雀は多種多様に囀る


雀のさえずり方は、一般に「チュンチュン」とされているが、
それは誤解である。
雀はチュンチュンとは決して鳴かない。
人の喋り方が個性的であるように、
彼らもまた、一羽一羽の個性を反映した鳴き方
(喋り方と言ってもよい)をするものだ。

我が家のウッドデッキに飛来する雀たちを観察した。
このところずっとだ。
最早、可愛くてならぬ程に愛着がある。

ボス格の雀には熊坂長範と名付けた。
この雀はチュンチュンなどとは間違っても鳴かぬ。
地面の底が低く唸るような声で、
ヴィ、ヴィヴィ、と鳴く。
ヴィ、ヴィ、ヴィ、ヴィ、ヴィィィィ。
この声がすると、その場にいる全員が一歩、引く。
実に威厳のある声であり、とても雀とは思えない。
ウォーターシップダウンのボス兎を彷彿させる勢いだ。
熊坂長範の歩く先は、
雀たちがさっと身を引き
モーゼが海を割ったように見事な道が出来上がる。
その直線道を歩く熊坂の姿は、
最早小鳥とは思えぬほどに堂々としている。

熊坂長範に付き従うのは、若い弥助だ。
弥助は常に何事かを囀っている。
キュイキュイ、チュピチュピチュピチュピ、
チチ、チチ、チチチチ……ピーピヨ。
といった具合だ。
こいつについてもそうだ。
チュンチュンなどと、のどかな鳴き方はしない。
弥助は常に何か、軽やかな音調で囀っており
これは雀コミュニティーの明るいBGMのような役割を
果たしているものと思われる。
所謂、盛り上げ役というやつだ、幇間とも言えるが、
それは甚だ弥助に失礼かも知れない。
因みに弥助とは本名ではないらしく、
出身は遠い西国らしいのだが詳しいことはわからない。

女性もいる。
彼女の名は、望月千代女という。
ピユピユ、ピユ、ピユピユ、ピユ、
と、静かに透き通る声で鳴く。
調子のいい時は、
ピユピユピユピユ、ぴゅぴゅぴゅ、ピピピ、チチ、チチチ、
と、ずっと何事か囀っているが、普段は無口なほうといえる。
落ち着いた風貌のこの婦人の眼は
何処か悲しい過去の存在を思わせる。
お江という友人がいるらしい。

溌剌と爽やかで健康的な美男子は、
人気者のチュン吉さんだ。
チュン吉さんはいつも元気で、
特徴的な顔の白い斑点は
その男前っぷりに一層の個性と輝きを与えている。
兎に角元気で、きっかけもないのに
いきなり走りだしたり飛びあがったりするヤンチャ坊主だ。
チュン吉さんは、
チョピ、チョピ、チチチチチ!? ピピピピピ、
ポッキュン、ポッキュン、と囀る。

チュン吉さんの双子の妹、チュラドンちゃんは、
ちょぴりお転婆な食いしん坊だ。
食べ物を前にすると、
チチー、チーチー! チチチチチ!
と、お祭り騒ぎになる。
歌や笛など、何かに呼応しての鳴き方は大変に可愛らしいもので、
ちゅぅぅん、ちゅぅぅん、と、女の子らしい囀りだ。
チュン吉さんと二羽で、「雀の双子星」と呼ばれている。

かつて、熊谷直実という大柄でワイルドな雀がいた。
如何にも豪傑といった風貌である壮年のこの雀は、
熊坂と共に慕われる存在であった。
熊坂が梁山泊に於ける晁蓋なら、
この熊谷直実は
及時雨宋江といった立ち位置であった。
併しである。
この真面目で実直な心優しき荒武者は、
ある出来事がきっかけで出家してしまった。
今は、斉の銀雀山で修行しているという話だ。
この出家にまつわる話については、
いずれ別に場を設けて語らねばならぬ。
彼は、チュチュチュチュ!チュチュチュチュ!と、
豪快に囀る。
HAHAHAHA!と高笑いする花和尚に似ている。

ルードヴィッヒ・フォン・クリスタルウマント・
ソンゲルカナ・ウンゲルカナ。
知る人ぞ知るこの名を持った彼は
西洋雀の貴族であるが、
ある目的を以て日本にやって来た。
同じ異国雀の誼で弥助とは
特に仲がよい。
皆からは、ルーと呼ばれている。
母国語が異なる関係もあって、
その囀り方は独特だ。
アクセントの置き方と、特徴的な間延びにより、
彼の囀りには若干コミカルなものが感じられる。
Chu~、Chuchuchu~、Chu~、Chuchuchuchu、
といった具合だが、文字にするとよくわからない。



