恵林寺に於ける禅の場に衝撃を受ける


「禅」というものには以前から興味があったが、
生来よりの臆病さがたたり
新しい世界への一歩を踏み出せずにいた私であったが、
何のきっかけか、
遂にその最初の一歩を踏み出す事が出来たのは
既に数か月前の事となった。
今思えば、酔って大きくなった気に任せて宣言した事を撤回出来ず、
そのまま勢いで腹を括って踏み出した一歩であったが、
きっかけの不甲斐なさは、まぁさて置き、
禅の世界に飛び込んでいけた事は僥倖であった。
ほんの少し触れただけであったのだが、
禅からは、私の人生、人間性、世界を変える可能性を強く感じたものであった。
アンドレイ・ボルコンスキー(トルストイ/戦争と平和)が受けた
砲弾のような衝撃であったと言っても過言ではない。
2014年の秋の早朝に、
私の人生の新たな章が始まったのだ。

座禅。
其処は正に、「厳粛の場」であった。
私のような俗物が、
果たして踏み入る事を許されるのか。……
よく禅寺の門に掲げてある
「不許葷酒入山門」の文字が頭によぎり足が竦んだが、
きっと御仏の御寛大な御心はお許し下さるに違いない、などと
自分勝手な解釈でなんとか自らを奮い立たせ、
どうにかこの場まで来る事が出来た。

広いお堂の中、ふと見渡すと、
特別に「存在感のない」不思議な方がいらしたのを
よくおぼえている。
この方は、
其処に在りながら、其処に無い。
気配や存在感、物理的な実在感がまるでなく、
それがかえって印象深くその存在を際立たせていた。

呼吸をなさっているのか、体温はあるのか、
それすら疑いたくほどの、
(矛盾のある言い方ではあるが)
「無」が確かに其処に在った。
精神を入れる器のようなものがあるとしたら、
この時、この方の精神の器の中は、
完全なる真空であったに違いない。
風の一つも吹いていなかったろうし、
それどころか、
酸素や窒素の元素の一つすら存在しなかったはずだ。
即ち、
「あらゆる波風を起す要素が存在していない」
という事だ。
その静寂ゆえに、その姿は完全に、景色の一部と化して、
もっと言うならば、世界の一部に溶け込んでいらしたのだ。

姿は見えているが、実際に其処には存在しない。

長い人生で初めて見るこの光景に、
私は心の底から戦慄した。
そして、禅の修行を経た人間とは
ここまでの境地に至れるものかと、
驚きと共に、畏敬とも尊崇とも畏懼とも讃仰ともつかぬ
不思議な衝撃を受けた。

私の目指すのは「木鶏」の境地である。
無の心である。
雑念に捕らわれた私の精神が
この御仁に近づけるのに、
これからどれ程の年月がかかるのだろうか。

その間の風雨を思うと気が遠くなる思いであるが、
先ずは、一歩を踏み出す事が出来た。
私はこれからの人間である。

まだ出ぬ音は、この月に照らされた静寂の世界のどこかに
すでに確実に存在しているように思われた。(三島由紀夫「金閣寺」より)





甲斐恵林寺は、快川和尚や武田信玄公の所縁のお寺です。

18OCT14 ERINJI 004a

「心頭滅却すれば火もまた自ずから涼し」 








いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。
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庭園の緑は五月雨に染まる


もう何年も前の事なので話してもよいだろう。

ある年、五月末の某日に、
とあるお寺へ行った時のことである。




そのお寺は、季節の花に彩られた美しい庭園をもつ事で有名で、
梅雨でもあり、私が訪れた時は丁度、
美しい花々が透明な雨の滴に濡れて、
密雲の隙間から覗く、九輪の太陽光線に反射し、
輝く光彩を放っているところであった。

*写真と実際の場所は関係ありません
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緑と花と、その間に見える石仏の庭園は
俗界の中に咲く、小さな奇跡の閉鎖空間といった趣で、
何の所縁もないのに迷い込んでしまったような私にも
しばし美しい夢を見せてくれた。
その庭園はまさに、現世に現れた奇跡の浄土の風景であったのだ。
心身共に疲労困憊にあった私にとって、
庭園は一瞬のうちに心休まる聖域へと偏移した。


2014-05-13 13MAY14 YMT 003



さて、いま、その場所へ
一組の若いカップルが立ち入って来る。

二十代前半の男性は何かの機械工であろうか、
労働を鮮明に思わせる油に汚れたツナギを着ている。
女性はその男性と同年代であり、その表情は何故か暗く、硬い。
二人は並んで、この緑の道を歩んで来る。

2014-05-13 13MAY14 YMT 002JSJ


この庭園があまりにも美しい場所であるので、
彼らは物見遊山にでも来ているのだろうか?
私は思わず八の字を寄せる思いであったが、
それは、若い二人の姿が、
お寺とは余りにも縁遠く感じたからだ。

しかしである。
それにしては、二人ともブラブラと散歩する様子ではなく、
確信に満ちた足取りで真っ直ぐに進んでいる。
美しい花々や清らかな石仏群に
目をくれる素振りすらない。
彼らは何処へゆこうというのか?

