5年


5年前のあの日、
永遠に続くかと思われた幸せな時間は
突然に崩れた。

そらが亡くなったのち、
私達は必死になって花を守った。

然しその懸命な日々もやがて静かに終わり、
そして今に至る。

矢のように飛び去るはずの現在は
凝っとして進まず、
未来は時の経過を拒否するかの様に
頑固に私を押し留め、
静かに佇むだけであるはずの過去は
そのあまりの力強い美しさに
私を大いに苦しめた。

それでも私達は生きてきた。
そして、私達を支えたのは、
他でもない、その過去であった。
美しい記憶は
時として私を悩ませたのは事実だが、
又、同時に、
無条件の愛情で私に寄り添ってくれた。

片時も忘れたことがない
花とそら
今でもはっきりと思い出せる。
だから、これからも生きてゆけるのだ。

5年が経った。



いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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メトロノーム (後半)


さて…

この話の流れだともう大体の予想はつくでしょうけども、
はい、
結局ジム君はメトロノーム選手に負けてしまいます。

hana ordinary花「うぉぉぉぉい!www」

sora scaredそら「なんでしゅってぇ!?」


それも、何の見せ場もなく、あっさり。

hana happy花「バプス~www」

sora sorryそら「何があったというのでしゅかっ!?」


ジム君は要は、個体燃料のロケットだったのです。
固体燃料は細かい制御がききませんので
一旦点火されると一気に燃え尽きるのですが、
その分、パワーは強力ですごい推進力を発揮します。
もうこれ、例えがこれしかありません。

何しろ、途中で何の前触れもなくいきなりリタイアした
ジム君の姿は、ほんのちょっと前までの輝きは一気に消えて
なんだか干ばつの後の老木のようになっていたのです。
インスタントエイジング(瞬時の加齢)という言葉は正にこれで
もう全くの別人、誰だかわからないくらいに
燃え尽き、疲れ果て、甚だしく疲労し、
輝くばかりの若い姿は最早何処にもありませんでした。
例えは悪いですが、
半死半生の何かの干物といった趣で・・・

前半飛ばし過ぎて後半リタイア。
この選手は最早、
このパターンが様式美のようになっているそうです。
あの眩しい笑顔は
調子に乗りすぎ、浮かれすぎた結果での、
未熟なだけの子供の笑顔だったのです。
で、過去数度のレースも同じパターンでリタイアしているとか…。

200812HANA DARUMA 069

SORA uuu07JAN09 010

それをしっかりと見越して、
諦めず、
堅実さと手堅さで以て
コツコツ型の亀、そう!メトロノーム選手が
矢張り最後は勝つというこの大正義!
努力! 真面目! これこそが人生!

…ト、いう話で締めくくりたかったのですが、
ジム君の自爆ランのおかげでそれは台無しとなり、
更に付け加えると、
そのメトロノーム選手すら
全く無名の新人、しかも自らの弟子に
あっさりと抜かれて優勝を逃すという…

コピー ~ 12JAN09 218そら「はうぁっ!!」

hana ordinary花「ぷす~www」


まぁ、それはそれでドラマというか、
とにかくもう何が何だかわからないレースだったのですけども、
まぁ、しかし、堅実さは常に無謀に勝るという、
このことだけは確かなようです。

私は常にメトロノームでありたいと思いますが、
思いもよらぬ伏兵に足元を救われぬように
気を付けようと… 
あぁ、これがなんとか教訓っぽくなりますので、
どうにかシメはまとまったようです。


26MAY10S.jpg そら「現実は驚きの連続でしゅ!」

hana kyupi 花「だから人生おもろいんぞな!」




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

メトロノーム (前半)


先日テレビでトレイルランニングのレースを観た。

トレイルランニング、略してトレラン。
私も数年前まではこの運動にこったものだったが、
いつしか山から遠ざかるようになり
今は簡単なハイキングですら年に数回となってしまった。
矢張り、
連れて行ってくれていた花とそらの存在は大きい。