人の世界に「十人十色」という言葉があるが、
これは雀の世界にも当てはまる。
庭に飛来する雀たちを眺めていると、
その多種多様な、一羽一羽の持つ個性的な囀り、振舞いに、
しばしば驚かされる。
見れば見るほど彼らは社会的であり文化的であり
個性的であるのだ。

彼らを単なる鳥ではなく、「個」或いは「友」として認め、
尊敬の念をもって、(一方的ではあるが)付き合いをしてゆくうちに、
そこには自然と詩が生まれて画が出来た。
それが今回の物語である。

この世界を構成するものは、山川草木、あらゆる生命である。
どんな小さな生命にも、それぞれの事情があり使命があり、
また運命があって、その中で力強く生きている。

雀だって例外ではない。

彼らもまた、一人一人がいろんな背景を持って
過去の積み重ねのうえに今を生きているのだ。

今回の、雀たちの身の上話は、
確かに私の妄想の上に出来上がったものかも知れない。
が、併し、全くの嘘とは言えない。
何故なら、人間一人一人の人生にドラマがあり劇的であるように、
雀たちの人生にだって、そういったものが多々あるはずだからだ。
人、鳥に関わらず、生きていればいろんな事がある。
平凡な人生などどこにもない。




さて、少しばかり、力が入りすぎたようだ。
この辺りでお茶にしよう。









2014-10-04 002CK



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「ア、 秋」を自分調子にしながら横道に逸れる


トンボ、スキトオル。

秋になると、蜻蛉もすっかりひ弱くなって
乾いた身体とボロボロになった翅を
じっと休めて動かない。

蜻蛉の身体が秋の日ざしに透きとおって見える。

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コスモス、無残。

あれ程の美しさを誇ったコスモスの群れも
秋になると無残に枯れて、
その姿はまるで荒廃した都市のようだ。

部分的にだけ残った薄紅の色が悲しい。

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秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。

秋は夏の中にこっそり隠れて来ているのであるが、
人は目の前の幸福に夢中で
それを見破ることが出来ぬ。

耳を澄まして注意をしていると、
夏になると同時に虫が鳴いているのだし、
庭に気をくばって見ていると、
桔梗の花もすぐ咲いている。
蜻蛉だってもともと夏の虫なんだし、
柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。

秋は、ずるい悪魔だ。
夏のうちに全部、身支度をととのえて、
せせら笑ってしゃがんでいる。

みんなが夏を喜び、
海へ行こうか、山へ行こうかなどと
無邪気にはしゃいでいるほんの先の障子の影に、
とっくに忍び込んで来ているのだ。

然し、人は本当は秋の存在に気付いている。
ただ笑って夏を謳歌しているだけではない。
笑顔の裏で、必ず我が身で経験する事になる
秋という名の終焉に恐怖しているのだ。

どうしようもない運命からは逃れられない。
だから皆、そっぽを向いて無視しようとする。
「自分だけは例外」と、
深く考えることを拒否して
無理に安心しようとする。

然し、恐怖はそんな簡単に誤魔化せはしない。

だから必要以上にはしゃいでみせ、
今その手の中にある幸福に
必死になって酔いしれようとするのだ。
これこそ悲劇である。

ならば、最初から夏なんて来なければいい。







ソレナラ貴方ハ
アノ子タチニ出会ワナケレバ良カッタノ?











私はこの言葉に、瞬時に自らの思い違いに気付いた。
背筋を雷撃に打ち据えられたように感じた。

否、否、否、三度言っても足りない。
その夏があるからこそ、
私たちは生きてゆけるのだった。
それこそが、生きる理由だった。
夏の思い出は人生の宝であり、
私たちを生かす生命の源なのだ。
一時の気の迷いとはいえ、
夏などなければいいという考えは
断じて、断じて、間違っていた。
自分の歩調は、まだまだ定まらなく危うい。