彼らが一直線に向かったその先には、小さなお堂があった。
二人の姿を認めた住職さんが出ていらして
何事か言葉を交わしている。
御線香の香が辺りに漂い、
二人は深く首部を垂れて
全身で何事かを祈りはじめた。

………

やがて二人は顔を上げ、
静かににお寺を去っていた。
その後ろ姿を住職さんが見送っている。

絵画のように美しい庭園の片隅にある
ひっそりとしたその小さなお堂、そこは何だったのか。
私は何も深くは考えず、
ただ好奇心だけでその場所へ行ってみた。 
そして硬直した。

あぁ、なんということだろう。

彼らは決して物見遊山などの軽い気持ちで
このお寺を訪れていたのではなかった。
そこには深い悲しみがあり、
そうせずにはいられない、純然たる理由があったのだ。
その小さなお堂には、
水子(見ず子)供養の観音菩薩様がいらしたのだ。




男性が油汚れのツナギを着ていたのは、
おそらく彼が勤務中で
お昼休みを利用して来た事を物語っていた。
自宅で療養する妻を気遣いつつ、
貴重な休み時間を使って来ているのだろう。
女性の表情が硬かったのも、
心身の疲労からくるものと見て取れた。

こじんまりしているとはいえ、庭園は広い。
偶然に住職さんが二人の姿を身かけて出てきたとは思えない。
きっと、毎日同時刻にこの二人はこのお堂へ
心よりの祈りを捧げに来ているのに違いはなかった。……



この若い二人は、
これから先もこの場所へ
何度も何度も祈りを捧げに来ることだろう。
そうせずにはいられないこの二人を、
緑の回廊を構成する
一つひとつ全ての生命、木たち、葉たち、石仏たち、
草たちや小さな虫たち皆が、
これから先もずっと優しく見守ってゆくのだ。

根拠のない粗忽な揣摩臆測をした自らは愚かであったと、
私はぐっと奥歯を噛んだ。





いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。

河原村伝兵衛、ダンプを追って飛ぶ


雀の世界にもいろいろなドラマがある。
彼らもまた、
人間と同じように悩み、喜び、毎日を懸命に生きているのだ。

今回は、師走の夕暮れにある雀が遭遇した
こんな物語を紹介しよう。





河原村伝兵衛、ダンプを追って飛ぶ

ある冬の日の夕暮れ、
河原村伝兵衛という雀の村の足軽が、
電線にとまって夕陽を眺めつつ
そろそろ巣へ帰って休もうか、などと、ぼんやり考えていた時の話。
ふと見下ろすと、
人間の子供、七歳くらいであろうか、女の子が二人、
その身長にあった小さな自転車に乗って、
ふらふらと頼りなく走行していた。

二人は公園からでてきて
今まさに道路を横断しようとしている。
道路に信号はないが、横断歩道はある。
横断歩道の手前でしっかりと停車し、
二人は元気に真っ直ぐと手を挙げて、
道路を渡る意思を示した。

併しである。
師走の夕方の事、車は誰も停まってはくれない。
一見して社用車とわかるステーションワゴンや、
ピカピカに輝く高級乗用車、
スーツなど、きちんと身なりの整った男性が
それら車両の運転席に見える。
併し、誰も、誰一人として、
横断歩道の手前で手を挙げている
自転車の女の子たちに、一瞥もくれない。
見えているはずなのに、誰一人として
「見えないふりをしている」のだ。

伝兵衛は、へん!と鼻を鳴らし、
「人間なんてやっぱりこんなもんじゃ!」と、
すっかり嫌な気分になってしまった。


二人の子供たちは
依然として手を挙げたまま、
右を向き、左を向き、又、右を向き、
速度を上げて行き交う車を
せわしく目で追っている。

最初は笑顔だったその表情は、
今は不安に慄き痛々しいほどで
その幼い目には涙が滲んでいる。

彼女らは、家に帰る為に必死なのだ、懸命なのだ。
暗くなる前に、何としてもこの道路を渡ってしまいたい。……

併し誰も止まりはしない。

一体いつになったら車は停まってくれるのか?
他人事ながら、そろそろ伝兵衛は心細くなってきた。


そうこうしているうちに、
向うから真っ黒なダンプカーが迫ってきた。
その漆黒の姿は巨大な怪物のようだ。
轟音と共に失踪してくるその圧倒的な質量からは
恐怖と威圧しか感じられない。
悪意を形にしたようなその姿は、
(伝兵衛にはそう見えた)
この世の敵意と暴力と無秩序とを具現化したものに相違ないのだ。
(くどいようだが、これは伝兵衛視点である)

