花そら公園巡り ~海老名市 相模三川公園~ その2


花そら公園巡り ~海老名市 相模三川公園~ その2





三川公園の北端をはしる
国道246号の橋をくぐってゆくと・・・
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この場所にでます。
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この静かな場所は、
私と花そらの黄昏スポットでした。



夕暮れ時にこの場所に座り
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花とそらを両脇に抱いて、
オレンジ色の空に浮かび上がった
丹沢のシルエットを眺めるのです。

(ゆっくりと沈んでゆく美しい夕陽)





三人だけの静謐な時間でした。










夕陽に染まった花とそらを抱き、
その場の幸福を力いっぱいに噛みしめながらも

何時か来る「その時」への恐怖は
消えることはありませんでした。
真っ白な紙に落ちた墨汁の一滴のように
薄らぐことはなかったのです。

懸命に懸命に、
合わせた両手に汗が滲むまでに
「この幸せが永遠に続きますように」と
丹沢の山たちに心からのお祈りを致しました。

もはや神にすがるしか
手だてはありませんでした。

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山は、静かに其処に在り続けます。





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相模川滔々と流れ

一人佇む私に
何かを囁きかけてくる


丹沢は悠然と其処に在り

じっと私を見守っている










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その3に続きます。


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花そら公園巡り ~海老名市 相模三川公園~ その1


明るい冬の日は
相模川のこの公園をみんなで歩き

歩いて、歩いて、

そしていつもの川べりに座って
夕焼け空を眺めたものだった。

山の端に沈んでゆく夕陽は
ただひたすらに美しく

オレンジ色に照らされたあの子たちの横顔もまた
筆舌に尽くしがたい美しさであった。

心に浮かぶその遠い記憶は、
暮れてゆく一日の終わりに重なって

(美しくも、もの悲しい)



今、傍らにいた子たちはもはや存在しない。

それでも私はこの公園を歩き、
たった一人でも夕陽を眺める。

空に木に風にそよぐススキたちに
花とそらの姿を探し、
川の流れの音に花とそらの囁きを求め、

今日も私はこの公園を歩くのだ。






花そら公園巡り ~相模三川公園~ その1



相模川の流れに沿って広がるこの公園・・・
大きく開いた空、心地よい風、
花とそらは、本当にこの公園が大好きでした。
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真っ直ぐに伸びる道が
楽しいお散歩を予感させてくれるのか、
ここはいつもスキップしていました。



西を見れば、丹沢の山々。
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常にそこにあり、
いつも私を見守ってくれている頼もしい存在。



見上げた空に
二つの雲が浮かんでいました。
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花とそらはいつも私と一緒です。
こうして雲となって
その存在を知らせてくれるのです。

「ここにいるよ」

そんな囁きが聞こえてくるよう・・・



地面には枯葉が舞っていました。
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「季節は変わりゆくもの」
昨日と同じものなど何一つないのが、この世界のことわり。。



どんどん歩いてゆきましょう。
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この公園には長く通いましたが、
このあたりの木がこんなに大きかったとは
今まで気が付きませんでした、驚きです。
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今、視点が変わってしまって、
見えるものが違ってきたようです。

何もかもが変わってゆきます。
何一つとどまるものはありません。


私はまるで、川に打ち込まれた一つの杭のようです。
移り行く水の流れに取り残されて、
ずっと同じ場所に立ち尽くすのです。
苔や藻や汚れにまみれて朽ち果ててゆくのです。




ふと振り返ってみましたが
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やはり其処に、花とそらの姿はありませんでした。

然しそれでも人は、
目に見えないものを見ようとするものです。
これからもきっと

(何度も振り返ってしまうだろう)







さぁ、歩きましょう。
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「まだいけんべ!」(八重さん)



冬の真っ青な空に、
寒風に乗ったトンビが
大きく弧を描いて飛んでいました。
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その向こうには
一列に並んだ雲が見えます。



崩し文字のように見えるこの雲たち・・
花とそらからのメッセージかもしれません。
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一生懸命に何かを書こうとしている
花とそらの姿が浮かんできます・・・

肉球の手で筆を持つのは少々難儀だったようで、
ちょっと読みにくくなってしまいましたが、然し、

気持ちは確かに伝わってきます。







「 お や つ 」と書いてあったりして・・・







青い山体が神々しい丹沢の山たち。
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富士山北麓から桂川回廊を抜け、
丹沢の北を大きく迂回しながら流れてくる相模川。
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この流れの向うに、
どれだけの人がどれだけの命を見送ったことだろうか。
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この川は、どれだけの悲しみを見守ってきたのだろうか。





冬の太陽は無力だ。

(吹き付ける寒風は
 どんな熱さえも奪い取ってしまう)





風蕭々として相模川寒し

命ひとたび去りて復た還えらず








相模三川公園。
ここもまた、思い出深き公園です。

相模川があり、丹沢があって、
花とそらがおりました。

思い出深き公園です。







その2に続きます



夢の中でも・・・


花、そら、

夢でもいい。
どうか、パパとママに会いに来て下さい。



このままでは心が壊れてしまいそうです・・・







小さな花のような


百年の名声もいらない。
唸るような財産もいらない。

私が欲しかったものはただひとつ


ひっそりと野に咲く花のような、
小さな幸せだけだった・・・・・










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虚空にあり


本当にあの子たちは存在したのだろうか?
夢まぼろしであったのではなかろうか?