秋ハ夏ノ焼ケ残リ。 焦土であるかもしれない。
それは人生に必ず訪れる、
逃れる事の出来ない運命の季節だ。

では、そこをどう生きゆくか、
To be, or not to be.
疾風に勁草はどう耐えるのか、
それこそが問題だった。
支えてくれるのは、夏の思い出だ。



季節は秋から冬に必ず移る。
そして「再生の春」もまた、
私たちの元に、確実に、間違いなくやってくる。

そう考えながら見上げた秋の空は、
この季節らしい薄い青に
爽やかに輝いていた。
私は今日も、また元気だ。


27OCT14 009a










↓地味にみられるけど大変な名作「ア、秋」はこちらに収録。。

津軽通信 (新潮文庫)津軽通信 (新潮文庫)
(2004/10)
太宰 治

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花そらで読む「東京だより 太宰治」


花そらで読む 

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戦時下の東京では、少女たちも毎日、工場で働いていました。
隊列を組み、産業戦士の歌を合唱しながら
朝早くから工場へ出かけ、
夕方はくたくたに疲れながらも
凛々しく行進しながら帰宅する。
皆が一様に同じ外見に見えるのは、
国の一大事に「個人の事情」などを放り出し、
一身を国に捧げている為でしょうか……。

時代の中で、皆が懸命だったのです。

そんな中、太宰治はある工場に
人を訪ねてゆきます。
(彼は所謂「丙種」だったので、出征出来ませんでした)
事務所の片隅で人を待つ間、
彼は抜かりなく事務仕事に従事する女子たちを観察します。

女子たちは皆、黙々と働いています。
個を抑え、公に献身する産業戦士たちは、
皆一様に同じ事務服、同じおかっぱ頭に同じ真剣な表情で、
全員がそれこそ脇目もふらずに勤務に従事しています。
部屋には帳簿を捲る音と算盤を弾く音が
静かに響くのみです。

一様にうつむいて
せっせと事務を執っている少女たちを見渡すうちに、
太宰はある事に気付きます。
すこしの特徴もない普通の少女たちの中に、
どうしたわけか、
一人だけ非常に際立った
他とは違った不思議な雰囲気の子がいるのです。

その少女は、他の子と全く同じ服装に髪型で、
顔も平均的だし、何処がどう違うわけではありません。
外見は皆と一緒なのです。
そうでありながら、黒いあげは蝶の中に
一羽だけ虹色の蝶がまじっているみたいに
鮮やかに他の人と違っていて
その少女はひどく美しいのです。

そうです、美しいのです。
一人だけが抜きん出て美しいのです。

何故だろう?

太宰はいろいろと思案しますが、
これはきっと先祖が高貴な身分だったに違いない、と考えます。
幾代かの高貴な血が、
この何の変哲もない平凡な外見の少女に
驚くべき美しさを与えているのだと結論し、
実に父祖の血は重大なものである、などと溜息をついて感心しながら
一人で興奮するのですが、それは全くの見当違いでした。

少女の発する不思議な美しさの原因は、
もっと厳粛な
崇高といっていいほどの切羽詰まった現実の中にあったのです。

(その理由については、とても私の稚拙な文章では表現出来ないので、
太宰の原文をそのまま掲載したいと思います。)


或る夕方、私は、三度目の工場訪問を終えて工場の正門から出た時、
ふと背後に少女たちの合唱を聞き、振りむいて見ると、
きょうの作業を終えた少女たちが二列縦隊を作って、
産業戦士の歌を高く合唱しながら、工場の中庭から出て来るところでした。
私は立ちどまって、その元気な一隊を見送りました。
そうして私は、愕然としました。
あの事務所の少女が、みなからひとりおくれて、松葉杖をついて歩いて来るのです。
見ているうちに、私の眼が熱くなって来ました。
美しい筈だ、その少女は生れた時から足が悪い様子でした。
右足の足首のところが、いや、私はさすがに言うに忍びない。
松葉杖をついて、黙って私の前をとおって行きました。









太宰治というと、「人間失格」などのネガティブな作品を
苦笑いと共に連想される方も多いかと思いますが、
彼の本当の魅力は、
この作品のように人間の崇高な姿を描いた作品群にあると思います。
ちょっと考えただけでも「眉山」「黄金風景」「葉桜と魔笛」
いくつかの作品に登場する、水死した水夫のエピソードなど、
例をあげれば、いくらでも出てきますが、
中期の短編群には文学史上もっと評価されるべき
珠玉の名作が本当に数多く存在するのです。
今回紹介した「東京だより」も、そのひとつです。