伝兵衛は何の疑いもなしに、
この車もこのまま通り過ぎるだろうと信じ、
その後方の車に早くも期待を移していた。
ところが、である。……




その漆黒の巨体は、横断歩道手前数十メートルから
余裕を以て減速し、
ふぅという溜息のような大きな音をたてて
横断歩道手前の停止線で、ゆっくりと停車した。
女の子たちの表情が、とたんに明るく輝きだす。

真っ黒な山のような巨大な車両は
優しく女の子たちに視線を落とし、
それから、キッと反対車線に視線を移して
未だ止まる気配のない車たちを
鋭く睨んで射すくめた。
畢竟、足が竦んだ反対車線の車は停車する。

<安全は確保出来た>

ダンプカーは暖かい太陽光線のような視線をもって、
子供たちに横断を促す。
二人の少女は、圧倒的な存在に守られているという絶対の安心の中、
元気いっぱいに自転車をこいで
横断歩道を無事に渡り、
其々の家へと帰って行った。

そうして、
ダンプカーは何事もなかったかのように
ゆっくりと発進した。
徐々に加速していくその姿は、
夕陽に滲んで、ゆらゆらと揺れている。
最初は巨大な怪物に見えたその姿は、
今や優しいクジラの背中に見える。
伝兵衛はどうしてもダンプと並走したく、
気が付いたら、電線を離れて勢いよく飛び立っていた。







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*今回のお話は作者が遭遇した実話に基づいております。






いつも読んで下さっている皆様、有難う存じます。


青空に舟を浮かべたい (「新郎」より)


一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。

明日のことを思い煩わずらうな。
明日は明日みずから思い煩わん。
今日いちにちを、喜び、努め、人には優しくして暮したい。


青空もこのごろは、ばかに綺麗だ。
舟を浮べたいくらいに綺麗だ。
去年の空は、
冷たく厚いコンクリートのような灰色だった。


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山茶花の花びらは、桜貝。
音たてて散っている。
こんなに見事な花びらだったかと、
今年はじめて驚いている。


去年の山茶花は悲しかった。
去年の山茶花はちっとも美しくなかった。
散ってゆくその様が、
地面に落ちた、茶色く変色したその花弁が、
ただただ悲しいだけだった。


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何もかも、なつかしいのだ。
深呼吸するにも、
泣いてみたいくらいの感謝の念で
空気を吸い込んでいる。

まさか、本当には泣かない。
思わず微笑しているという程の意味である。


今年の私は、去年とは少し変わったかもしれない。

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去年の丁度今頃の写真をなんとなく眺めていた。
少しどころか、ずいぶんと変わったように思ったが、
実際はそうでもないかも知れない。

何事も、少しずつ、少しずつで無理なく歩むのが肝要。
焦りは禁物、焦れば躓く、転倒する。

私の歩みは亀のように緩やかだが、
真っ白な包帯に滲んだ血液のように鮮明で確実である。




今でも花とそらは私と共にある。

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いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。



「青空に舟を浮かべたい」なんて、流石は太宰治と思わずうなってしまいます。
三島のユッキーが言葉の芸術家なら、
スーパースター太宰治は言葉の魔術師といったところでしょうか。……


ろまん燈籠 (新潮文庫)ろまん燈籠 (新潮文庫)
(1983/03/01)
太宰 治

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あの日々 Those days with HANA and SORA  (DEC14)


そしてこちら。……
Avril Lavigne の「17」という曲をベースにしたこちらの記事は、
一ト月程前に記したものです。

花とそらのいたあの日々を思い出すと
今でも涙が流れます。

然しそれは嘗てのような、
悲しみに苦しむ涙ではなく
悲しみを洗い流す涙に変わりつつあるのです。











あの日々 Those days with HANA and SORA


(verse)
私たちは走った
お散歩した
泳いだ
遊んだ
毎日が冒険だった、あの日々

私たちは歌った
抱きあった
見つめ合い
顔を見合わせて
たくさん笑いあった、あの日々

(bridge)
そうだ、あの日々はもう遠い
でも目を閉じてキミたちを想えば
いつでも気持ちは戻れるんだ

(chorus)
私たちは世界の頂点にいた
何も怖くはなかった
私は純粋な子供のままで、
キミたちもまたそうだった
自由でワイルドに生きた
ただ愛だけがあった
あの日々、あの過ぎ去りし日々……


