい」の勝つ確率がどんどん増えてゆく)
それでも諦めきれない時がある。
今回がそうだった。


その時、既に百メートル以上撮影したいポイントから下っていた、
と書いたが、大幅に行き過ぎたのにはわけがあった。

Uターンして気付いたのだが、
それまで全く意識していなかったのだが、
その時、私はさり気ない追い風の支援のおかげで
実に軽やかに進んでいたのだ。
それで、思ったよりも大幅に行き過ぎてしまっていた、
という由。

さて、Uターンしてからが一苦労である。
今まで私を疾風の様に進ませてくれていた追い風は、
今度は打って変わって私を押し返しにかかった。
懸命にペダルを漕ぐが、
その踏み込みは重く、しかもその苦労に反して
距離は甚だ一向に進捗しない。

「今まであんなに楽だったのに。……」
などと恨み事を言ってもはじまらないのではあるが、
私はその時、ある事実に気付いた。

私は、正直、追い風の存在には全く気付いていなかった。
併し追い風はそこに確実に存在していて
私の背を押してくれていたのだ。
私がその存在に全く気づかず、
畢竟して感謝の気持ちの欠片すら持っていなかったというのに、だ。

さて、
この事は私たちの人生にも当てはまるのではなかろうか?
この追い風の様な存在の誰かが、
きっと私たちの周囲にもいるはずなのだ。
今生きているという事実、それこそが
人生に於いての知られざる追い風の存在を証明する
確かな証なのである。

日頃、いて当たり前と感じている存在や
何かしてもらっても当然と考えている事。
そんな思い違いが私たちの周囲には
少なからずあるのではないだろうか?

私は立ちはだかる向い風に息を切らしながら
そんな事を考えた。








~ おまけ ~

Uターンして目的地につき、
そこから再びUターンして追い風に身を任せた時、
私は又もある事実に気付いた。
(この日はいつになく冴えていた!)

そうだ。……
向い風も、身を転じれば追い風になる!



物事は表裏一体。
それをどう見て、どう解釈し、どう活かすかは、
どうやら全て自分次第のようだ。








川は流れる 時は流れる


花そらとよく一緒に歩いた
この川沿いの道。


02MAR15 AY 008a

今は綺麗に整備舗装されて、
緑が豊かで土の感触が心地よかったかつての面影はない。





2013022821185045eaM1.jpg


2012082916521438faM1.jpg


春には明るい菜の花が咲き、
夏には水際の涼しい風が吹き抜け、
秋には悲しげな赤とんぼが舞い、
冬には真っ白な雪に覆われる。



菜の花が好物だったそら君は
よく立ち食いをなさり

まだ木が生えていた土手に
みんなで座って木陰に休み

夕陽に舞う赤とんぼに
意味もなく悲しくなり

真っ白な雪の上を
みんなではしゃぎながら歩いた。

…………

……






そんな事を考えながら
ふと川に視線を落とすと、

そこには二羽の水鳥が
並んで泳いでいた。



02MAR15 AY 010b

02MAR15 AY 011c




一羽はしゃんと首を立て、
もう一羽は首を前にのばしている。

これは、花とそらのいつもの姿勢である。
私にはすぐにわかった。

この二羽は花とそらなのだ、と。
あの子たちが私を元気づけに来てくれたのだ、と。





景色は変わってしまったけれど、
花とそらには願えばいつでも会う事が出来る。






そして川は、
何事もなかったかのように、
静かに流れてゆくのみ。……




まいにち修造!


人生は長い。
時には、破滅的な考え方に
身を捕らわれてしまう状態に陥る事があるかも知れない。

そんな時、仏教の教えに世の理への理解を深め、
基督教の教えに救いを求め、
V.E.フランクルの著書など、先人の知恵から
生きる事によって生ずる苦難を乗り越える為の
勇気をもらい、この今に感謝し、
先へ進む力を生み出す。
こういった手段はいずれも効果的で
そこに疑いの余地はないものだが、併し、
それを成すには多大なる精神力を要する。……

では、そんな力が最早残されていなかったらどうするのか?
そんな時は、何も考えずに
ただ単純な勢いのある「エネルギーの塊」に
背中を押してもらうのが一番だ。

今回紹介するこの強烈な個性が生み出す
力学的熱量を持った言葉の数々は、
私たちの背中を押すにとどまらず、
勢い余って宇宙にまで打ち上げてくれるかもしれない
驚くべきエネルギーを秘めている。
ひとりの人でありながら、
その精神が地球脱出速度を突破してしまう可能性もあるのだ。
これにはJAXAも屹度驚くであろう。

挫けそうな時、立ち上がれない時、
即効で、尚且つ確実に、
私たちを奮い立たせてくれる
炎と愛に満ちた魔法のカレンダーがこれだ!!



