波枕


海をみながら、こう考えた。

とかくこの世は夢まぼろし。
浮世のことは夢のまた夢だ。

こんもりと盛り上がった大波に乗って
豪快に波乗り遊びを楽しんだ花ちゃん。
崩れた波頭にザブンと飲まれ、
しぶきの中から飛び出してきたあの楽しげな表情。

波が苦手はそらくんは、
ママの付き添いで平和にちゃぷちゃぷ水遊び。
波打ち際で遊ぶ母子を
太陽は静かに見守っていた。

今、過ぎ去った夏を思い出す。

それはまるで、
夢のなかでまた夢を見ていたような
てんで遠い別世界での出来事だったように感ずる。

今年からは花とそらのいない夏だ。

「草枕」によると、
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもなく、
向う三軒両隣にちらちらするただの人、との事だが、
私たちの場合は少し違う。

人の世、否、私たちの世を作ったのは、
花とそらとの生活であった。
全ての煩わしいものを引き抜いた、
ただ花そらとの幸いのみで構成された
詩のような理想郷が私たちの世であったのだ。

今、その花そらはいなく、波の前に一人座っている自分。

無理にでも、
この世の無情を理解させられる。
ひとたび生を享けたものは必ず滅するという理を
受けいらざるとえない。

そう考えている間にも、
波は絶え間なく打ち寄せてきている。

海岸沿いの道を自転車が走り、
沖には漁船がゆき、
見上げた上空には海自の救難飛行艇US-2が飛ぶ。

私たちの事情に関係なく、
どうやら今日も
世界はせわしく動いているようだ。














とは言え、実は意外とあちこちにいる花そらです。

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草枕 (新潮文庫)草枕 (新潮文庫)
(2005/09)
夏目 漱石

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心に在る木


年を重ねることは
人生の年輪を重ねるということだ。

心の中に在る
「幸福の木」をより強く大きくしてゆくことに相違ない。


容赦なく過ぎてゆく時間に
いつか来るであろう決定的なその時、

「別れの時」に不安をおぼえる方も
きっといらっしゃることと思う。
(かく言う私は常に怯えていた。)

しかし、今この時、今のこの瞬間に、
大好きな存在に
思いっきり愛をそそぐことによって、
その不安はきっと薄らぐだろう。

毎日を全力で笑い、触れ、喜び、愛し、
幸福の木の年輪を
密度の高い強固なものにしてゆく。

そうすることが、
自分も周囲も愛する存在も、
全てを幸せにしてゆくことにつながるのだ。


年を重ねることは
人生の年輪を重ねるということだ。

心の中に在る
「幸福の木」をより強く大きくしてゆくことに相違ない。

断言する。

心に存在するその木が
折れたりなくなったり枯れたりするこは

未来永劫決して、ない。







秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル


ベランダに弱った蝉が横たわっていた。

かつて、
真夏の陽射しの元で力強く鳴き
蒸すような大気を軽快に羽ばたいた姿は
今はもうない。
微かにその六本の脚で、
私の指先を抱きかかえるように
しがみついてくるのみだ。

無理に指を離すと、
その足は不安そうに空を掻きはじめる。

また指を抱かせると、
安心したように動かなくなる。
この蝉は死の恐怖と戦っているのだ。


庭の木の、枝の付け根部分へ蝉をのせた。
ここなら安定しているので落下の心配はないし、
繁った葉が夏の凶暴な陽射しから弱った身体を守ってもくれる。
蝉は少し動いて、そしてそのままじっとしていた。


間もなくこの蝉は静かな死を迎えるだろう。
然しその死は、安らかで尊厳のある、
立派に生きた命の最後にふさわしいものとなるはずだ。
私は去り行く魂にそっと手を合わせた。






敬愛する太宰治が言っていたが、
秋は夏と同時にやって来る。

秋になり、無残に枯れた桔梗の花も、
ばたばたと黒土を這う蝶も、
そしてこの蝉も…… 皆、夏に生まれるものだ。

生命の隆盛ともいうべき夏の時期に、
静かな秋はすでに始まっているのだ。


私たちの人生そのものとも言える様を
目の当たりにし、

私はまたも、
世の無常に茫然と空を見上げるのみでありました。。









津軽通信 (新潮文庫)津軽通信 (新潮文庫)
(2004/10)
太宰 治

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ポンぽんぽんぽんぽん・ぽっくんの伝記 (AUG14)