(verse)
私たちは歩いた
太陽のもと
雨のなか
森を草原を巡る四季を
ずっと一緒に歩いた、あの日々

私たちは生きた
肩を寄せ合い
夢を語り
心の底から愛し合い
この先もずっと
ずっと一緒だと信じていた、あの日々

(bridge)
そうだ、あの日々はもう遠い
でも目を閉じてキミたちを想えば
いつでも気持ちは戻れるんだ

(chorus)
私たちは世界の頂点にいた
何も怖くはなかった
私は純粋な子供のままで、
キミたちもまたそうだった
自由でワイルドに生きた
ただ愛だけがあった
あの日々、あの過ぎ去りし日々……







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Avril Lavigne の「17」より、本歌取させていただきました。。
(といっても、一二箇所、しかも日本語での拝借ですが)
過ぎ去った過去を思う、曲全体に漂う切ないイメージを借り受けたのです。
今更ながら、彼女の表現者としての素晴らしき才能に驚きです……



Avril LavigneAvril Lavigne
(2013/11/05)
Avril Lavigne

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Avril Lavigne "INNOCENCE" (DEC14)


こちらは、約二年前に記したものです。

「この今の幸福が永遠に続けばいい」
そう願っていたあの頃でしたが、
片手に「現実」を支えながら
もう片方の手で「永遠」を掴む事はとうとう出来ませんでした。

心の何処かではわかっていたこの結末ですが、
だからこそ、あの頃は毎日が輝いていたのだと思います。
その毎日の、今思えば涙が出るほどに貴重だった幸福を表現したものが、
今回のこの記事です。

(当時の原文のまま記載します)









HANA・SORAで読む文学(番外編)

     Avril Lavigne INNOCENCE














忙しく過ぎてゆく毎日

1Avril10FEB12 020



ふと立ち止まり
周囲を見渡し気付く


2Avril27OCT11a 030





ひとつ ひとつの
小さなこと


それが今のこの

大きな幸せを形作っているんだって


3Avril13JAN12 029







あなたたちの

1Avril10FEB12 352


あなたたちの

2Avril01JAN12 099



純粋無垢な輝き

3Avril10FEB12 013







あなたはとても美しい

AAv01FEB12 040



あなたはとても美しい

BAv29JAN12 114





あなたはとても美しい



あなたをみていると

涙が溢れてくるようだ・・・




Avril26DEC11 002







ついにみつけたこの場所

すこしの悲しみもなく


静かな


私が私であれるところ




A11FEB12 039av










何ひとつ変わることなく

この瞬間が永遠であって欲しい・・・・・









Best Damn ThingBest Damn Thing
(2007/04/17)
Avril Lavigne

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HANA・SORA and Avril Lavigne 
いかがだったでしょうか?



ここでの歌詞ですが

大筋は原曲にそってますが
ポイントのみを抜粋して組み替えてあります。

なぜなら原曲は恋について歌ったもので、
そこにパパが共感するのはちと難しいので
具合のいいトコだけピックアップしているのですね~



なら何故、
そんなことまでして
Avrilを聴いているのかというと・・・


彼女の書く歌詞を恋愛モノのみとしてとらえないで、
自分の立場とか環境とか
人間関係なんかに当てはめて聴いた時

その時に
とんでもないモンスターソングに化けるものが
いくつか存在するからなのです。

このInncenceという曲もその一つです。


「純粋無垢なものの持つ美しさ」
そこに触れた時、涙を流さずにはいられない・・・
そしてその瞬間に永遠を祈る。。



いかがでしょうか?

自分の立場で考えた時、
皆さんが持つ大切な存在を表現するのに
これ以上の言葉があるでしょうか?



Avrilの書く歌詞。

そこにあるのは、
一般ウケだけを狙ったような
ビジネスライクなものでは持ちえない

本当に表現したいものを
懸命に歌ったもの(たとえ稚拙と言われようと!)のみが発することの出来る

不思議なパワーが宿っている!!