人間に対する鋭い観察眼と深い愛情、
それを表現出来る天才的な文才、(そしてちょっぴりのユーモア)
こういったものを軸とした、実に健康的で爽やかな
愛すべき酔っ払い作家、太宰治。

これからも、彼の美しい作品を紹介してゆきたいと思います。
ぜひまたお付き合い下さい。







あるお寺で見かけた言葉です。
瞬時にこの作品の少女を思い出しました。


Flower 2014-06-19 001 004

湘南に蟹を観察してひと夏を過ごす (おまけ)


否、併し、それすらも私の傲慢かもしれない。

もしかして彼らは、
もっと高尚な信条を以て
精神的に高度な文明を生きているのかも知れない。

この後姿を見ていると、
そんな気がしてきてならない。



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誇り高き死はこちらから。。







湘南に蟹を観察してひと夏を過ごす (後編)


確かに蟹は小さく、
他の知的生命と呼ばれる生き物と比較しては
身体の構造もきっと単純なのだろうし、
もしかしたら感情なども無く、
ただ原始的な欲求に突き動かされて行動しているのみの
ロボットの様な存在なのかも知れない。

併し、真実はきっと違う。

それは、小賢しいだけの勝手な決めつけというものであり、
人間の思い上がりが創り出した驕り高ぶりの産物だ。

この夏、ずっとこの愛おしい小さな友人たちを観察し続けて
私は彼らの存在をこう結論付けた。


蟹には蟹の世界があって、
彼らは決して人間を含む外の世界の事を認識していないが、
(つまり、気にかけてもいない)

それだけに、その世界の中で必死に生きている。




海藻の森の中でハサミを動かして何かを懸命に食べているもの。
2014-09-12 060Cet
ひたすら食べる彼女を「初」と名付けた。


じっと岩陰に身を隠しているもの。
2014-09-30 30SEP14 Chi 010ahd
雌伏の時を耐える彼の名は「臥竜」だ。


寄せ来る怒涛をものともせず、悠然と闊歩するもの。
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大胆不敵な彼はきっと酔っぱらっている。 「魯知深」の名が相応しい。



喧嘩しているもの、身を寄せ合ってじっとしているもの、
集団で移動しているものなど……

(他にもたくさん面白い写真はあるが、
 スペースの問題もあるので、今回はこの辺にしておこう。)


海にはたくさんの危険が潜んでいる。
鳥や魚などの捕食者、荒天時の怒涛、
波に流さて岩に叩き付けられれば致命傷は避けられないし、
そもそも、その住んでいる海そのものが
巨大なエネルギーの塊であり凶器である。

ほんの一瞬の後の生命の保障すらない厳しい世界の中、
蟹たちは一生懸命に生きている。
だからこそ、その生命は美しく輝くのだ。

私はひと夏、蟹たちを観察し続けて
彼らの存在をこう結論付けたものである。




実に有意義なひと夏であったが、
足の甲にクロックスの日焼け跡が鮮明に残ってしまったのは
うっかり呉用先生の如き大失策であった。




湘南に蟹を観察してひと夏を過ごす (前篇)


このところ、蟹の写真を多く掲載した。
懸命に生きる小さな生命たちに感動したのだ。

海岸線に自転車を飛ばし、
ふと目についた岩場に
何となく座り込んでいたら、
何となく目についたその小さな生き物たち。

最初はただ何も考えずに
その動きを眺めていただけであったが、
そのうちにこの蟹たちも
一生懸命に生きているのだという事実に気付き、
ここはひとつ、
彼らの生活をじっくり観察してやろうではないか、と思い立ったのだ。

誰にも知られることのない世界の片隅の岩場に、
彼らだけの小さな王国が存在する。

それだけでも、大変な浪漫だ。
そして、じっくりと彼らの生活を観察していれば、
更にその浪漫が深まってゆく。

荒々しい浪間に見え隠れする危なっかしい生き方である。
実際は浪漫などという甘ったるい言葉では語れぬほどの、
真剣かつ張りつめた世界なのであるが、
併し、やはり浪漫だ。 

この一生懸命に生きる蟹たちのひたむきな姿が、
懸命でありながらも
どこかユーモラスであり余裕があるようにも見えるその生活が、

「生きる姿」

その美しさが浪漫なのである。









武骨な岩たちがひしめくこの海辺
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よおく近づいて見るとそこには
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蟹たちの王国が存在する。
C32014-09-12 127