(日めくり)まいにち、修造! ([実用品])(日めくり)まいにち、修造! ([実用品])
(2014/09/06)
松岡 修造

商品詳細を見る



「熱血」「本気」「全力」
こういった言葉を本気で実践する人が
世に少なくなって久しい。

誰もが自分たちの「見栄え」だけを気にし、
歯を食いしばって、
泥に汗にまみれて、と
本気の姿で何かに取り組む事をしなくなった。

そんな中、この人だけは確かな炎で
真っ赤に燃え上がっている。
本気という姿の美しさを
私たちに示してくれている。
その姿はまるで、暗黒の宇宙に輝く恒星のようで、
光だけでなく、その熱い熱エネルギーでもっても
宇宙全体へ生命繁栄へのエールを送り続けているのだ。
(こう書くと、本当に太陽のようではないか…!)


そんな修造氏の語録が記載されたこのカレンダー、
それでは、
中身を一部紹介してみよう。



「できる、できない」を決めるのは自分だ

後ろを見るな! 前も見るな! 今を見ろ!

心の背筋を伸ばせ!

緊張感、万歳!

失敗しても全然OK!

考えろ! 考えるな!

崖っぷち、だーい好き

カメはベストを尽くした。
君はどうだ?



これらの言葉は、あれこれ細かく考えてはいけない。
その勢い、その人間離れした推進力を恐れることなく、
こちらはただ黙って両手をあげたまま
跳ね飛ばれれるなり、吹き飛ばされていればいいのだ。
(それを楽しむ!)
だから、台風に舞う木の葉のような気持ちで、
その巨大な運動エネルギーに翻弄されていればいい。
その圧倒的な命の沸騰に、
便乗するくらいの気持ちで十分なのだ。
(大波のエネルギーに乗ることを楽しみとする
 サーフィンに似ている。)
『台風に舞う木の葉は、自力で進んでいるわけではない。
 併し、木の葉の猛スピードは厳然たる事実だ。』

君は本気か? 僕は本気だ!!




そして、所々にある言葉、例えば

昇ってこいよ!
君は太陽だから!

大丈夫、君は一人じゃない

できるできる、君ならできる!!



普通の人が言えば吹き出してしまいそうだが、
修造氏の口から聞けば
これらはとたんに心強いエールとなる。
何故なら、
修造氏はおそらく本気で言っているからだ。
本気だからこそ伝わってくる。

そしてその本気は、
私たちへの一方通行的な通信ではなく、
常に相互交通だと私は確信する。
弱きの叫びをしっかりと受け止めてくれる
大きな度量も持っているはずだ。
それを確信させてくれる何かが、
これらのエールには秘められている。
だから吹き出してしまうのではなく、
感動が生じるのだ。

修造氏は常に全力。
ぶつかってくるのも全力ならば、
受け止めてくれるのも全力。
常に全力の幸田露伴も
やっぱり全力で称賛する事だろう。

僕は君を、信じてる!!




さて、中にはこんな言葉もある。

打ちあげてごらん、心の花火を

自分を持ちたいなら、サバになれ!

今日から君は噴水だ!

干し餅は干されているようで干されていない



何だか意味はよくわからないけども、
そんな事は問題ではない。
感じて欲しいのはその勢いだ、積極性だ。
負のシミなど一点もないその純粋性、
弾道飛行するロケットのような直進性だ。
意味はさておき、その気持ちは真っ直ぐに伝わってくるではないか。…!
(因みに、各言葉には其々修三氏の解説がついているので、
 一見不可解な言葉にも実はしっかりした意味がある事がわかる。)





今回この「まいにち修造」というカレンダーを紹介した。
併し、正直なところ、これだけでは伝わりにくいと思う。

何故なら、実物のカレンダーには、
これらのメッセージを全身全力で伝えようとする
修造氏の全力ポーズの写真がついているからだ。
写真と言葉、解説によって、メッセージは完成する。

もしも今、人生を辛いと感ずる人がいたら、
ぜひこのカレンダー手に取って、
修造氏のメッセージを感じて欲しい。
きっと、一歩を踏み出す勇気をもらえるはずだ。
背中を心地よく押される、と言ってもいいし、
気がついたら歩き出していた、と言ってもいい。
そんな自然な元気をもらえる。




では最後は、
私が一番気に入っている言葉を紹介して
今回の締めとしよう。

次に叩く一回で、
その壁は破れるかもしれない





(日めくり)まいにち、修造! ([実用品])(日めくり)まいにち、修造! ([実用品])
(2014/09/06)
松岡 修造

商品詳細を見る

花そらという果実


春、ある所にあったか細く弱々しい木に、
愛らしい二つの果実が実を結んだ。
まだ青々しく若さに満ちた果実たちは、
生きる意思に満ち溢れて
活き活きとした生命力ははち切れんばかりだった。
果実たちのエネルギーは木にも伝わり、
木は以前にも増して人生に熱心となり
幹は太く逞しく変貌して
枝は天を覆うほどに成長した。