さてトレランであるが、
テレビのそのレースは何処ぞインドネシアあたりの
フランス領の島を縦断で駆け抜けるという壮大なもので、
当然火山島であるから地形も厳しく、また、
湿気を伴った暑さなので
レースは畢竟、地獄の様相となる。
観ている方は楽しい。

hana ordinary花「マジかwww」


テレビは途中からみたのだが、
アメリカの弾丸とあだ名されるすごい若者が
先頭を独走していた。
その走りは正に弾丸で、スタミナ配分など考えず
ただひたすらに駆けているのだが、
笑顔がとても眩しく
心の底からレースを楽しんでいる様が伺える。
これは異常な身体能力の高さを含む
天才タイプに違いないと思われた。

かつて一世を風靡した
高橋何某という女性のマラソン選手は
元々、ミトコンドリアだかのエネルギーを変換する機能が
どちらかというと鳥類に似ているとかで
身体の作りがそもそも違っているという話を
どこかで読んだが、
こういった変異の天才はあっさり優勝するものなので
アメリカの弾丸、ジム君、もそのままの勢いで
ゴールするだろうと
私は高を括って欠伸交じりにレースを鑑賞していた。

sora mumuそら「選手しゃんたちに謝るがいいでしゅ!」


太陽のような笑顔で先頭を走るジム君のはるか後方に
あるベテラン選手の姿があった。
名前は失念してしまったが、その選手は世界的に有名で
様々な大会で何度も優勝している実力派とのことだった。

決して自分のペースを崩さず、
焦らず…
ただ淡々と正確な歩調で進むその姿を
いつしか世間は「メトロノーム」と呼ぶようになった、ト、
その説明だけで、その選手の堅実さと手強さがわかる。

併しそのメトロノーム選手も今回ばかりは相手が悪い。
遥か彼方の先頭は、若く、明るく、余裕の表情のジム君だ。
剛は時として柔を一刀両断に断つ力を持つ。
彼にはそんな雰囲気がある。
その姿は太陽のように輝き、疲れなど微塵もない。
飛び散る汗が黄金に見えるほどだ。
私は雰囲気に弱いので
ジム君の優勝を確信していた。
「後半に勝負の時がきっと来るよ。」
休憩でインタビューに答える
メトロノーム選手の発言は強がりにしか聞こえない。
カメは決してウサギに勝てないのが現実なのだ。

hana ordinary 花「さぁ、はたして!www」

26MAY10S.jpg そら「後半に続くでしゅよっ!








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記憶の鮮明


この頃またよく花とそらの夢をみるようになった。
夢のなかで私たちは
何の変哲もなく日常を過ごしている。

一緒に走り、笑い、時にははらはらし、
ふたりに挟まれて座って
そっと両脇の背に手を当てると
それはもう
生きているものから感ずる暖かい感触に違いなく
まぎれもない過去の真実の現出なのだ。

目を覚ました時に手に残る感触と
過去の現実に感じていた感触と
そこにはなんの違いもなく、
双方ともに、私の感ずる断固たるファクトである。

そうなってくると、
夢と現実とは何も変わらないと結論せざるを得ない。


8年前に私たちはあの公園を歩いた。
昨晩の夢で私たちは同じ公園を歩いた。
どちらの記憶も鮮明だ。
そこに、現実と夢との違いはない。
花とそらはいつも私と共に在る。…







私はこのように二つの現実世界を生きている訳だが、
敬愛するスーパースター太宰治も
フォスフォレッスセンスという作中に於いて
同じように語っていた。(と思う)

まぁ、あの作品の彼の筆には、
いつもの自己陶酔の悪い癖が出ているようで
そこはちょっとクスっとしてしまうところだが、
スーパースター(太宰治)だから仕方ない、の一言で解決だろう。