なんてね






ちなみに一番のオススメはこの一枚

Goodbye LullabyGoodbye Lullaby
(2011/03/08)
Avril Lavigne

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市松、卒業試験を受ける (後編)


市松、卒業試験を受ける (後編)

運命の朝である、ついに試験の日となった。
市松雀は重い頭をあげ、
鈍く羽ばたきながら学校へと向かう。

追いついてきた虎之助は、
その表情に余裕が見られる。
こいつはいつもそうだ、何事も如才なく器用にこなす。
幼い頃からずっと一緒に育ったが、
何故にこうも自分とは違うのか。
なぜにこうも自分は不器用なのか。
市松は一瞬、ちょっとひねくれたけども、
(まぁしかし、腕っぷしなら絶対に自分のほうが上だ)
などと思い直して、密にほくそ笑んだ。
そんな市松を、虎之助は優しく見ている。

試験会場では、
開始時間までは皆が懸命に最後の努力をしている。
食い入るように本を読む者、
単語カードをペラペラと捲る者、
皆それぞれだが、佐吉だけは余裕で居眠りしている。
こいつの態度はいつも嫌味たっぷりだ。
市松はまたもひねくれた。

そうこうしているうちに、試験開始となった。
尾張では、政治学と共に経済学が重要視されている。
これは、国の領主の方針であり
この国が強国となった要因の一つである。
最初の試験は、尾張に於ける経済の発展史だ。
市松は答案用紙を前にし、うぅむと唸って首部を垂れた。

静まり返った室内に、筆の走る音だけが響く。
市松の額に脂汗が滲み、羽はプルプルと小刻みに震えている。

市松と経済学とは何の関係もない。
徹底的にない。
そもそも、試験なんて事に意味はあるのか?
こんな紙切れひとつで自分の価値が判断されるのか?
否、そんな不条理はあってはならないはずだ。
だいたい、社会に出れば学問など何の役にも立ちゃしない。
(いや、虎之助の得意な築城術は役に立つかも知れない)
しかしとにかく、政経なんてくだらないものは、
頭でっかちの佐吉あたりにやらしておけばいいのだ。
そうだ、自分の本分は武道である。
戦場で、殿雀の為に存分に働くことである。
こんな試験で自分の価値を否定されるのは不本意極まりない事だ。

いろいろ考えてはみたが、答案用紙は依然として真っ白である。

こうなれば、市松に残された道はただ一つだ。
この真っ白な答案用紙に
自分の存在価値を長々と書き記し、
教師たちに思い知らせてやる事……!
決意の市松は、雄々しく筆をとった。

『私こと福島左衛門太夫市松は在学中、
雀拳闘にこの身を捧げてきた。
クチバシや羽毛、この全身を血に染めて戦ってきた。
それもこれも、全てはこの学校の名誉の為であった。
我が身を張って学校の為に尽くしたのだ。
卒業資格の是非決定の際には、
このような馬鹿馬鹿しい試験の点数などではなく、
私の尊い自己犠牲の精神と学校への多大なる貢献を
何としても御考慮いただかねばならない。
それを先ず述べておく。

さて今、この尾張の国は吉法師様の御指導の元に
更なる発展を遂げようとしている。
自分は、この学校で培った雀拳闘の技術を以て、
その発展に少しでも尽くしてゆく所存である。
身を粉にして奉公するつもりである。
その時、世間は必ずや知るであろう。
福島左衛門太夫市松の本領は学問ではなく、
武に於いてこそ発揮されるのだ、と。

私がこの学校で身につけたものは、
国の発展に必ずや役立つであろう事が明明白白な、
(先のリーグ戦によっても証明された)
この類い稀なる雀拳闘の技術である、この腕っぷしである。
この学校で鍛えられた私のこの武が、
将来、この尾張国の為に役立つ事が
最早一目瞭然の事実である以上、
このような試験は意味をなさないものと断言出来る。
何故なら、私の卒業試験は、先のリーグ戦に於いて終了しているからだ。
私がこの学校で身につけたものは武であり、
その高い技術は既に証明されているからだ。
私は、誰よりも純粋で崇高で質の高い卒業の資格を既に有しており
その厳然たる事実は、誰もが知るところである。

私は唯、それだけを主張したく、今回この訴えを上奏するものである。
その為、敢えて試験問題は無回答とした。
それを御考慮頂き、どうか卒業させて下さい、お願いします。』





市松の留年が決定したのは、その日の午後の事であった。










留年が決まりヤケ食いをする市松と、その姿を見守る虎之助と佐吉。
この三羽は再登場するかもしれません。


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いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。

市松、卒業試験を受ける (前篇)


雀の世界にもいろいろなドラマがある。
彼らもまた、
人間と同じように悩み、喜び、毎日を懸命に生きているのだ。

今回は、弥助雀がこんな話を聞かせてくれた。
雀の学校も又、ドラマの宝庫である。




市松、卒業試験を受ける (前篇)