木は果実たちを守る為に
懸命に根を張って葉を茂らせ、
果実たちは木の気持ちに応えるように
真っ直ぐで純粋な愛を示した。
木と二つの果実は、一まとまりの集合体でありながら、
その本質は堅固な一個体、即ち、家族であった。

夏がきた。
果実たちは今や艶やかな紅の身体を
太陽の元に輝かせ、
その生命をこの世に謳歌していた。
空は濃い青に光り、
そこには白い雲がもくもくと湧いている。
鳥が飛び、川は流れ、
海も山もこの世の楽園のようで
何一つ心配事など無いかのように思われた。
木と果実たちは、
心地よい日射しとたっぷりの慈雨に
夢のような毎日を送った。

やがて、秋となった。
ススキは色を失い、
黄金の夕陽に染まる西の空が
その壮麗さを斜陽のもの悲しさへと変貌させてゆくなか、
果実たちの時は段々と熟していった。
森羅万象すべての事象が、
音もなく静かに先へと進んだ。

そして季節は冬となった。
全ては去り、全ては無に帰った。
木はただ一人、同じ場所に立ち尽くすのみ。

そしてまた、春が来る。
果たしてその春は、
去年の春とは違ったものになるのであろうか?




(↓)
昨年、甲斐の恵林寺で撮影した柿の写真。
仲良く寄り添うそうな姿が、花とそらを思わせます。
花とそらは、私の人生に現出した果実でありました。


01NOV14 KAI ZENKOJI 015a2
















では、全てが完璧な姿で或る正にその瞬間、
上の例であげれば盛夏のその季節、
死を以て人生を終えれば
その完璧は永遠となるのではなかろうか。
生の充実を確実なものとする為の、
つまり、矛盾した言い方だが、
生を完璧なものとする為の死もあるのかも知れない。

(併し私は、それを確かめるのは、
 次に来る春がどんな春になるのかを見てからでも
 決して遅くはないと思う。)

……などという、
一種破滅的な考えがちょっとでも頭に浮かぶ方があれば、
是非ともオススメしたい素晴らしいカレンダーを見つけたので、
次回紹介してみる。

その名を「まいにち修三!」という。





この世は表裏一体で成り立つ


古より言われる事だが、
物事は常に表裏一体である。

表と裏、明に暗、陰に陽、白に黒、動に静、有に無、
草枕曰く、
明暗は表裏の如く日のあたる所には屹度影がさす。

例を挙げてゆけばきりがない。
森羅万象は、常にこうして対を成しており、
どうやら世界はこの均衡を基礎として成り立っている。
腹からの笑いの後には、底なしの絶望。

プラスとマイナスはこの世界の物理的バランスを保っているだけでなく、
人や生命の精神世界、
超自然的な神の意思による意味のある偶然、
即ち「運命」の骨骼を成す事を
私たちは経験則から知っている。

これを数式で表す事は出来ないが、
併しおそらくは正しい。
ならば、幸いを求める場合にはその対である
艱難辛苦を受け入れる覚悟を持たなければならない定めになる。
ヨブ記に曰く、主は与え、主は奪う。

それを知り、気持ちの準備を常に怠らない心の備えが、
人生至るところに敷き置かれた挫折という打撃に対する
良き緩衝材となるかも知れない。
知り、備え、身構える事は大事であるのだ。




例えばである。
(今ここからは思いつきで書くのだが)
机の上に堆く積んだ本を整理する時、
その陰にゴキブリがいるのを知っていた場合と
知らなかった場合とでは
受けるショックにかなりの差がでるだろう。

私は正直、あの黒い艶やかな姿を
何の前触れもなしに突然目撃してしまったら、
三尺ばかり飛び上がった後に
奇声をあげて金盥を打ち鳴らしながら、
そのまま屋外へ飛び出てしまうかも知れない。

心の準備が出来ていれば、予測をしていれば、
そんな失態を晒す破目にはには陥らないはずなのだ。

さて…
例えが完全に焦点をずれている。

最近、職場でゴキブリとの接近遭遇があったのだが、
どうやらその記憶が
この場に漏れ出してきてしまった。
それ程までに、御器被りの存在感は強烈という事か。……!



話は最早、軌道修正出来そうにない。
(やはりお酒はいけない!)

『闇の存在が信じられるのであれば、
 それ故に光がある事を信じるべきである』
などという締め括りを考えながら本稿を書き始めたのだが、
何故か大幅に脱線して
最後はゴキブリの話になってしまった。
今回はもう何だかよくわからないので
ここらでお茶にしよう。




↓ 最近での一番のお気に入りです。

16FEB15 MIYAGASE 001GS


| はなそらDAYz!ホーム |