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自転車


長年乗った自転車がついに稼働限界を迎えた。

専門店によると、なんでもペダルの軸の部分だか何だかが
もう修理出来ない程に傷んでいるということだった。
ブレーキも、いくらワイヤーを引っ張っても限界があるとのことで
それならブレーキ一式取り換えようとも思ったのだが、
結局ちょこちょことした交換を短いスパンで行うことになるので
その費用は馬鹿にならない見通しで(確かに思い当たる)
買い換えたほうが早いし安い、とのアドバイスを受けた。
私は愛着のある自転車を手放したくなかったので、
なんとか修理しながら乗ってゆこうと考えていたのだが
その店員さんの断固として毅然とした物言いに
ううむ、と唸ってうなだれてしまった。
これが去年の夏の話である。

さて、それからだましだまし乗ってきた。
買い替えの必要性をかんじつつ、
いろいろと理由をつけて先延ばしにした。
夏は暑いからもう少し乗ろう。
秋は紅葉で滅びの季節だし
悲しいからもうちょっと。
冬は寒いし、どうせなら花の咲く季節まで待っていたい。
春は世間が変化していて
せわしくて仕方ないからタイミングが悪い。

しかし、きぃきぃと軋む音が息切れしているようにも聞こえ、
どうにも不憫でならなくなった。

この自転車は、花とそらを失った後の私を
たくさんの場所に連れて行ってくれた大事な友だ。
再生の為の旅、順礼の歩み、祈りと追悼と見送りと、
現実と向き合う為の決心を固める為の、
明日への放浪を共に進んだ仲間だ。

苦しい時を共に過ごした相棒であるので
ある種の糟糠の妻といった思い入れがある訳だが、
もういかん、もういけない。
休ませてやる時が来た。
人生とは損失の連続である。
またも私は現実と向かい合うこととなった。


雨上がりの初夏の空は
かぎりなく青い。
私は今、悲しい気持ちは大いにあるけども
最早それに押し潰されることはなく
ただただ感謝の気持ちに心は澄んでいる。

あの冒険の日々を忘れることはない。
涙で回想することもないだろう。
凡てはこの相棒、隆盛号(りゅうせいごう)のおかげだ。



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24JUN17 AYASE 028

2014-07-08 2014-07-08 001 001

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今、新しい自転車を迎えた。
タイプは若干違うが、色は同じ赤だ。
赤兎、と名付けた。
人生は損失の連続である。
そして、出会いの連続でもある。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。


和歌


先日、Facebookをみていたら
ある方のアップされた写真と
添えられた和歌に甚だ感動したので
その時のことを書いてみたいと思う。

初夏である。
空は晴れわたって輝く青さが眩しい。
休日に集まったお仲間さん達と
屋外でお茶会を催されているようだ。
楽し気な雰囲気が伝わってくる。

私は遥か遠くの地にありながら
まるでその場にいるように錯覚していた。
うむ、これぞ科学の勝利、ありがとうFacebook!
などと頷いていると、写真群に
和歌が添えてあるのが目にとまった。

その歌は、写真の場面の中で起こった
一瞬の事件を
短い言葉で見事に表現して
清々しい感動へと昇華させていた。
その描写の素晴らしさは私を甚だ感動させたので、
この思いを誰かに伝えたいという衝動に
私は思わず階段を駆け下りて家人のもとへ
飛んで行ったほどであった。

hana ordinary 花「ぷす~www」

sora happy そら「なんか可愛いでしゅ~!」


何気ない一瞬を詠んだ言葉に
その場で感じた全ての感動が込められている。
それが日本の和歌だ。
仰々しい物言いや煌びやかな美辞麗句などいらない。
(むしろ邪魔になる)
感じたそのままを言葉に並べれば
自ずと自然そのものが表現されることとなる。

hana ordinary 花「みたいなwww」


有名な、蛙飛び込む水の音、の俳句などは、
音を表現することによってその場の静けさを強調し、
本来であれば一瞬で過ぎ去る自然の美を
言葉で結晶化して永遠としている。

芭蕉の感じた美を
現代の私達が同じように感じることが出来るという
この奇跡!