福島市松は学生雀である。
彼の通う学校はスポオツの名門校で、
市松は、雀拳闘という競技の選手である。
同期に、加藤虎之助という良きライバルがある。
秀才肌の石田佐吉とは、なんだか反りが合わない。

市松は、書生の身でありながら学問はそっちのけであった。
元より、本を開くと眠くなる体質だ。
これは生まれつきなので彼を責める事は出来ない。
市松が持ち歩く専門書は既にアクセサリイと化していた。

そんな市松であるが、雀拳闘の腕は一流であった。
先日行われた、尾張雀拳闘リーグ戦に於いては、
彼の活躍もあって市松たちの学校は一位の座に輝いた。
市松は最優秀選手賞、虎之助は優秀賞を受け、
これは実に喜ぶべき事であったのだが、
佐吉が技能賞に選ばれたのが市松は気に入らない。

さて、そんな彼らにも卒業の時期が来た。
ここで市松は重大な試練に直面する事となる。
学校を卒業するには、卒業試験に合格しなければならないのだ。
ずっと雀拳闘にその青春を捧げてきた市松には
試験の事など頭の片隅にもなかった。

この点、虎之助は如才なく準備を怠ってはいない。
日頃からコツコツと積み上げた努力で、
試験対策は既に万全といってよい。
虎之助は文武両道のバランスが取れた雀だ。
佐吉にいたっては、学問こそが彼の真骨頂であるので、
余裕の態を示し、呑気に珈琲などすすっている。
市松は焦った。

さて、本を開きはしたが、市松の頭は鋼鉄のように硬く、
本の内容を頑固に跳ね返す。
そうだ。 
本来、市松と学問は無縁であるはずなのだ。
縁が無いものは、どうにもならないのだ。
市松は開いた本を溜息と共に閉じ、
無駄な足掻きは止めることにした。
流れに逆らうは溺れるのことわり、ト昔から言うではないか。
いかに駿馬でも空を飛ぶ事は出来ないのだ。
柳は緑、花は紅、である。

どうにか道理を通し、自分を正当化する事は出来たが、
併し現実、明日に迫った試験はどうにかしなければならない。
規定の得点をあげなければ
留年という屈辱にその身を晒す羽目になる。
そんな生き恥は、誇り高き市松には耐えがたい不名誉だ。
市松は頭を抱えた。
その頭は、火照っいて熱い。

こうしている間にも、試験の時は着実に迫って来る。
試しに時計を破壊してみたが、
西の空の夕焼けは次第に濃くなってゆき、
やがて濃い紫へと変わっていった。
時は止められない。
市松は寝ることにした。
十分な休養を取る事こそ、
今の彼に出来る最大の試験対策なのである。
福島左衛門太夫市松は、彼なりにベストを尽くしているのだ。

(後編に続く)






いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。


ニッカズボンの少年たち


老人が年老いた犬を連れて歩いている。

数年前、妻に先立たれ、
老人にとっての家族は最早
この小太郎という名の年老いた柴犬だけとなっていた。
併しその、長年連れ添ってきた良き友であり
そして愛する息子でもあるこの柴犬は、間もなく旅立つ運命にある。
老人はつい先ほど、絶望的な将来予測を獣医師より告げられ、
今はその帰り道にある。
傍らには、何も知らない子太が、
無邪気な笑顔で老人を見上げながら
一見軽快にみえる足取りで進んでいる。

さて、二人の行く先から
二人の少年がこちらに向かって歩いてくる。
十七八くらいであろうか、ニッカズボンを履いている。
派手でだぶだぶの形状を持つその独特なズボンは
職人や建設作業員が好んで履くもので、
ファッション性と機能性を持ち合わせた
労働戦士たちの様式美を極めた一品と言っても過言ではない。
二人の少年、一人は黒、一人は紫のニッカで、
黒のほうは短く刈り込んだ清潔な髪型をしており、
紫のほうは金色に染めて電髪を当てたお洒落な髪型だ。
何事か、少年らしい明るい声で話しながら
老人と犬のほうに向かって歩いてくる。
彼らの背後に夕陽が滲んでいる。

「おっ、犬だ。」
黒いニッカの少年が、
まだあどけなさの残る笑顔を
小太郎にむける。
「触っていいっすか?」

絶望からくる虚脱状態にあった老人に
ふとかけられたその声は、
老人の混濁を覚まして
この世界へはっと引き戻した。

我にかえった老人は、
寂しく微笑みながら
少年の申し出を承諾する。
黒いニッカの少年はひざまずき、
小太郎をワシャワシャと
子供っぽい手つきで撫でたり
背中を掻いてやったりに夢中だ。
「はは!おまえ犬好きだよな。」
もう一人の、紫のニッカの少年が笑っている。