先週末は、映画「グスコーブドリの伝記」を観ました。

かつて創作した「ポンぽんぽんぽんぽん・ぽっくんの伝記」は、
このブドリの母体である
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」をベースしたものでした。
懐かしいので、再度掲載してみます。

実に楽しき年月、
私たちの本当の幸いの日々でした。








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種本: 宮沢賢治「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」





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「あのサンムトリ山、
 ぽっくんの計算によると近いうちに噴火するでしゅねぇ・・・

 何せ、サンムトリの底のガスの圧力が90億気圧以上になってるでしゅから。
 あの山は80億気圧にしか耐えられないハズなんでしゅよ。」

パパ、ママ、HANAも、みんなが一緒にうなずきました。


その時・・

コピー ~ A22NOV12 153vol


サンムトリの青い光がグラグラと揺れだしました。

そして、
たちまち山はスイカを割ったようにまっ二つに開き、
黄色や褐色の煙がぷうっと高く高く噴きあがりだしたのです。


ガーン! ドロドロドロ! 

続いて耳がやぶれんばかりの大きな音がして、
とうとう山は大噴火をおこしました。


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ポンぽんぽんぽんぽん・ぽっくんは、
気高い紺青色に輝いて静かに云いました。


「ぽっくんはどうも実に偉い。
 今や地殻までがぽっくんの神聖な裁断に服するのだ。」

パパがそう云うと、
ママも

「実にポンぽんぽんぽんぽん・ぽっくんは超怪である。
 私はニイチャの哲学が
 おそらくはぽっくんから暗示を受けているものであることを主張する。」

そう云いきったのです。


「ブラボォ! ぽっくん、ブラボォ!」

HANAが叫びました。


ぽっくんは静かに空を見上げました。

その顔はまるで青空よりもかがやき、
上等の瑠璃よりも冴えていました。

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ぽっくん、ブラボォ!

ぽっくん、ブラボォ!ブラボォ!


みんなのブラボォの声は高く天地にひびき、
地殻がノンノンノンノンとゆれ、

やがてその波がサンムトリに届いたころ、
サンムトリはその影響を受けて火柱高く第二の爆発を起こしました。



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パパママHANA、そして周囲にいたたくさんの人たち、
みんな一緒に立ち上がって

「ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!
 ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!」

と、ポンぽんぽんぽんぽん・ぽっくんの名を叫び、
その英知を讃えながら踊りはじめました。


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DP22NOV12 127


EP22NOV12 123


向うではサンムトリが第三回の爆発をやっています。


FP18NOV12 045



「ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!
 ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!」



「ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!
 ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!」




「ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!
 ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!」





「ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!
 ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん! ぽっくん!」













コピー ~ 22NOV12 003dreaming








SORA smile 11AUG09 028SORA「・・・という夢をみたでしゅ。」






hana ordinaryHANA「ぷっす~www」





























『ポンぽんぽんぽんぽん・ぽっくんの伝記』 is to be surely continued......


今も生きる信玄公の御心 (AUG14)


甲斐古府中の武田神社

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かつて、花そらも一緒に御参りしたこの
歴史ある由緒ただしい武田家の館跡・・・


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そうだ、確かにこの場所に信玄公がいらしたように、
花とそらもここにいたのだ。。

わたくしの、心から愛する花とそらが・・・























* こちら、武田神社には大恩があります。
そらが亡くなって後、信玄公に生きる力を分けていただこうと、
花とママとこちらにお参りした時のこと。

神域であるので花は敷地の外で待たせてもらい
ママと交代でお参りさせていただいたのですが・・
(チッチなどしてしまっては一大事なので)
その時、神主様らしき方が次のようなお声をかけて下さりました。

「ウチは大丈夫ですので、ワンちゃんもどうぞお入り下さい。」



私たちはこの時、本当に救われる思いでした。


大切な家族、そらを失った悲しみに
思い出の地である甲斐を訪ねはしたものの、
やはり花を神域に入れるのはいささかためらっていたところに
(再度記しますが、チッチの心配があったので)