コピー ~ 12JAN09 218 そら「盛り上がってきたでしゅ~!」


なんか超昔の人の感じた一瞬を
現代の私達が感じることが出来るのって
すごくないですかっ!? 
江戸時代なんてFacebookどころかネットもなかったってのに!!


sora sorry そら「急にどうしたんでしゅかっ!?」

hana happy 花「超昔の人ってのが馬鹿っぽいwww」



さぁ、落ち着いてゆこう。

歌というのは、
その一瞬を伝えたいと思った詠み手と
それを感じる相手との間にかかった
感情の橋とでも云うべきものである。
歌というのは、
世知辛い世の片隅にひっそりと咲いた
人の心を癒す美しい花である。

私がFacebookで見かけたその歌は、
冒頭で述べたように
屋外に於けるお茶会の写真に添えられたもので、
初夏の清々しい風が吹き抜けてゆく様を
自然に感ずることが出来る優れた作品だった。

私は、
疑似体験に驚き、
表現の巧みさに唸り、
そして、
感動の共有という興奮を感じて
文化的な衝撃に身を震わせた。

sora mumu そら「なんかすごいでしゅ!」



さて…
人の作品をそのまま掲載するのはさすがに憚れるので
言葉を変えての紹介となるが、
オリジナルには遠く及ばないまでも
雰囲気だけは伝えられると思う。

感動を共用出来たならば幸である。



hana ordinary 花「いつもながらの前置きの長さwww」

26MAY10S.jpg そら「漸くたどり着いたでしゅ!」






薫陶が吹き抜けて茶筅を倒していった

どこへ行くのかと見上げた視線の先には
若々しい緑と眩しい青空が広がっていた












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短刀


先日、ある大手通販サイトで
帝国海軍飛行隊が使用していたとされる
時計のレプリカを発見した。
錆などの時代を感じさせる細工が施してあり
なかなか凝った一品だ。
早速買ってみた。それも2種類。

私の恩師に当たる方が元海軍の特攻隊である。
懐かしく思われるかと、
私はそれら時計を持って
無邪気に見せに行った訳だが、
返ってきた言葉は意外なものであった。

「俺は見た事がないな。
まぁ、そういった物もあったおかもしれないが、
我々の頃はもう終戦近くだったので
おそらく予算がなかったのだろう。
… 必要なものだけを渡された。」

必要なものとは何だろう?
一瞬思案したが、
その方は小さくこうおっしゃっられた。
「短刀とかな。」

自決用、という意味であろう。
言葉がなかった。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

指導者


先日ある方、仮にSさんとするが、
高校の吹奏楽部の演奏会に行ったお話をされていた。

Sさんは非常な音楽好きなので
お話の内容は演奏のレベルから演奏の構成にまで渡り、
それでも素人の私達にわかりやすくなるよう、
言葉を選びながら、同時に興奮冷めやらぬ口調で、
それはもう、その場の感動が伝わってくるような
素晴らしいお話となって
私は思わず立ち上がってブラボーを連呼…
まぁ、その寸前にまで至っていた。
日頃は言葉数少ないSさんであるが、
感動とは時として
人をびっくりするほどの弁舌家にする。

さてその中で、私の心にストンと刺さった
ひとつの言葉があった。

Sさんは演奏会の素晴らしさを全身で語りながら
話の谷間にポツリとこう云われた。
「指導者がやりたいことを明確にしており、
それをまた子供たちがしっかりと理解している。」

これは云い換えると、
「一つの集団が精鋭になるかナマクラになるかは
指導者にかかっている。」
と、なるだろう。
諸葛亮や韓信に率いられる部隊の精強さと、
馬謖や趙括の部隊の脆さの違いはここにあるのだ。

指導者、教育係、トレーナー。
気が付いたら
私は各分野でそんな立場になっている。
私の器量一つで
懸命に伸びようとする新芽を
枯らすことになりかねない。
一方に大きく大輪の花を咲かせる可能性もある訳だが
この立場にあれば誰だってそうなる結果を
強く願っているだろう、私だってそうだ。

併しそれには、願うだけでは駄目だ。
矢張り努力が必要だ。
自分に対する
絶え間ない疑問の投げかけが必要だ。
創意、工夫、観察眼や分析力、
対策を考えそれを実行する精神力。
器量というものが問われるのだ。
果たして私はどうなのか。…