小太郎は、人が大好きな犬である。
特に自分を可愛がってくれる人には
殊更になつく。
後足で立ち上がり、少年の顔をペロペロと舐めはじめると、
ひざまずいていた少年はバランスを失い、
どってんと尻もちをついてしまった。
二人の少年と小太郎は、
どっと声だかに笑っているが、
その傍らで老人は一人、
呆けたような焦点の合わない目で
ユラリユラリと立っている。

老人の頭のなかは、
小太郎の病気、これから間違いなくやってくる絶望の未来、
そして、離脱の術のない井戸の底の孤独、
それら如何にもならない恐怖に支配されつくされており、
この目の前の幸福の光景すら灰色に霞んで見えている。
否、見えてすらいない。

間もなく、小太郎の生命は終わる。

そう考え始めると
老人の心はどんどんと螺旋階段を転げ落ちるように
沈んでゆき、頭の中が、ぐわんぐわんと
寺の大鐘を鳴らすように振動はじめた。
何も聞こえなく、眩暈に前後不覚になりかけ、
真っ暗な夜道で得体の知れぬ何かに追いかけられるような
切羽詰まった恐怖にかられ、
動悸が激しく胸を打つなか、ついに彼はたまらず落涙してしまう。

自分に課せられた悲しい運命など知る由もない老犬は、
無邪気に少年たちと戯れている。
その姿は、老犬というよりも幼い子供である。
無邪気で心の澄みきった子供である。
穢れのない神の子である。
併しその身には、
(歯車が時を刻む正確さで最期の時が迫っている)

少年たちは、老人の真っ青な顔に気付き、
気まずそうに顔を見合わせた。
老人は彼らに心配ないと首を振り、
そうして小太郎の病気のことを打ち明けた。

そうして、
如何に小太郎が人を大好きか、
如何にいま自分が彼らに感謝しているのかを、
途切れ途切れに、ゆっくりと、心を込めて語った。

少年たちは一瞬、はっとしたが、
すぐにその表情は厳粛に引き締まり、
二人ひざまずいて
うんうんと頷きながら小太郎をしっかりと抱いた。
炭の残り火のような色の夕陽は
丹沢の山の端にかかり、
今、この四人を柔らかな紅色で抱きしめている。




少年たちは去ってゆく。
労働で鍛えられたその背中は大きく広く、
そして暖かい。
今日はじめて会った、そして、多分もう会うことのないであろう
この若き友人たちを見送りながら、
小太郎は名残惜しそうに、くぅんとひとつ、小さくなき、
無言の老人は、彼らの背中を静かに見送っている。
その表情は、こちらからは見て取れないが、
わざわざ書くには及ばなかろう。









20NOV14 004SS




いつも読んで下さっている皆様、今日も有難う御座います。




市原なか、人間の化粧に眉をひそめる


雀の世界にもいろいろなドラマがある。
彼らもまた、
人間と同じように悩み、喜び、毎日を懸命に生きているのだ。

今回は、弥助雀がこんな話を聞かせてくれた。





市原なか、人間の化粧に眉をひそめる

市原なかというご婦人雀の棲家がある竹藪に隣接して、
人間の斎場が建っている。
この斎場の厠が、なかの棲家に面しており、
厠の窓からは洗面所の様子が伺える。
なかは暇な時、
何とはなしにこの洗面所の様子を見る事がある。

人間の女性の心は複雑怪奇だ。
場所柄、其処は悲しみの場であらねばならぬはずであるが、
人間の女性は斎場の厠の中で、懸命になって化粧をする。
時間をかけて、念入りに塗りを施す作業に集中するのだ。

その場所、その漆黒の衣服の意味を、なかは理解している。
その衣服に在りながら、人間の女性たちは、
一心不乱に濃い口紅を塗る。 
これがなかにはたまらない。
血の唇を見たように、なかは反射的に、ぎょっと身を縮めずにはいられない。

厠で化粧をする彼女らは皆、一様に落ち着きはらっている。
誰にも見られていないと信じながら、
併し、隠れて悪い事、場にそぐわない事をしているという思いで、
その罪の意識を体に微かに現している。
それでいて皆、一様に落ち着きはらっている。
なかは、そういう奇怪な化粧を見たくはない。
だから、すぐに飛び立つか目を反らすかしている。