このような、かくも慈悲深いお言葉。
おかでさまで、三人そろって信玄公の御霊にご挨拶をすることが出来ました。


民を領民を、家臣を愛した信玄公の御心は
今も甲斐に生きておりました。。


わたくしたちは、確かにそう感じたのです。






(思えば、あの時のあの御方は、私たちの事情を全てわかっていらしたのではないか・・・
 そんなふうに感じております。)






夕陽の言い伝え 2


前回のこの夕陽の写真・・・

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こんなふうにも見えます。

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花そら「バビューン!!」





この空の下の野球グランドを駆けながら
花とそらは風になりたいと思っていました。
そしていま、本当にそうなったのです。
もう誰だって花とそらには追いつけません。

花とそらは、風になったのです。

















夕陽の言い伝え


夕刻の西の空には
見る者の記憶が映し出される事がある。

朱く染まった雲に
幸福の記憶が次々と描き出され

去ってしまった愛する存在の姿を見る事が出来るのだ。

年を重ねた人ほど、
浮かび上がる情景を鮮明に見る事が出来て、

その姿と
会話すら出来るのだという。




私の育った西国に伝わる古い言い伝え。











元気な子らは

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空いっぱいにでっかく!

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露の世ながらさりながら


露の世は露の世ながらさりながら  小林一茶


(この世に生きる命とは
 露の様に儚いもの。

 儚いものとわかってはいるのだが

 それにしても、
 悲しすぎるではないか。)








うまく意訳出来ない。
特に最後の一言、「さりながら」、この部分が問題だ。

ここに、子を亡くした一茶の痛烈な悲しみが込められていて、
その思いが文面から生々しく伝わってくる。

恐るべき力をもったこの一言。

私などがどう注釈出来得るものだろう。
出来はしない。









相模川の畔で


こんな暑い日は

丹沢の山奥に川遊びに行くのが
私たちの夏の過ごし方だった。

今日は清川、明日は西丹沢、
毎日が花そらとの冒険だった。




今、一人こうして、
相模川の畔でゆく河の流れを眺めている。

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遠くから、小さなお子様と若いお父様が、
水遊びをする声が聞こえてくる。

(なんという幸福であろうか)



花とそらと過ごしたあの夏の日々を
思い出さずにはいられなかった。


今でも目を閉じれば浮かんでくる

あの子たちの元気に泳ぐ姿




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涼しげな白い飛沫をあげる
青い波の間に

花とそらが泳いでいるような気がしたこの夏の日の午後、

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丹沢の山が静かに、

いつもと変わらぬその優しさで
じっと私を見つめていた。


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男の修行


生きていると辛いことも多くある。

悲しみに耐えられなくなる時もある。


そんな時、
V. E. フランクルや三浦綾子、池波正太郎などの
本を読んで力を与えてもらっているのだが、

そういった時間がない時、
即効性の処置が必要な時には、

一瞬で気持ちを引き締める事の出来る
この言葉を思い出すことにしている。

私にとっての<魔法の言葉>である。





苦しいこともあるだろう。

云い度いこともあるだろう。

不満なこともあるだろう。

腹の立つこともあるだろう。

泣き度いこともあるだろう。

これらをじつとこらえてゆくのが


男の修行である。


(山本五十六)





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夕陽に思う 2 


三峰の向うに見える、あの夕陽。

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雲の隙間におぼろげに見えるその姿は、
遠くに霞んで見える希望のようだ。

SGMR 10JUN14 015


遠い、なんと遠いのだろう。
辿り着くにはまだまだ時間がかかりそうだ。

しかし、よろめき躓きながらも、

私は今、確かに歩んでいる。

いつか、
辿り着くのは道理というものだ。








花そらも一緒に🎵
SGMR 10JUN14 015 - コピー HS



慈愛の神に感謝


花とそらと、
いつも何気なくお散歩していた
この川沿いの道。。

今、愛する子らを失い、
涙に見上げたその先に、


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真っ白な十字架が私を見下ろしていた。

17MAR14 EB KZ FJ 018 HS




なんということだろう。
私たちは、常に見守られていたのだ!


神の愛、御加護に気付くことなく

私はただ、
その日その日の平穏を当たり前に受け止めていた。


しかしそうではなかった、そうではなかったのだ。

私たちは、
常に神に愛され、守られていたのだ。







慈愛のサンタマリアは、
いつも私たちを見守って下さっている。


17MAR14 EB KZ FJ 018 HS - コピー




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