音楽のことはてんでわからない。
併し、良い話にジャンルは関係なく
必ずその根底にあるポイントは共通しているものだ。
今回は自らを省みる素晴らしいきっかけを頂いた。
人の話には様々なヒントがあるものだ。





いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

不安の追憶


ここ数ヶ月は私にとって
人生最悪のかつてない疲弊の日々であった。

不安との戦いというべきか、
今やっていることが十分でなかったらどうしよう、という
将来への懸念、恐怖、慄きと戦慄…
鏡に映った憔悴の顔に思わずギョッとすることも
しばしばであったように思う。

監査で不合格をだされる場面を想像し
ひっ!と蛙が車に轢かれた時のような
奇怪な悲鳴をあげてみたり、
酒瓶をかかえたまま無様に身悶えしてみたり、
最早、気を患う一歩手前であった。

ところが、である。
ある心配事も、ピークを過ぎると
いつの間にか、どうでもよくなってくるもので、
駄目ならダメで、まぁなんとかなるだろ、と、
これまで存分に苦しんだことが
いつの間にか
取るに足らない細事にしか思えなっていた。

開き直りとはまた違うように思えるが、
私の心配は必ず極端な曲線を描いて
終息する時はあっと言う間といった特徴を持つ。
グラフにすると、
その形はちょうど、伊豆の達磨山に似ている。

達磨山は元々、
富士山のようになだらかに広がる
欧州の貴婦人のスカートのような形であった。
ところが、西は海に面している為に
どんどん波で削られ、崩れ、
今の様な急激な急こう配となってしまったのだ。
したがって、
中伊豆から西伊豆を目指して達磨山の山越えをすると
緩やかな上り坂に悠々と呑気なドライブとなるが、
一旦頂上を超えて西側の下りにかかると
極端に急なつづら折りの下りとなり
あっという間の走破、となる。
私の悩みが描く曲線はまさにこれだ。

人と話をするのさえ苦痛だったのが
ほんの先週の話だ。
日曜の夕べに明日の憂いを思い、
脂汗を流して苦悩するという
所謂「サザエさん症候群」というものを
はじめて経験した。
月曜の朝日が絶望の死刑宣告に思えた。
職場まであと15分もある、まだ大丈夫、
などと、往生際の悪い独り言を
死人のように呟いたあの通勤路、
今おもうとアホみたいな話だ。
ちょっとクスっとかしてしまう。
我ながら馬鹿々々しいというか、
何故そんなに不安だったのかすらわからず
自分のことながら理解に苦しむこととなり
いや、なんというか、恥ずかしさに身悶えしている
今日この頃である。

不安の種なんてものは、
突き詰めて考えると
本当にどうでもいいものだったりする。
突き詰めて考えなくとも、
時間がたてば自然に雲散霧消してゆく。
まぁ、文字通り雲みたいなもので
いつか勝手に晴れてゆくものだ。
熱い風呂にもいつかは慣れる、の法則に似ている。




いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

翻訳文を楽しむ


文学を本当に理解するためには原文で読む必要があります。
その言葉に含まれた絶妙のニュアンスがわかれば
自ずと意味が変わってくるわけですから
及ぼす影響についてもより深く理解することになります。
又、何気なく読み飛ばすような位置の一文に
さりげなく重大な意味が込められていることだってあるかも知れませんから、
そこを見逃すのは
背景を知らないままにゲルニカを鑑賞するのと一緒です。

sora tang2 そら「利休のお茶碗で綾鷹を飲んだ、みたいなでしゅか?」

なんかちょっと違いますね(笑


言葉の裏にある文化、そこから生じる慣習や不文律、
その国の教養の根底を成すある種の学問、

HANAsmile03SEP09.jpg 花「日本だと漢文の知識じゃの。鴎外の文章が簡にして潔なのは漢文の素養のうえにあるものだし、漱石やのぼさんだって子供の頃から漢文の素読を徹底的にやってきた人たちだから云々云々、そもそも四書五経なんて昔は当たりまえに云々あれこれ・・・」