ところがである。

ある日なかは、
斎場の厠の窓に、白いハンケチイフでしきりに涙を吹いている女性を見た。

拭いても拭いても、涙は堰を切ったように止めどなく溢れている。
肩を震わせて、しきりにしゃくりあげている。
そうしているうちに彼女は
とうとう悲しみに押し倒され、
立ったまま厠の壁にどんと倒れ込んで、
そのまま床に崩れ落ちてしまった。
最早、涙を拭くちからすらない。

彼女だけは、隠れて化粧しに来たのではあるまい。
隠れて泣きに来たのだ。

なかは瞬間、はっとし、氷のように硬直した。




その窓の光景は、
なか雀に植えつけられた人間の女性への悪意を
瞬時にして拭い去ってしまった。

なかはそれから、
真っ青な空を見上げてもう一度その女性に目を移し、
丹沢の山を目指して、さっと飛び立っていった。

後には、女性の泣き声だけが、
厳粛に引き締まった空間に響くのみであったというお話。








11NOV14 SZM 003



いつも読んで下さっている皆様、有難う御座います。





掌の小説 (新潮文庫)掌の小説 (新潮文庫)
(1971/03/17)
川端 康成

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小十郎と喜多、君主の仇討を果たす (後編)


雀の世界にもいろいろなドラマがある。
彼らもまた、
人間と同じように悩み、喜び、毎日を懸命に生きているのだ。





小十郎と喜多、君主の仇討を果たす (後編)

策略を巡らせ、遂に左月斎鬼庭良直の寝所に忍び込んだ
小十郎と喜多雀。

左月斎に、その不敬を思い知らせるべく、
屈辱的な報復にでることにしたわけだが、
ついに決行の時が来た。
「土岐は今!」である。

お江雀に仕込まれた忍びの技術をもってして
小十郎と喜多はゆく。
就寝中の左月斎は、整息の術で気配を絶った二羽の存在に
全く気がつく様子もない。
併しである。
如何にといえども、左月斎鬼庭良直は武士雀である。
侵入者があるのに、これほどの高いびきは合点がいかぬところだが、
これはどうやら、忍びの薬物を盛られたに違いない。
喜多の計略は徹底している。

左月斎の枕元に到達した二羽は、準備した火薬を取り出した。
目標を最も驚かせ、驚嘆させるに効果的な場所に爆竹を仕込んだ後、
更に喜多は、爆薬を粘土に練り込み油で薄めたものを
左月斎の頭部に塗布し、
残り少なくなった頭髪の全面排除を以て
報復を完璧なものに仕上げるという
恐るべき仕掛けを施した。
喜多の計略は徹底している。

こうして、
一、二の三で、運命の着火は行われた。

パン!ババン!バチバチバチバチ!
パパン!パパン!パパン!
パンパンパンパン! パパパン!!

軽快な爆発音が連続し続け、
辺りにはもうもうと白煙が立ち昇る。
鬼庭屋敷の使用人は
凄まじい鳴き声をあげながら
あらゆる方向に飛び回り、逃げ回る。
屋敷のある雀の竹藪は大混乱となった。

飛び交う雀たちのその中に、
ドリフの爆発コントのような頭髪となった
左月斎鬼庭良直の姿があった。
頭髪の完全排除という目的は果たされなかったが、
そのコミカルなアフロヘアと、
何が起こったか分からないという驚きの表情の彼には、
最早、威厳も貫禄もなく、
その姿はただ、逃げまとう一羽の哀れな老雀でしかなかった。

「主君の仇! 思い知ったか!」
小十郎と喜多は堂々と名乗りをあげた後に
高らかに勝利宣言を行い、そして颯爽と飛び去っていった。
ここに、主君の仇討は果たされたのである。



この後、二人のこの仇討物語が、英雄譚として
曽我兄弟、荒木又右衛門と並び称される事には……
残念ながら、ならなかったが、

併し、雀の世界では天晴痛快な笑い話として
長く伝えられる事となるのである。

因みに、小十郎と喜多はこの件に関して
大変な叱責を受ける事となるのだが、
その行動の根底には、主君への強い忠義があるという
左月斎の口添えもあり、何とか許される事となる。
だが、これだけの騒ぎの後始末である。
やはり棒叩きの罰だけは
逃れることが出来なかったという……

苦笑いの弥助が語ってくれた
本編の結末。


~ おわり ~




手前が喜多、正面を向いているのが小十郎。
小十郎の食事は
喜多の後と決まっている。


11NOV14 SZM 002KITAKOJYURO




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。






いかりや長介氏の演ずる鬼庭良直には威厳と風格と感動がありました。


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