後編)に続く。






相模川の畔で夕陽を見送る


花とそらと、
わたくしは確かにこの場所で夕陽を見ていた。
今は遠いあの日に。

沈みゆく夕陽は丹沢の向うに段々と小さくなり
その長い波長の柔らかな赤は、
わずかに残った炭火のような儚さで
山の稜線に消えていった。

消えゆくものを見送りながら、
わたくしは愛する子らをしっかりと抱き
その心臓の鼓動と身体の温もりを
確かにこの腕に感じていたのだ。

丹沢はただ、静かに夕陽を見送っていた。

花、そら、丹沢の山々……
あの時、わたくしたちは確かにひとつであった。
皆が夕陽に涙し、消えてゆく最期のその輝きを
手を取り合って、肩を抱き合って、見届けたのだ。

わたくしたちはその時、
確かに皆ひとつであった。





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老葉のこころ (後編)


老葉のこころ (後編)

前篇はこちらから。。



濃い緑の新芽は、日毎にどんどんと伸びていった。
新聞を丸めたような形の新芽は
雨の後の筍のような勢いで
ぐんぐんと成長し、伸び、育ち、
今やその葉を太陽に向かって大きく広げようとしている。

そんな時、黄忠に変化が表れ始めた。
瓶挿しにしていた頃の数ヶ月間、
微塵の衰えも見せなかった三枚の葉たちが、
段々と色を落とし、皺々に萎れ始めたのだ。



私は先ず、自らの不手際を疑った。
鉢に植える手法が間違っていたのではないか?
重大な手落ちでもあったのではないのか?
併し不安を感じたのは、ほんの一瞬であった。

何故なら、伸びてきた新芽は、
依然として、否、一層の輝きを以て、力強く存在していたからだ。
新芽に衰弱は全く見られない。



こうして今、古い葉たちは次第に衰え、萎れてきてしまった。
しかし新しい葉は更なる成長を見せ、
今や古い葉たちのサイズにせまる勢いだ。

ここで私はようやく気付いた。
この小さな植物は何か月もの間、
ただ意味もなく生きていたのではなかった。
この新芽を芽吹かせる為に、懸命に生きていたのだ。
新しい命の誕生の為に、
水だけの瓶の中で、必死に命を長らえていたのだ。



今、年老いた葉たちは新芽の成長を目の当たりにし、
安心して肩の力を抜くことが出来た。

ずっと緊張していた精神が緩んだ事により、
長年の疲労や心苦が今、
雪崩の如き勢いを以て、老葉たちの骨身に襲い掛かり、
遂に彼らは力尽きたのだ。

しかしこれは、衰えでもなければ、終わりでもない。
若い新芽を立派に世に生み出した、
未来を繫いだ老葉たちの大いなる勝利であるのだ。
彼らはその役目を見事に果たしたのだ。



今、こうして日に日に萎れてゆく老葉たちの傍で、
若い芽が生き生きと輝いている。
もうじきその葉は、大きく広がるだろう。
その時には、老葉たちは最早、その緑を保ってはいられない。

併しきっと、老葉たちは安らかな満足感にみたされて、
違う世界に旅立ってゆくこととなる。
そして、新芽は、老葉のことを一生忘れはしないのだ。







間もなく季節は冬となる。
冷たい灰色と草木の枯れた薄茶色に世界が支配されてゆくなか、
私の家には一つの健康な緑色が誕生し、
健やかに成長を続けている。




重大な責任を果たした老三枚葉に対し、敬礼!

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~ 追記 ~

2014年10月10日、1630時、この記事を掲載したまさに今日先程、
ふと黄忠の老葉たちに目をやると、
一番手前の黒く変色した葉が、
ついに力尽きて茎から落ちていた。

このタイミングでの落葉である。
特に記録しておかねばなるまい。









老葉のこころ (前篇)


老葉のこころ (前篇)




昨年の秋より
ずっと花瓶挿しにしていた小さな植物があった。

頂いた花束を構成していた
数ある植物のうちの一つであるが、
日一日枯れてゆく花たちの中で
唯一元気だったものを
花瓶に挿しておいたものだ。

その状態で、植物は冬を越し、春を迎え、
健康な緑のままで初夏となった。



特に栄養剤などを与えていたわけではない。
ただ毎日、水を変えていただけだ。
併し、三枚の立派な葉をたくわえたその植物は、
枯れたり萎れたりすることなく
その健康を保ち続け、
力強い葉の表面の「張り」には、衰弱の兆しすら見られなかった。