時々、ふとそう思うことがある。


然し、花とそらは確かに存在した。

記憶だけではない。
リードもカラーもケージも服も、
写真もおもちゃもプップ袋だって
こうして残っているではないか。

であっても

私たちの大切な家族、
一緒にいることが当たり前の子たちが
今此処にいないのもまた事実だ。



こんな筈はない。
どちらかが夢に違いない















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枕に残された足跡も
今では貴重な宝物です。


もの思ふ草


私は・・・

あまりに深く太陽を見つめすぎたのだろうか?






水晶体が焼ける
この痛みが消えることはないが


また同時に

瞳に染み込んだ
この幸福の影像が消えることも、また・・・ ありはしない。
















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広大な世界の片隅で DEC13


以下、2年半ほど前に記したものです。
とても気に入っていますので
数か月前にも掲載しました。

私たちの全てが此処にありました。










~ 広大な世界の片隅で ~








HANAちゃんはわらったよ


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HANAちゃんはぞなぞなわらったよ





SORAくんは笑ったよ


SORA04JULY12 024smile

SORAくんはでしゅでしゅわらったよ








ふたりのワンコの子供らが

緑の広場にすわっていました



風はぴゅうぴゅう吹きぬけて

雲はぷかぷか浮かんでいました





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HANAちゃんは尋ねました




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SORAくんは困っていいました









広大な世界の片隅で

今日こんな会話がされました



小さな出来事ではありますが

それが私のせかいの全てであります。



夕陽眺めつつ


夕刻

西の空に沸き立っていた
大きな濃灰色の雲の端が

その背後にある太陽の光に透かされて
オレンジ色に輝いていた。

その神々しい光は
天にまします大いなる存在の証であろうか。

美しい、と

そう呟いた傍らに


最早、花もそらもいないこの現実。




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FOOT PRINTS マーガレット・パワーズ


前回の「花そらFOOT PRINTS」は、
マーガレット・パワーズの詩「FOOT PRINTS」を骨組とし、
自分の言葉を組み入れながらひとつの詩に仕立てました。
(「換骨奪胎」などといいます)

原詩の中では、「私」がやはり夢の中、砂浜を歩いているのですが、
傍らで一緒に歩いてらっしゃるのは、キリスト教の神様です。
砂浜は、お気づきと思いますが、人生の道を表しています。
「私」が振り返ると、歩んできた長い道のりを示すように、
延々と二組の足跡が残されており
その頭上の夜空には、その時々の人生の光景が
写真のように映し出されています。

「私」は、懐かしく自分の人生を振り返ります。

が、しかし、ある事に気付いて悲しい気持ちになってしまいます。

「私」が人生に於いて最も苦しく最も辛かった艱難辛苦の時期、
その時の光景が映し出されている夜空の下には、
なんと”一人分のあしあと”しかなかったのです。

何故だろう?
何故、自分が本当に切実に、誰かの助けを必要としていた苦境の時に、

どうして自分は一人で歩いていたのだろう?
いかにして神様は自分を一人ぼっちにしてしまったのか?

何故、神様は一緒にいてはくれなかったのか!?



「私」は思い切って、神様に尋ねてみます。

「神よ、私があなたについてゆこうと決心した時、
 あなたはずっと私と共に歩み、共に語って下さるとおっしゃいました。
 それなのに、私が最も辛かった時期、
 そこには一人ぶんのあしあとしか残されてはいませんでした。
 わからないのです。
 何故、私が最もあなたを必要としていた時に、
 一緒にいては下さらなかったのですか?
 何故、私のもとを去られていたのですか?」

神様はそっと囁き、こうこたえてくださいます。

「私の大切な子よ。
 私はあなたを愛している。
 苦しみの中にあったあなたを
 決して決して一人になどはしていなかった。

 愛する子よ

 あしあとががひとつだったとき、
 私はあなたを背負って歩いていた。



















この美しい詩、今、以前にも増して
私の心に染み入ってきます。





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花そら FOOTPRINTS (あしあと)


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ある夜、私は夢をみた。

夢のなかで私は、
どこまでも続く砂浜を
花、そら、そしてママと、家族で歩いていた。

ふと振り返ると、
四人のあしあとはずうっと遠く

皆で共に歩いた9年の過去まで続いていたが

ところどころ
花とそらのあしあとだけの場所があった。


何故だろう?


わたしは気付いた。



自分たちの力で歩けなかった時

この子たちが背負ってくれていたのだ






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灯篭の日々


よく晴れた、風がすこし肌寒いくらいの天気。
見上げれば、薄らとしたすじ雲が絹のように青空にひろがり
遠く丹沢は青緑に輝く。

「お散歩には最高の日だ!
 花とそらと、さて今日は何処にゆこうか!」


嬉しそうな小走りの花そらを車に乗せ、
私自身もたいへんに浮き浮きしながら
車を発進させる。

あぁ、私の幸せはこれなのだ。
どんな贅沢もいらない。
この小さな幸せさえあればいい、このための人生なのだ・・・


どこかで鳴いている鳥たちと共に歌い、
空をゆく雲たちに挨拶をし、
胸にこみあげる幸せの気持ちに頬を緩めながら
お散歩公園に向かう。。




すべて、
微かに揺れる灯篭の火のような
遠い思い出となりました。









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