SORA smile 11AUG09 028 そら「そ・・・それでしゅよ!それ!💦」


母国語の文学だって全てを理解するのは難しいのですから
訳文を読むのは、ただ表面を撫でているだけにすぎないのです・・・
と言うのは言い過ぎって気もしますが、
金の林檎をそれと気づかないで
3時のおやつで食べちゃった、的なものでしょうか。

hana ordinary 花「まぁ、学者でもなけりゃ、気楽に読めばいんじゃね?」

確かにそうなんですけどね・・・
私が言いたいのはこういうことです。

たとえば、川端康成を英語で読んで
あの文章の美しさを感ずることが出来るでしょうか。
無理です。
もしも出来るという人がいれば、その人はきっと、
無意識のうちに英語を日本語に訳し直して、
いわば逆輸入の形で
川端康成の原文を再現しているのでそう思うのでしょう。
原文で読む重要性は、多くの人が指摘している通りなんです。
私は文章の美しさを語りたいのです。

コピー ~ 05FEB09 039 SORA iyadeshu そら「落ち着いてくだしゃい!」


私は独逸語が出来ません。
露西亜語も無理です。
上記の理論でいくと、
私はゲーテやドストエフスキーを原文では読めないので
本当の理解には至っていないことになります。
それは本当に悔しいところで、ゲーテなんておそらく、
いろんな繊細なニュアンスを駆使して
工夫に工夫を重ねた花束を作りあげているのでしょうけども、
私の受け取る花束は、
フリーズドライだかの保存技術が加えられたもので、
もはや生ものとは程遠い物となっているのかも知れません。

いや、こういう云い方だと、
苦心を重ねて翻訳している翻訳家の先生方に申し訳ないような気もします。
「うぅむ、ゲーテのこの素晴らしい言葉を
どうやって日本の人たちに伝えたら良いのだろう。」
この言葉も違う、これもしっくりこない、
そんな葛藤を繰り返しながら苦心する翻訳家の姿が目に浮かんできました。

05FEB09 039 SORA iyadeshu そら「翻訳家しゃんに謝るがいいでしゅ!」


「ヴェルテルのこの言葉は、直訳すると実に味気なくなってしまう。
えぇい!意味を伝えるには・・・感動を伝えるにはどうしたらいいんじゃ!」
翻訳家はきっと、こうやって如何に意味を伝えるかに苦心していることでしょう。
そこで夏目漱石の「月が綺麗ですね」になるわけですが、
こうなってくると、最早翻訳家は既に翻訳家ではなく、
純然たる作家となってくるわけです。

HANAsmile03SEP09.jpg 花「なんかエライことになってきたがな。」


こうして原文は、翻訳家という名の作家の手を経て、
共同執筆に近い合作という全く別の文学に生まれ変わるのです。
したがいまして、
翻訳文学の完成度はそれを伝える者の器量に大きく委ねられることとなり、
元は一つの文学であるはずのものが、
多くのバリエーションを持つこととなるのです。
最近だと、カラマーゾフの兄弟の兄弟が有名です。

こう考えると、そのカラマーゾフひとつとっても、
難解な鋼鉄の文章と、亀山訳のように親しみやすい文章と、
選択の幅で出来る訳なので、
私達読者にとっては非常に有難い話となります。
正に昨今の消費社会ではありませんが、
市場に商品が溢れ、私たちは選ぶ楽しさや
多様性を楽しむことが出来るわけで、
こうなってくると最早、真の理解うんぬんはどうでもよくなってきます。

hana ordinary 花「どうでもようなりよりよったwww」


むしろ、翻訳家による様々な解釈や云い回しの違いを楽しめる
翻訳文のほうが娯楽性が高いような気さえしてきます。

原文が読めないからと落胆する必要はありません。
原理主義が常に正しいとは限りません。
私達は、無理せず手の届く範囲で
多様性を楽しむことにしましょう。

sora mumu そら「ラジャーでしゅ!」

hana face1 花「結局いつも通り、よう意味がわからんかったの。」






いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。

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