植物はまるで造り物のように
数ヶ月に渡り何の変化も見せなかったが、
ある夏の日のこと、
突如として、切り口から白い根が生え始めた。

造花の可能性を考えたほどに変化のなかったその身体に、
ついに変化が現れたのだ。
それも、陽性の変化だ。
私は驚き、声をあげた。



それからは、液体の栄養剤を与えて、
しっかりと世話をするようになった。
透明な瓶の中で根が伸びてゆく様子を楽しんだ。
葉に黄色の斑点がある事、
萎れもせず増々勢いを見せるその様から、
黄忠」と名付けた。

根が小さな瓶の中いっぱいになった時、
黄忠を鉢へ植えようと考えた。
劇的な環境の変化に黄忠が耐えられるかはわからなかったが、
とにかくやることにした。 
根が瓶の中いっぱいになったこの状態では、
とてもではないが窮屈だ。

栄養のある土で鉢を満たし、
根がしっかりと張るように
細心の注意を以て黄忠を鉢植えにした。
「老黄忠」に新しい環境が出来た。
老黄忠:
年老いて増々壮健な方を、蜀の黄忠に因み敬意を以てこう呼ぶ。




黄忠は、その鉢を気にいったかのように、
しっかりと根付いてくれた。
心なしか、彼の身体全体を包む雰囲気が
一層力強くなったようにも見える。
すぐにもこの鉢のサイズを超えてしまいそうだ。

やはり、土に植えて良かったと思っていた丁度その時期、
なんと、黄忠の先端から小さな新芽が芽吹き始めた。

(「老葉のこころ」後編に続く)




この記憶と共に


愛する子たちが
私たちにもたらしてくれた幸福の記憶は永遠である。
誰にも奪うことは出来ないし、
消滅することもない。
その記憶は、天にある神の国に蓄えた財産であるのだ。

物質としての財産はいつかは無くなる。

しかし精神的な財産は、
愛する子らと創りあげたこの心の宝物は、
天にあるのだから
永遠に消えることなどないのだ。


私はこの記憶と共に
今を精一杯に生きてゆく心づもりである。


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さらば読者よ、命あったらまた他日。
元気で行こう。 絶望するな。 では、失敬。


津軽 (新潮文庫)津軽 (新潮文庫)
(2004/06)
太宰 治

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井蟹、大海を知る


直径四尺。
ほとんど陽も届かぬ井戸の底が
この蟹、名を源太左衛門という、の世界の全てであった。
源太はそこで王となり、全てが彼に平伏した。
この小さな統治者には、怖いものなど何もなかった。

しかしこの四尺は、彼には狭すぎた。

大いなる野望を抱く蟹は
その支配を井戸の外へ広げんと欲し、
薄暗い井戸の底から
広大な「現実」へと足を踏み出した。
其処で彼が見たものは・・・

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AC05SEP14 SHN 014




広大な海。 果てしなく広がる世界。
荒れ狂いながら打ち寄せる波は、
芥子粒ほどの源太には巨大すぎる凶暴なエネルギーの塊だ。
その迫力に押されて脚がすくみ、震える。
源太は今、生まれて初めて恐怖した。

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2b05SEP14 SHN 020

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今まで自分がいた世界は何だったのか?
感じていた万能感は幻だったのか?

彼は激しく狼狽し、
醜くうろたえてその場にへたり込んでしまった。

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だが、併し、源太左衛門はやはり王であった。

その気高き精神は絶望や挫折をよしとせず、
挑戦を放棄する事を許さなかった。
戦って戦って戦って、たとえ敗れても、
挑み続けることに意味があるのだ、と、
彼の心の奥底に潜む何かが
突き上げるように語りかけてきた。

源太は、項垂れていた頭をゆっくりとあげた。

SS19AUG14 SHONAN 014




天には太陽が輝き、源太の顔を照らしている。

今や我にかえったこの清々しい蟹は、
小さいが併し力強く、しっかりとこう呟いた。

「よし! ここからがスタートだ。」


B1c05SEP14 SHN 050

C1c05SEP14 SHN 051

A1c05SEP14 SHN 049

























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